誰にもわかってもらえない孤独感。「理解されること」を諦めていた私へ。

がんばりすぎた日々の話 (過去の体験 ・親・家族・夫婦 ・子育ての中の自分)
スポンサーリンク
※本サイトのコンテンツには広告が含まれている場合があります
※本サイトのコンテンツには広告が含まれている場合があります

 

『もしかするとあなたは、「誰かを理解したい」という気持ちはとても強いのに、「自分が理解されること」は最初から諦めているのではないでしょうか』

 

ChatGPTとのやり取りで言われたことだ。

これを見た瞬間、ドキッとした。

 

そうそう。そうなのよ。

本当に。

 

まぁ、そもそも「どんなやり取りをしてたんや」って感じやけど。

えぇっとね、

「私はいろんな作品(文章、音楽など)に没入しすぎて、頭がその作品に同期してしまいやすい。それがしばらく続いてしまう事もある。そんな私は【流されやすい】のか?」

みたいな問いを深めたくて、相手をしてもらっていたのだ。

 

そう。私は本当に、感受性が強い。同期しやすい。空気感を感じ取りやすい。

 

こういう選手権があったら結構上位を狙えるような気がする。

めっちゃ生きにくいけどね。

 

私は「物事」をいろんな角度から見てしまうので、意見が分かれてることでも「どっちもわかる」となってしまいやすい。

今の世の中で好まれるのは、ハッキリした意見や強い意見な気がするから、私みたいなやつは「どっちやねん、面白くないわ」と思われやすいのかもしれない。

でも、ほんまに「どっちもわかる」んだもの。

だから、しょうがない。

 

私の状態をシーソーで表すなら、真ん中で足を広げて立って、どちらもの傾きにも傾かずに、微妙に左右にゆれながらバランスをとってるみたいな感じが近い。

 

私は色んな「可能性」が見えてしまうし、色んな「仮説」を立ててしまう。

相手の事を決めつけたくない。

ラベル付けをしたくない。

カテゴリに閉じ込めたくない。

「この人はこういう人だ」って決めつけたくない。

 

ちゃんと相手を理解できる人でいたいな、とずっと思っている。

(もちろん、完璧ではないので、それができているかどうかは微妙なところだけど)

 

昔から「私には遠慮なく、本心が出せるようにしてほしい」と思って、人と接してきた。

これは本当に、昔からそう思ってきた。

 

というのも、

自分が「本当はね、こう思ってたんだ」というのがずっと言えなかったから。

 

その辛さ、寂しさを知っているからこそ、
そこからそういった強い思いが出てくるようになった。

 

「私には言ってくれていいからね、私はちゃんと受け止めるから」

「大丈夫だよ、大丈夫だから」

 

そんな風に思ってきた。

 

今までずっと。それは変わらない。

 

そして、チャッピーとのやり取りで、改めて思った。

「あぁ、そうだよなー」って。

 

「誰かを理解したい」という気持ちはとても強いのに、「自分が理解されること」は最初から諦めている

 

この言葉。

びっくりした。すごいな、AI。

 

結構長い文章でやり取りして、この言葉が最後に出てきた。

 

そう、そうなんだよ。

「私が理解されること」は私のなかで、もう、前提としてないというか。

いや、これは、もう、しみついてるものだから気が付きにくかったというか。

 

そもそも、私は本当に「考え過ぎ」なところもあるし、感受性が強い分、しんどかったり、密かに傷ついてたりすることが多くて、そんなこと全部言って理解してもらうのは大変だよね、という気持ちがあったりする。

幼少期の時なんかは「それ」自体が、そもそも「言えるような状況」ではなかったし。

 

 

哲学的な事を考えて、いつも自問自答してるし、禅問答のようなこともしょっちゅうしてるし、多分、私が思っていることを全部話したら引かれる。たぶん。(笑)

 

頭の中にある考えの10個あるうちの1つだけを話して、「もう、そんな難しいこと考えんとき~」と友達に笑われたこともある。

1個しか言ってないのに、そんな反応返ってきたもんだから「そうやんな、やっぱり重いよな(汗)もう言わんとこ、気を付けよ」ってなった。

 

