「あの人もあの人も、みんな私である」
先日、このような名言ぽいセリフが私の頭の中にポッと出てきた。(いや、名言か?w)
これには理由がある。
この前「相談に乗ってほしい」と言われて、知人の話を聞くことがあった。
さて。
私の人生、
「ちょっと話を聞いて下さい」
「ちょっと悩み事を聞いてほしい」
と言われることが多かった。
ありがたいことだ。
相談相手の対象にしてもらえるなんて、本当にありがたい。
その時、私の知識、経験、すべてを総動員して、話を聞くことに集中していた。
「悩みが解消できるように」
「前向きになれるように」
そんな想いでいた。
だから、話を聞いて、「これだったら役に立つのでは?」と思うような情報を言ったり、説明したりしていた。それが私の精一杯だった。
私も歳を重ねて、経験を重ねて、少しずつでも成長している。(はず?)
ここ最近、特に気をつけているのは、
「問題を解決するのは、相手自身。相手の課題を奪っていはいけない」ということだ。
「私が何とかしなければ…」というのはおこがましい。
わかっているのに、ついつい力んでしまう。
「ちょっとでも…」と、相手の状態を自分の理想に近づけようとする「エゴ」が発動しないように、私はただ「相手のそのままを受け止める」という事に意識を注いでいる。
というか、本当に、そう、気をつけている(汗)
でも、どうしても「エゴ」がちらつく。
もちろん、心の中でとどまっているんだけど、
すると、そのあと、モヤモヤが続くんだよな~(笑)
客観的に相手の話を聞いていると、ある程度、どうすればいいのか?という具体的な行動が自分のなかに出てくる。
それは、私も同じ「悩み」を経験しているからだ。
何度も行動して、でも、また同じところでつまずくのは、「本質的なところ」が変わっていないから。
それは、嫌と言うほど経験してきている。
でも、そこを「自覚」するのは簡単なことではない。
「結局、自分のせい(自分次第)なのか~!」
となるのには、「自己受容」できていることが大前提だ。
自分の長所も短所も。
自分の光と影も。
そんな「ネガティブ」なものがある自分も、全部、受け止めることができて初めて、
本当の意味で「自分次第!」の言葉が効いてくる。
でも、まだ、知人はその段階ではなかった。
圧倒的に、自分で自分を認めていないかった。
だから、とにかく、話を聞いて、共感して、そして、「そのままでいいんだよ、あなたは十分頑張っているよ、素敵だよ」という気持ちを持って相づちを打っていた。
ついこの前までの「私」を見ているようだ。本当に。
自分に自信がなくて、なんでも自分のせいだと思ってしまう。
そんな自己肯定感の人に「すべては自分次第です。自覚しましょう」なんて言ったら、その人のガラスのような繊細な自己肯定感は完全に粉々になってしまう。
私は、以前、友達に「それでもユリはいいやん!」「なんでそんなこと思うん?大丈夫やって!」とダメだと思っている自分をさらけ出しても尚、「それでいいやん!」と言ってもらえたことに本当に救われた。
良いもアカンもひっくるめて包み込んでもらえた気がして、本当に本当に救われたのだ。
(でも、友達はきっとそんな感じでは言ってないんだけどね(笑)ただ、サバっといってくれた感じなんだけど、私にはありがたかった)
おかげで少しずつ、現実に向き合う「勇気」を持つことができた。
色々端折って今がある。(端折るんかい)
今だったら、厳しい意見、正論の意味がすごくわかるんだよ。
「可愛そうな自分でいることで得ているメリットがある」
「自分がダメな奴と思う事で、行動しなくていいから、逃げていることになる」
こういった意見が、非常に沁みる。
でも、心がボロボロの状態の時に言われると、「なんでそんなこと言うん!?だって、私がこうなったのは、アレのせいやのに!」とますます他人や自分以外のせいにしたくなって、肝心なところが見えなくなる。
あぁ、すべて経験してきてますよ。はい。
だから、本当は、「自覚」して、「自分が見たくない自分を見つめて」がっつり凹むことが一番最短ではあるんだけど。
いかんせん、めちゃクチャ、精神的ダメージはある。
どん底まで落ちたら、上がるしかないんだけど、そこまでの「勇気」がないと、本当に厳しい。
もちろん、それで、ガツーンとへこんで一気に抜け出せる人もいるんだけどね。
それは、その人の性格、背負ってきたもの、育ってきた背景、なんかもう、いろんな物が、グラデーションになって関係しているから。人それぞれだ。
知人は甘えたくても甘えられない状況に早くからなっていた。
「しっかりしなきゃ、いい子じゃなきゃ愛してもらえない、見てもらえない」そんな信念を気づかないうちにプログラミングしてしまったんだろうなと、私は思った。
「頑張っている私を認めて!」
そんな心の叫びが聞こえてくるような気がした。
旦那さんに対しても、感情コントロールがきかずに、感情をぶつけてしまう。
悪いなと思っていてもやってしまう。
その奥には、それでも、「こんな私でも私を愛してくれる?」という「不安」があるのではないかな、と、そんなことも思った。まぁ、あくまで想像だけど。
今、そんな知人に必要なのは、そのままを受け止めることなんだと思う。
「こんな私じゃだめだ」と思っている「私」を、そのまま受け止める。
その気持ちをもって、会話の端々にエッセンスをちりばめる。
そうするのが、今回の一番の最適解なのかなと思って、私はそうした。
もちろん、根本的な部分は解決していないから、また、定期的に同じ状態になると思う。
でも、それさえも含めて、丸ごと受け止めようと私は思っている。それが今の私にできる精一杯の事だ。
そして、今読んでいる本でもあることが書いてあって、「ほんまやな、それが大事やな」と思った事がある。
私が相手に対して思う感情は、目に見えなくても必ず伝わっているという事だ。
心は見えないけど、意識も見えないけど、やはり相手には伝わっている。
「こうすればいいのに」
「こうなってほしい」
という自分の相手へのコントロールしたい欲求は相手にも無意識の部分で伝わっている。
その見えない圧は確実に伝わっていて、相手をさらに「反発」させてしまうことがある。(無意識でも)
これって、何となく、わかる気がする。
肌感で感じるし、自分にも経験がある。
そういうものを相手から感じると、なんとなく、逆の方向に進みたくなる気がする、そんな感じ。
「こうすればいいのに」「こうなってほしい」は私のエゴだ。
誰だって相手にコントロールされたくない。
だからこそ、相手がどうのこうのと考えるのではなく、
自分を見る。自分と向き合う。自分に問う。
結局は自分が心から、
相手を信じることができているのか?
