怒っている過去の自分と許したい今の自分。父から聞く初めての本音。

がんばりすぎた日々の話 (過去の体験 ・親・家族・夫婦 ・子育ての中の自分)
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今私は混乱している。

そう、混乱している。でも、書くよ。まとまってないまま、書くよ。(書くんかい)

 

さっき、父が家にやってきた。私はたまたま仕事が休みだった。

父からメールが来た時、正直、めんどくさかった。

この前ブログでも、父への思いを色々手放して、楽になったって言ってたけど、やっぱり、一瞬「なんか嫌やな」って思った(笑)

いや、でもね。これが大事だと思うのだ。

正直に「嫌やな」って思った、と表現すること。

そこまでは全然いいんだよ。「感じる」ことは自然なことだ。
でもそこに、その感情に、「良し悪し」のジャッジを加えるとややこしくなる。

だから、ジャッジはしないようにして、とにかく思った事を正直に書いたよ。

 

でも、これも、何が嫌だったのか、深めてみると、何個かの仮説が出てくるよなーと思った。

 

前にも書いたけど、思った事は4つだ。


昔、父に散々苦労させられたのに、今は何事もなかったように接されることへの怒り。

本当に必要な時(助けてほしい時)には私のことなんて見向きもしなかったのに、今になって逆に私を構ってくる調子の良さへの怒り。

加害者はやったことを簡単に忘れるのに、被害者は被害を受けた苦しみ、悲しみをまず乗り越えなきゃいけないのに、さらに、今度は加害者を許すという壁を乗り越えなくてはならない、何とも言えないやるせなさ。

許すのに時間がかかっている自分への罪悪感、そして、これは本来なら感じなくてよかった罪悪感なのに、という怒り。

なんかわからないけど、そんな感情があるんだなーって、自分の心を見つめたときにそう思った。

 

私の中には「怒り」や「もどかしさ」や「悔しさ」があった。

でも。

何度も重複するけど、心はグラデーションである。

自分の中には「色んな自分」が共存している。

 

怒っている自分もいれば、許したい自分もいて、でも、すでに許している自分もいたり、もうどうでもよくなっている自分もいる。

日によって濃淡は変わって、その都度、その瞬間、主役も変わる。

 

今日は「怒っている自分」が主役になってしまったんだろう。

 

色んな仮説が湧き上がる中に、そう思う自分もいた。

 

と思っていると、また、違う仮説がでてきた。
自分の中をこうして見つめていると、気持ちが落ち着いてきて、また違う見方が出てくる時もある。

 

「日によって濃淡があるのは確か。でも、それを私も、自分の都合のいいように解釈してるのかもしれないな」って。

そんな事を言う自分も出てきた。

 

時に、父を悪者にしたい私。

時に、自分の都合のいいように解釈したい私。

 

父が家族を困らせてきたことは事実だ。

でも、それもまた、父のせいでトラウマになったと解釈する事もあれば、ただの私のコンデション、気分でそうなっている時もあるのかもしれない。

そう思った。

 

そして、そんな自分を見つめる。
責めるわけではないし、自己嫌悪に陥るわけでもない。

ただ見つめる。

 

もちろん、どこかで、「まだ、そこの位置にいるんだな、私の心は」とショックな自分もいる。

一体、いつになったら…って。

 

でも、それも、しょうがない。自分の記憶が真っ白になることはないもんね。ただ、その都度、自分がその記憶に対して与える意味が変わるだけだ。

だからこそ、事実をただ認める。今はやはりそれが大事だと思っている。

 

急いではいけない。やはり心は複雑だ。
シンプルと複雑が入り混じっている。

 

でも。

…複雑だと思いたい自分がいるのか?

 

うーん、もはや禅問答になってしまって終わりがない(笑)

その時の答えが出ても、それはその時に「採用」しただけで、唯一無二の答えではない。

 

答えを「決めてしまえば」楽になるんだろうな。
でも、私はどうしても考えてしまうなぁ、、、

 

そんな事を、今回の父の訪問で思っていた。

 

父が来るまでは、怒っている自分と、許したい自分が葛藤していたけど、いざ、父が来ると許したい自分が優位になって、さっきまでの葛藤や苛立つ気持ちはどこかへ消えていた。

だって、そうだよね。私は父の全部が嫌いなわけではない。父の事を好きな自分もいる。(いや、好きという言葉を打ちながら、好き…ではないかも、と思ったけどwまぁ、嫌いではない感じ。普通ってかんじ(笑))

人間だもの。長所短所があって当たり前だ。私にだって色々ある。白の中に黒があって、黒の中に白がある。

父と喋りながら「そうだよな、会ってしまうと、もう大丈夫なんだよな。でもなんで、この感覚忘れてしまうんやろうな~」とそんなことも考えていた。

 

父と二人だけで話す。

昔だったらあり得ない光景だ。

 

そして、色んな話をする中で、父から母のことも聞く。

父から見る、最近の母との家でのやり取りの様子。父が感じている色々な気持ち。

 

会話のラリーをしていて思うことは、父は基本、言う事が本質とズレていることも多いのだが、でも、実は結構わかっていて、あえて言ってないことも沢山あるんだな、という事だ。

特に母の事。父なりに思っていることはたくさんあるんだろうなって思った。

私は二人の娘である。

そして、今まで散々経験させてもらったおかげで、人の心の奥の気持ちも何となくわかるようになってしまった。(間違ってるかもしれんけど)

だから、二人のいい所、そうじゃない所もよくわかっている。(つもりだ)

 

だからこそ、母が父に対して思っていること。
父が母に対して思っていることに「ズレ」があることに気づいてしまう。

母が思っているより、父は結構、わかっている。
でも、父の言葉のチョイスが悪かったり、言葉足らずなせいで勘違いしてるんだろうなって思う。

だから、母は「父はわかっていない」と思っている。

 

ただ、ここで、また今回、違う仮説が私の中で浮かんだ。

 

もしかしたら、母が父の事を「わかっていない」と思いたいだけなのかもしれないなーって。

わかりやすく言うと、ちょっと乱暴な言い方だけど、父の事を「下に見ている」みたいな、そんなニュアンス。もちろん、母には自覚はないと思う。悪気もないと思う。

父が大病して、後遺症が残って…、だから前の父よりも色々できなくなって、私の方ができる、私がいなきゃだめなんだから、と思いたい、みたいな。

 

そこで、自分の存在価値を確かめてる、みたいな。

 

いや、あくまで仮説なんだけどね。

言いたいこと言ってるな、私(汗)
でも、本音を書くのが大事かなって。
(ちょっとでも感じた仮説を書いてるだけで、あくまで可能性の話をしているだけですよ)

 

父は確かに、大病する前に比べたらテンポは遅くなっている。そして、若干、話している内容とズレたことも言う。だけど、しっかり、ちゃんとわかっている所もある。確実に。

私は今回、父と話して改めてそう思った。

 

話をしていて、父が昔、ギャンブル依存症だった時の話になった。

すると、今まで、一切言ってこなかった、母との関係、その時、自分が感じていたことを話してくれた。

 

私はそれを聞いて「そうか、そうだったんだな、なるほどな」と思った。
まぁでも、だからと言って、ギャンブル依存症を肯定するわけではない。もちろん。

そして、それがもし、父の都合のよい言い訳だったとして、父がやってきた事が「チャラ」になるわけではない。

私は悲しかった。苦労した。それもまた、事実だ。

 

だけど、やっぱり、みんな「きっかけ」ってある。

それはどんな小さなことでも、後に、それが大きくなっていくこともある。
問題のほとんどは、最初は些細なすれ違いから始まることがほとんどだ。

父は父で、思う事、嫌な気持ち、寂しい気持ちを感じてたんだなって今回聞いて初めて思った。

 

私は母のヒステリックな所、感情的に怒るとめちゃくちゃ怖い所、機嫌が悪い態度で周りに圧をかける所(本人には自覚無し)、そんな、いわゆる母の短所も小さい頃から散々経験してきてわかっている。

母は家では、隠れ女王様みたいな感じ。本人は謙虚で、気を遣う性格で、私なんて…って思っているけど。

でも、家族には、そういった一面を、わざとではなくても出してくる。

 

だから、私は父が逃げたかったんだな、って思った。そういう母の短所が強めに出ている時間帯(つまり機嫌が悪い時)に、父は母と話し合わずに、向きあう勇気がなかったのかもしれないな~って、今回、初めて思った。