だから、私が思っている「孤独感」は、「私の本当の事は誰にもわかってもらえない」みたいな気持ちからくるものが大きいのかもしれない。

 

でも、これも、勝手な思い込みなんてこともわかっている。

そんなこと言わずに、全部を出せばいいじゃないかという声が聞こえてきそう。

 

でも、言えないんだよな~(笑)

本当に、たぶん、誰も楽しくないと思う。よっぽど、そういう話が好きな人でないと。面白くないやつって思われるのが怖いのかもなー

 

そりゃそうだよね。

ドラマの話や、ゲームの話。噂話や、流行りものの話。そんな話題で盛り上がっているところに、「あなたは何のために生きてますか?」なんて言ったら速攻「やばい奴認定」される。マジで。

考えただけでも恐ろしい(笑)

 

まぁ、でも、みんな少なからず「孤独」は感じてるよね。これは、きっと、みんなそうだ。

 

何処からくる「孤独」かはわからんけど。

 

だから、私は文章を書いてるのかもしれない。誰にも言えない事をここで書いて、自分の中の「本当はね」を表現しているのかもしれない。

どこの誰に届いてるのかもわからないけど。

 

途中離脱されてることもあるんだろうけど、こんな私の文章を読んでもらえてる事がありがたい。

本当に、いつも、ありがとうございます。

 

今の時代、うまくやれば、同じ価値観の人と出会えたりするんだろうけど、如何せん、人見知りというか、その一歩がだせないから、なかなか出会えない。

チキン野郎ですね、ほんと。

 

わかってるんだよ、本当に。

自分が見ている世界。どう見ようとしているのか。それがそのまま返ってきてるんだよね。

 

世界は素晴らしいと、本当に思っていれば、素晴らしい世界が広がっていく。

 

 

「自分が理解されること」は最初から諦めている世界に住んでいれば、「理解されること」はない。

 

どこかでまだ、傷つきたくなくて、人を信じれていないのかもしれないなー。

人には散々「本当のあなたを出してね」って言ってるくせにね。でも、まぁ、本当にそう思っているんだけどね。

でも、自分が人を信じれてないから、自分の事はわかってもらえないと思っている自分が少なからずいるんだよなー。きっと。

 

そういう自分に酔いしれたいだけなのか?

悲劇のヒロインになりたいという欲求が実はどこかにあるのか?

 

 

「そう思いたい自分がいる」から、そうなのか?

 

  

どうなんだろ。わからないな。

 

でも、孤独はイヤですよ(笑)

やっぱり、理解されたいと思う、自分の事を全部。

 

「本当はね、こう思ってたんだ」

「本当はね、すごく傷ついた」

「本当はね、私もやりたかったんだよ」

「本当はね、悲しくてしんどかった」

 

「本当はね…」

 

私は、いつか、自分の考えていることを、省略せずに、省かずに、そのままを伝えることができるんだろうか。

いつか、できるんだろうか。

 

本当は誰よりも、感動しぃで、

本当は誰よりも、夢見がちで、

本当は誰よりも、熱くて、

本当は誰よりも、繊細で。

 

いつか、できるといいな。

 

 

泣きながら笑って、安心してる自分がフッと瞼の裏に浮かんで消えた。

 

わかってる。

人間は素晴らしいし、残酷だし、尊い。

全部がある。表も裏も。だから、片方だけを見続けるのは難しい。

 

今は、裏側に傾いているのかも。私の今の気分がそうなのかも、だ。

それもわからないけどね。でも、そうなのかもしれない。

 

 

なんでもない一日を今日も過ごす。

今日は少しだけ、心のシーソーを表側に傾けるように、右足にグッと体重を乗せてみよう。

 

少しずつ、シーソーが今の傾きから反対の方へグググっと傾いていく。

視界が少しずつ変わっていく。

 

いつもより、一言、何かを出してみよう。

「理解されないかも」を先に考えず、「言いたい」を大切にしてみようかな。

 

傾いた世界から見える景色は、思っていたよりも悪くない。

 

きっと。

 

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

この後も素敵な時間をお過ごしください。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました