傷ついた心に必要なのは正論じゃない。全肯定が生む「心の安全」

心をほどく言葉(気づき・違和感・感情の整理・生き方の視点)
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今日はまた「生きづらさの原因」について書こうと思います。

 

まぁ、生きづらさの原因って本当に色々あると思うんだけど。

やっぱり、小さい頃に作られた「思い込み」が関係してることが多いなとつくづくそう思った。

いろんな人の例え話を聞いているうちに、何かしらの「あなたが生きやすくなる」ためのヒントになるかもしれませんので、どうぞゆったりとした気持ちでお付き合いください。

(よろしくお願いします~)

 

____________________________________________

先日、ある人と喋った時の話。

その人は、私から見ると、とにかくアクティブで、物知りで、何でもできて。
すごいなーーーと思える人だ。

(ここからはその人を A さんと呼ぶことにするよ)

 

A さんと子育ての話になって、その延長で、A さんのお母様の話になった。

A さんが子供の頃、お母さんとはどういう関係性だったのか。

どんな言葉をかけられて、どんな態度を取られてきたのか。

 

たくさん話を聞いた。

 

色々と話を聞いているうちに私は思った。

 

「A さんは、お母さんに認められなかったんだな」と。

 

そう感じると、今までの色々に納得がいった。

A さん はさっきも言ったように、結構何でも器用にできる人だ。そして賢い。

だから、何と言うか、誰が見ても何でもできちゃうすごい人なのに、
みんなでワイワイと楽しく話をしている時に「何としてでも自分の意見を通したい」という瞬間があったりするのだ。

 

妙にそこにこだわるというか、執着があるというか。

その感情は特に、A さんのご主人に向けられているなと思うんだけれども。

 

「私が正しい」

「私と違うことをす夫のほうが、間違っている」

 

ある種、「怒り」とも取れるような感情が見え隠れする。

 

もちろん それは A さんのご主人との、今までの関係性でよりそう感じやすくなっているのかもしれない。

そうなんだけれども、一方で、そういった過去のお母様との関係性も影響しているんだろうなと私は思った。

 

A さんのお母様は、A さんに厳しかった。

時代背景もあったと思うんだけれども、

「女性とはこうあるべき」が強い人だった。

 

「こうあるべき」にという型に、何が何でもA さんをはめ込もうとした。

 

A さんには兄がいた。

そのお兄さんは、A さんのお母さんからすると、「自慢の息子」だったようだ。

 

そのお兄さんは、A さんのお母さんの「こうあるべき」にぴったりとはまったんだろう。

とにかくいつも、お兄さんを可愛がっていたらしい。

 

A さんの話を聞いていると、その当時の A さんのお母さんの表情や、言葉のニュアンスがすごくイメージできた。

 

シンプルに私は、悲しかっただろうな、と思った。

私はなんとなく「人の心の奥に感じてるもの」がわかるので(間違ってあるかもしれないけど(笑))、

A さんと話していると、A さんの心の中にある 叫びが聞こえてくるようだった。

 

「なんでお兄ちゃんばっかり!」

「私は本当はこうしたいのに!」

「私だって頑張ってる!」

「私を認めてよ!」

 

そんな声が聞こえて来るようだった。

 

最近ブログでよく書いているけれど、
こういった小さい頃からの出来事。

これらは、自分が生きていくために、
そう、まさに生存戦略として、自分の中で「観念」を作るときに影響している。

 

分かりやすく言うと、自分の中に思い込みを作って、そう思うことで「自分自身を守る」みたいなことを無意識にやっていたりするのだ。

A さんもきっと いろんな「生存戦略としての思い込み」を作ったんだろうなと思う。

 

それは、もう完全に潜在意識に刷り込まれて、
自分が生きていく時の指針になったりするから、
「そういうものだ」と思い込んでしまっていて、自分でもなかなか気づけない。

 

これは完全に私の仮説だけど、

A さんがいろんなことにアクティブにチャレンジして、いろんな知識を学んで、技術を学んで、たくさんできるようになったのは、

そういった「認められたい、お兄さんに負けたくない」という気持ちが、
知らず知らずのうちに「A さん の原動力」になっているのかもな、と思った。(あくまで私の仮説です)

 

もう少し私の仮説を広げていきますね。

 

例えばこういう思い込みを持っていると、それがある種、プラスのエネルギーになって、
「なにくそ!」という気持ちでどんどんエネルギッシュにやっていけるならいいと思う。

ただ。

これがまた間違った方に解釈されてしまうと、

「いろんなことができないと認められない」

「何もできない私は価値がない」

「常に何かを頑張っていなきゃいけない」

みたいな方向に行ってしまうことだってある。

 

A さんも、もしかしたら深層心理では、

「お兄さんのように完璧じゃないと認めてもらえない。そうじゃないと生きていく価値がない」

と思っているかもしれない。(自分では気づけないけど)

だから、
「自分は間違ってはいけないし、自分の意見を否定されることは許されない」
と思っているかもしれない。

 

いや本当に。

こういう事って結構あったりする。

もちろん私にだってあるから。(すべてはグラデーション、濃淡です)

 

だから、今回、本当に私は思った。

 

どれだけ周りから見て完璧に見えるような人でも、幼少期の親との関係性によって作られた「観念」が生きづらさを作っている場合がある、ということだ。

 

私から見ると本当に A さんは、

「そんな風に思わなくたって十分何でもできるし、本当にすごいのに」と思う。

 

だけど、時々 A さんから、

「許せない!」みたいな怒りの感情を感じることがある。

(その怒りは私に向けてではないよ)

 

でも今回。

今まで聞いたことのなかった A さんの過去、しかもAさんにとっては向き合いたくない悲しい記憶を私に話してくれた。

それは、とてもいいことだよなーと思った。

 

それを言葉に出して、自分の中から外に出せるということはすごく大事だ。

本当に傷ついていて、向き合う力がなければ、記憶の中の蓋はかたくなに閉じたままだし、思い出すことすらできないかもしれない。

 

私に話しているその瞬間は怒りに満ちていても、まずは自分の心の中から出すことができるのが本当に大事だ。

言葉に出すというのは「それがある」とわかっていなければ出せない。

言葉に出して「見える化」するだけで、それと向き合う準備ができる。

 

聞く側の人ができることって何だろうと考えた時に、私が思うことは、

「まずは、ありのままのその人の気持ちを受け止める」ということだ。

 

話している内容にジャッジをしない。
そこに「自分のものさし」を当てはめない。
ただそのままを受け止めるだけ。

「そうか、そうだったんだね」って。

 

そして相手が悲しそうな感じだったら「それはつらかったね」と共感し、
怒りを感じているようだったら「それは嫌な気持ちだったね」と共感する。

 

共感するだけで、否定はしない。全肯定だ。

 

私はカウンセラーではないので、プロのやり方とは違うかもしれないけれど、やっぱり全部まずは受け止めることだよなと思ったりしている。

もちろん共感のやり方を間違えると、「怒りの感情を倍増させてしまう」かもしれないし、
余計に相手が「その感情にとらわれてしまう」かもしれない。

だからそこには注意が必要なんだけど。

 

でもやっぱり認めてもらうことで、受け止めてもらうことで、相手はすごく安心する。
心の安全を確信できて初めて、出来事に対してまた違う角度で見ることができたりする。

心の安全を確信できて、心が満たされて。

その順番が大事だなって。

 

人によっては、心が満たされるまではものすごく時間がかかるかもしれない。

だけど、まずはやっぱりそこが大事なんだなって思います。

 

私だって話をしている時に、相手から「いや、とは言うけれど、あなたにも非があるんじゃない?」みたいなことを言われてしまうと、
それが図星だったとしても、どうしても反発心が強くなってしまって、素直に受け止められなかったりする。

そういう意見はとてもありがたいんだけれど、まず心が満たされてからじゃないと本当の意味で「向き合うこと」ができない。

フラットに物事を見ることができなかったりするのだ。

 