今までは、父はただのギャンブル好きで…って思ってたけど、それが全ての原因ではなかったのかもしれないなって。

たくさんの「きっかけ」が絡み合って、そうなったのかもしれないなって。

もちろん、仮説だけどね。

 

父もその時、我慢せず、逃げず、夫婦で話し合えば、もしかしたら、また違ったのかもしれない。

でも、そんなこと考えてもしょうがない。過去は変えられないから。

ただ、本当に、物事に0:100はないんだよなーって思った。

どっちもが関係していて、複雑に絡み合っている。

 

父も変わったなー、本当に。

娘の私にそんな昔の心の深い部分を教えてくれるなんて。
そんな自分を知られたくないだろうに。だって、父は父で、プライドが高い。でも、父は話してくれた。
本当に、昔の父とは違うんだな、と思った。

 

そのあと、私が昔から感じていた母の事を話した。

娘として、父に話をした。

母が精神的に不安定で、感情が爆発した時は怖かったこと。いつも私は母の機嫌を伺っていたこと。それは今でも同じで機嫌を伺ってしまうということ。そうやって私は生きてたんだよって言えたことは良かった。

まぁでも、父がどこまでそれを受け止めてくれたかはわからんけど(笑)
別にいい。父が理解することよりも、私が我慢せず、思った事を言えたことに価値がある。

これは別に母への悪口ではない。それは、はっきりしておく。

ただ「そういう事もあったんだよ、あなたの知らないところでは」という意味で父に伝えられたことは良かった。

 

これらは、もちろん母には言えないことだ。絶対に言わない。

 

でも、こんなことをつらつらと書いてるけど、決して私が被害者で、私が正義で、親が間違っている!と言いたいわけではない。

人間、完璧ではないことはわかっている。

私だって完璧ではない。ブラックな部分もたくさんある。子育てをしながら、反省の日々だ。

でも、そうしながらみんな、悩んで、後悔して、学んで、成長していく。

 

父と会話して、また、父への理解が深まった。

そして、母は母で、良く話すから理解は深まっている。

 

父と母の間に入って、客観的に二人を見ていて思う事は、どちらも、それぞれの立場で一生懸命生きてるんだなってことだ。

それぞれの言い分、主張、どれもが、そえぞれに見えている世界観で本当の事で、嘘はない。

 

さて、私はどうしたいのか。

ここで私が「実はね…」と2人の間に入って説明をしても、多分それは余計なおせっかいなんだろうと思う。

だからこのままにしておく。

2人が娘に対して見せている顔、夫婦同士で見せている顔は違うはずだ。

私が知らないこともきっとあるだろう。それでいいんだよ。私が全部知る必要はない。

 

全部、細かくは書けないけど、私も今回いろんな感情になって、思うことはたくさんあるけど、
これはこれで私の学びだ。

 

私は私で、私の人生を生きる。

漠然としてるけど、改めてそう思った。

 

今回は、特に、歯切れの悪い文章になっちゃってすいません(笑)

仮説を立てたからなんだよって、思う人もいるだろうなぁ。

 

でも、私は、人間って「そういうもの」なんだと思う事が大事だと思っていて。

悪いことしたから、全否定して、謝罪を求めて、相手を立ち直れないようにする、、、というのは違うと思っていて、
その都度「私にだってあるよな、そういう部分」って思って「自分という人間の認識の幅」を広めていくことが大事かなって思っている。そう、受容だ。

 

だから、色んな仮説を立てることで「もしかしたら」と「多角的に相手を理解」することにもつながるのかなって。

その先にあるものが「愛」だったら素敵だと思うし、100点の解答かもしれないけど、私はそこまで優等生ではない(笑)

ただ、わからないけど、色んな仮説を立てて「もしかしたら」と思って、少しでもそういう自分でいる事がいいなって今は思うからそうしています。

 

そして、これからもそうしますよ(笑)

長々と、わかりにくい文章を、最後まで読んでくださって本当にありがとうございます!

ということで、

今日も私、頑張りました!(笑)本当に!(笑)

そして、あなたも本当にお疲れ様でした。

この後も、どうか素敵な時間をお過ごしください。それでは、また~!

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