今日はその心配は誰のため?と言う視点でお話しするよ。
「あなたのためを思って言っているのよ」
子育てをしていると何度も言ってしまうこのセリフ。
子供のために…、そう思って心配してアドバイスをする。
でも。
それは本当に、子供のためだと思っているのか?
改めて自分を見つめ直したことの気づきです。
ではでは、よろしくお願いします。
「このまま行くと将来が心配やな」
先日、母と話をしていた時にそう言われた。
母は息子(孫)を心配していた。
母が来る前に、実は長男とのバトルがあった。
バトルといっても、対決をしてたわけじゃないよ(笑)
理由は本当に些細なことなんだけど、
「私に怒られたくないから」といって、長男が小さな嘘をついていた。
子供の嘘ってよくあることだと思う。
「怒られたくない」と言う気持ちは、私も小さい頃感じていたことがある。
だから、みんなよくあることかもしれない。(もちろん嘘をつくことを肯定するわけではないけど)
「子供が嘘をついた」という出来事。
大なり小なり、そんなことはよくあることだ。
でも。
私は昔から、嘘をつかれることが嫌いだ。
理由はわかっている。
それは「父に裏切られた思い出」があるからだと思う。
幼少期に嘘をつかれ続けて、でも、幼少期の頃はまだまだ冷静に考えることができないから、
「自分のせいだ」と思ってしまう。
自分がこんなんだから裏切られるんだ、って。
そんなことないのにね。
でも、小さい私はそうやって自分を納得させてたのかもしれない。
それが私のその頃の生存戦略だったんだと思う。
そして、それが大人になっても変わらずにしみついてた、みたいな。
「自分のせいだ」
「自分がこんなんだから」
そんな思いがいつの間にか、
「自分なんて…」
という自己否定につながる。
そう思うと、小さい頃に作られた思い込みってなかなか怖いものがある。
じゃあどうすればいいのかって話だけど、
やっぱりまずは「気づく」ことが大事なんだ。
「自分にはこんな思い込みがあったんだ」って気づくことが、新しい考えを上書きするスタートになる。
気づこうと思ったら、自分としっかり向き合わないといけないんだけどね。
いい意味で「自分を疑う」のが大事だ。

さっきの息子の「怒られたくないから」という気持ち。
これも、一見そんなこと言っている息子の考え方があかんよって言いがちなんだけど、その前に考えることって実はあったりする。
それは、
「私の今までの注意の仕方に問題はなかったか?」
きつい怒り方をしていて、正直に言うのが怖くなるようにしてしまっていたんじゃないか?と自分を見つめ直すことができる。
「長男の性格で考えると、怒られたくないの真意はどうなのか?」
こちらが思っているほど、怖いと思っていなくて単純に怒られたくなかったと思うこともできれば、
自分に自信がないからこそ怒られると余計に自信がなくなるから言われたくないのか、と思う事もできる。
(自信がない方だったら、なぜ自信がないのか、という方向でまた掘り下げて考えていくことができる)
もしただの逃げだとしたら、そこは長男が乗り越えるべき課題だと考える事もできる。
色々と考えられることはあるけど、その中で大事なのは私にできることを考える事だ。
相手を変えようとしても、なかなか難しい。
自分ができる事を考える。
これは私のメンターの一人、アドラー先生が言っている言葉でもある。
今回、母は嘘をついた息子の話を聞いて、そして、今までもそういったことがあったのを傍でみていて分かっているからこそ、さっきの一言が出たんだと思う。
私も彼のそういった部分は見てきているしわかっている。
でも、彼がその行動をとる理由は必ずある。
だから、様子を見ながら、慎重に、その都度、息子と向き合って、その時に思う最適解の言動を取るようにしてきた。
でも、今回は、今までの様子を見てきたことも考慮しつつ、
さすがにそろそろ「これはしっかりと注意をしよう」と思ってあえて厳しく彼に注意をした。
そんなこんなで、
母が来るまでの間に息子とのやり取りを母に話すと、
私が思っていたよりも母が過剰に反応してきたのだ。
「このまま行くと、ほんまに将来が心配やな」
母はとても心配していた。
さっきも言っていたけど、
私も嘘をつかれる事はとても嫌だし、今までも子供たちにはそう伝えてきている。
だから子供たちも心の奥では「ダメ」と思っているのだ。
でも「怒られたくない」という気持ちが出てくる。
さっきも言ったけど、本当に、子供が「怒られたくない」と思うことはよくあることだ。
ただ、その中で、異様に隠したり、怯えたりしているんだったら気にしないといけない気はするけど、
そうじゃないのであればそこまで心配する必要はないのかなと思ったりする。
(もちろん、注意はするけど)
子供時代、私だって全く嘘をつかなかったかと言われたらそんな事は無いから(笑)、
今回はしっかり注意したけど、とにかくコツコツ向き合っていくしかないなと自分の中では思っていた。
だけど。
過剰に心配する母を目の前にして、急に私の心が反応しだしたのだ。
母が帰ってからもモヤモヤしている私の心。
なんだか落ち着かないし、しっくりこない。
こういう時は必ずヒントが隠れている。
自分に潜って、自分を知るためのヒントが。
なのでいつも通り、掘り下げてみましたよ(笑)
だって本当に、このままじゃあかん気がしたから。
さっきも言ったけど、冷静に考えると、
私だけではなく母も今まで散々、父や弟に嘘をつかれて苦労してきた。
(過去のブログにいろいろ載ってます。)
だから、とにかく「嘘をつかれること」に対して過剰に反応してしまうところがある。
私は、それに気づいてから、この自分の生きづらさを何とかしたくて、たくさん自分と向き合ってきた。
だから、ある程度、心が反応するたびに向き合って、受け入れて、手放せるものは手放してきた。
それでも、今回また反応してしまった。
自分の中では「まぁもう大丈夫だよね」と思って納得していたことなのに。
母の過剰な反応をみて、心が揺らいでしまった。
それはなぜか。
私が今回思ったのは、
私にとって「母からの影響はやっぱり大きいんだな」と言うことだ。
昔に作られた私の観念。
「私が母を助けなければ。私がしっかりしなければ」
こういった観念が、私の体を無意識に反応させたんだろうなと思う。
過剰に反応している母をみて「大丈夫かな、しんどいのかな」って心の奥で心配していたんだと思う。
でも。
もう私は母を守らなければいけない役割は降りたのだ。
母はもう大丈夫なんだ。
今の母は昔の母ではない。
改めて、そう思うと、心が落ち着いてきた。
この作業、一見地味なんだけど、これが潜在意識にとってはすごく大事だと思う。
こういった作業をコツコツ続けていったら、少しずつ、
私の観念は、上書きされていって、もっともっと手放しが進み、心も軽くなっていくと思う。
だから今回こうして掘り下げてよかった。