自分に恐れや不安はないのか?と、自問自答することが大切なんだ。
無理やりポジティブにそう思うのではだめだ。
心の底からそう思えている状態になっているかが大事。
私が心から、真っ直ぐに、
「知人はきっと乗り越える事ができる」と思っていれば、
「反発心」は生まれる事はないし、むしろ、受容している気持ちも伝わって、
無意識な部分できっと相手にも伝わり、結果的に、前向きな方向に進んでいく。
そんな事が本には書いてあった。
私はその考えを採用したい。
だから、今回、話を聞いたあと、モヤモヤした自分と向き合った。散々考えて、思った。
「結局は私次第なんだ」という事だ。
「もっとこうすればいいのに、なんでそう思うんだろう」
「もっとこう考えれば、繰り返さなくていいのに」
そんな「エゴ」があることも認めて、「そうか、私はそう思っているんだな」と認める。
その後、ただただ、相手をそのまま受け止めよう、と思った。
そして、私はもう大丈夫なんて顔してブログをかいてるけど、全然そんなことない。
今もいろんな感情で揺れ動くことは沢山ある。
反省だって毎日のようにしてる。
ただ、同じような悩み事を知人より先にちょっと、自分の中での解決策、納得する答えを見つけただけだ。
この前までは、私も知人と同じ感情になっていた。
だから「もっとこうすればいいのに」と思う自分が偉そうな気がして、反省した。
そんなことを思いたいんじゃない、私は。
で、そんな「エゴ」が出てきた時にふと、あの言葉が降りてきたのだ。
「あの人もあの人も、みんな私である」
そう。
何か「感情」が動いたとき、そう自分に言葉をかける。
つい「偉そうな自分」になっちゃいそうな時、その言葉を思い出す。
みんな私なんだ。
スピっぽくいうと、みんなつながってる。
仏教っぽくいうと、自他一如(じたいちにょ)
「あの人」は、昨日までの私かもしれない。
「あの人」は、未来の私かもしれない。
そして、それぞれ、みんな、「学びはその人にとってベストなタイミングがある」
これも、自分の中で、思い出してみる。
そうすると、自分の中に出てきた「エゴ」が小さくなってくる。
そして、感じていたモヤモヤも小さくなって、
知人に対して「きっと大丈夫、乗り越える事ができるよ」と温かい気持ちになった。
「パワーか、フォースか」という著書のデヴィッド・R・ホーキンズ博士によると、
意識レベルが700~1000の最高レベルに達していると(ブッダやキリストとか)、その人と一緒の空間にいるだけで、意識エネルギーの引き上げが起こるらしい。
すんげーや!
もちろん、そこまで行ったら「悟ってる」ってことなんだけどね。
でも、ただ、存在しているだけで、目を見つめるだけで、相手が安心し、愛を感じ、前向きになれるなんて、素晴らしいよね。
そんな存在になりたいなぁ。
でも、近づくことはできるから、私も意識しよ~っと。(目標を持つことは良いことだ)
今回、知人との話を通じて、自分の中で沸き起こった感情、エゴの部分、コントロール欲求、そんな自分を改めて見つめる事が出来た。
知人も私も、これでいい。
それぞれのペースでいい感じだ。
どれが最適解なのかは、その都度、変わる。
そして、これもまたそれでいい。
どんなことでも、今現在の私の状況も人間関係も、すべて、私の状態の写し鏡だ。
すべてが私に教えてくれている。
ありがたや~
「どんなあなたも、素敵なあなた」
「人は無条件に存在していい」
「出来事は何も私を傷つけない。傷つけているのはいつも私の思考だ」
なんか締まりが悪くなった!?けど(笑)今日はこれで終わります。
今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました。この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~





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