人間って心の余裕があって初めて、相手に優しくなれたりする。

もちろん最初から、どんな時でも、余裕がなくても、相手に優しくなれたらいいんだけど、
そこで無理して我慢して、相手を優先しちゃうとまた心がしんどくなっちゃって病気になったりするから、
自分を大事にすることが先決。

心の安全が確保されて、心に余裕ができて初めて「もしかして、違う見方があるのかもしれない」と思えたりするものだ。

 

だからとにかく、聞く側に回った時は、すべてをそのまま受け止める。

それがいつもできる人でありたいなと、自分でもそう思っています。

今回改めて学びになった。(感謝感謝です)

 

なので本当に今回思ったことは、

それほど「幼少期の親子関係」というのは生きづらさに関係していることもあるということだ。(もちろん全部が全部ではないですよ)

 

自分が生きづらさを感じている時、なぜこんなに苦しいのか?と考えた時。

自分の中にある「こうあるべき」の根源はどこにあるのか?を考えてみる。

 

「それはお母さんが自分に言っていたことじゃないのか?」

「それはお母さんによく怒られていたことじゃないのか?」

 

そうやって掘り下げてみる。

そして、もし本当にそうだったとしたら、
そこに気づけたとしたら、とってもチャンスだったりする。

 

そこにもう一つの視点をプラスする。

「お母さんも、そうやって育てられたのかもしれない」

「その時の時代の価値観がそうだったのかもしれない」

 

だから「そうせざるを得なかったのかもしれない」

 

そんな視点をプラスしてみると、もしかしたらまた違った何かが見えてくるかもしれない。

少しずつ少しずつでいい。

そうやって掘り下げていくと、自分がかたくなに守ってきたものは、そうじゃないとだめだと信じ込んでいたものは、

案外、あっさりと手放すことができるかもしれない。

 

だってみんな人間だもの。

間違えて当たり前だ。

自分だってたくさん間違えてるから。

 

もう一つだけ別の見方を。

子供の頃からすると「お母さん」という存在は絶対的な存在だったりする。(だって実際に命に関係するから。育ててもらわないと生きていけない)

「お母さんが言うことは間違いない」

そう思っていたりする。

 

でも、お母さんだって完璧ではない。


子供が生まれて「お母さん」になるけど、呼ばれ方が変わっただけで、急に「完璧なお母さん」になれているわけではない。

さっきも言ったように、いろんなことがあって、お母さん自身も自分を守るための「思い込み」を作っていたりする。

それをそのまま、子供に伝えるわけだから。

なので「お母さんが言う事は絶対に正しい」なんてことはないはずだ。

 

自分が大人になって、お母さんを「1人の人間」として見れるようになった時に、
もう一度振り返ってみることは大事だなと思う。

「お母さんも恐れがあったのかもしれないな」

「信じることが怖かったのかもしれない」

 

そんな風に、今まで思ったこともないような感情が出てくるかもしれない。

そうするとまた「見え方」が変わってくる。

 

だから、本当に、絶対に「こうしなきゃいけない」なんてものはないんだよなー。

みんな人間だもの。。。

完璧な人なんていない。

 

そして、それでいい。

そうしながら、いろんな経験をして、傷ついて、涙して、心を育てていく。

 

分かち合って、絆を深めていく。

私たちはAIではないから。

非効率でも、不器用でも、時間がかかっても、遠回りしても。

そこからじゃないと見えない景色がある。

それが人間だ。

 

と、ここまで来て、もう一度。

もう一度言いますよ。

 

心の安全が確信できるまで、心の余裕が持てるようになるまで、

時間がかかっても大丈夫。

 

みんなそれぞれ、自分のタイミングがあるのです。

 

誰かのタイミングに合わせなくても大丈夫。

 

すぐに許せなくても大丈夫。

ゆっくり、ゆったり生きましょう~。

 

という事で、今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

このあとも素敵な時間をお過ごしください。ではまた~

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