そして次は母の話だ。
母は色々と私や孫たちを見て心配してくれる。
今回の息子のこともそうだ。
息子の将来が心配になったのも、本当にその瞬間はそう思ったんだと思う。
(父のように、弟のようになってほしくないみたいな)
だけど。
私はこう思う。
母はきっと息子の問題を通して、自分を見ていた。
「嘘をつかれて、傷ついた自分」を見ていたんだと思う。
だから今回過剰に反応していたんだろうなと思った。
昔の自分を思い出し、まるで自分が嘘をつかれているような錯覚を起こし、
沸々と怒りがこみあげてきて、
その怒りがそのまま、息子への注意へ上乗せされていたから、いつもよりも異様に過剰な反応になってしまったんだなって。
私も息子と話をしていた時、
嘘をつかれたことに対して、過去の記憶がちらついていた。
だから、母の気持ちはよくわかる。
そして、こうやって記憶がちらつくことは、もうしょうがないことだと思っている。
過去の記憶をひっぱりだしてきているのは、無意識さんだ。
私が意識をして、どれだけ頑張ってもコントロールできない場所が無意識領域。
無意識が勝手にそうやって防御モードに入って、私を守るためにそんな感情や記憶を思い出させてるんだもの。
思い出したくない!と思ったって、それはなかなか難しいことだ。
でも、
できる事はある。
思い出されたその時、その瞬間に、
「この出来事と、昔の出来事は違うんだよ、だから傷つく必要はないよ」
と、自分に何度も言い聞かせること。
何度も何度もやってみる。
そうしていくと、いつも通りの思考回路、感情回路から、
違うルートが作り上げれられる。
思い出すたびに、そのルートが強化されていく。
だからこそ、
気づいて、自分に声をかけてあげることがものすごく大切なのです。
でも、母はそんな方法を知らない。
私みたいに、心の事について学んだりする機会や時間がなかった。
だから、その瞬間、
昔から続いてきていた生存戦略としての思考回路のままで、
息子を見ながら、傷ついていた頃の自分を思い出して、心が警戒モードになってしまった。
その時の悲しみがいろんな不安につながって、心配して、「このまま行くと心配やな」という発言に繋がったんだろうな。
私も「なんかいつもと違うな」という違和感があったもの。
異様に反応しているなって。
そういう「なんとなく」の感覚って本当に、結構正しいんだよ。
実は、その次の日、
母から電話があった。
「昨日はごめんね、言いすぎてたよね」って。
私が感じていた違和感を母自身も感じていたんだなってその時思った。
感情がグワーッと動く感じがあったんだと思う。
本当にいつも言っていますが、
感情が大きく動いている時は、必ず何かしらのサインが隠れている。
それは自分に潜るチャンスだ。
今回、私が思ったこと。
相手のためにと心配していることは、本当は自分からの心のサインかもしれない
という事だ。
向き合うべきは、相手ではなく、自分なのだ。
みんな色んな経験をしている。
本当にみんなそれぞれなんだ。
でも、その「経験」がやっぱりその人にとって必要なものだったんだろうなって思う。
どんなことであっても。
そう思いたくないこともあるけどね、私も。
でも、今回の気づきみたいに、そうやって自分自身で気づいて、勝手に自分で背負っていた重荷に気づいて、その荷物を一つずつ手放して行くことが、それぞれみんなの人生のテーマなんだろうなぁって思う事も少しあるよ。
(人生は深い)
母も今、自分の中で違和感に気づいて、何かしら考えてると思う。
それもまた、母にとっての大切な経験なんだろうなぁ。
みんな本当に、よく頑張っていますよ。(本当に)
いつも思っていることですが、
本当に、
「他者の存在があるからこそ、良いこともそうじゃないことも、すべてを学べる」
そう思います。
他者は自分の鏡。
そう思うと、やっぱり、感謝だなぁって。
このブログを読んでくださっているあなたにも、めちゃくちゃ感謝です。(ありがとうございます)
色々と話しましたが、気づき、学び多き出来事でした。(出来事にも感謝)
という事で、
いつも頑張っている自分にハグして、自分に「今日もありがとう」っていいましょう~
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
この後も素敵な時間をお過ごし下さい。ではまた~





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