2025-06

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スピリチュアル

執着を手放すということに感じる心の軽さとモヤモヤ。その理由はなに?

「執着を手放す」ってどういうことか。それを今日は改めて考えてみます。この問いを考えるといつも、納得しつつモヤって終わるということによくなるので、今日はとことんモヤってみよう。(なんだそれ。でも逆にスッキリするかもしれないしね) 「執着を手放す」この意味を考える。「手放す」はシンプルに考えるとじぶんの中にあったものを「捨てる」って感じだ。(もしくはバイバイするみたいな)
アドラー心理学

すべての「行動」には本人にとってなにかしらのメリットがあるという話

「すべての行動には本人にとってなにかしらのメリットがある」これはアドラー心理学で学んだことだ。(目的論)どんな行動でもそう。例えそれがネガティブな行動だとしても。子供が朝腹痛を訴えてきて、学校を休んだとしても、腹痛が原因ではなく「学校を休みたい」という目的が「腹痛」を起こしたという考えかた。まだほかにも考えられる。
生きるための引き出し

五感をとおした刺激に対してどう「反応」しているのかというだけ

今日は当たり前の事を言いますyo。いつもしている事を改めて言葉にしてみますyo。でも完全に私の偏った思い込みですyo。それでもお付き合いいただけると幸いですyo。はい。先日ふと思った。 「そうか、私たちは刺激に対してただ反応しているだけなんだな」と。 私たちは電気信号で動いている。感情も電気信号だ。電気信号で動いているって人間も機械見たいやな。
スピリチュアル

生きづらさを軽減するには?自分責めが止まらない?ネガティブも必要と思う考え方。

「生きづらい」この文言、最近では本当によく目にするようになった。みんな生きづらさを感じている。色んな理由があるよね。きっと。自由なのに、自由じゃない。息苦しい。そんな感じだ。 私も定期的にやってくる感情がある。その波が来るとしばらくの間は「自分責め」思考がひどくなる。この前もその思考につかまった。そしてそれがしばらく続いた。しんどかった。
生きるための引き出し

正義の反対は「悪」じゃなかったのか。視野がちょっと広くなる考え方

「正義」の反対は?と聞かれたらすぐに思い浮かぶのは「悪」という言葉。だって昔から「正義のヒーロー」とか「悪の組織」とかそんな感じで漫画とか見て育ってきてるから「正義」の反対は「悪」じゃないなんて考えたことなかった。疑うことすらなかったというか。こういうのってよくあるよなーと思う。自分の中で「当たり前」だと思いすぎて疑問にならない。でもこれこそが危険だよね。思考停止だー。
スピリチュアル

ブーメランの法則。嫌なときは受け取らなければ返ってくんだね

生活していると自分の心が動く瞬間ってたくさんある。嬉しい感情も嫌な感情も。嫌な感情、つまりネガティブな感情を抱いた時、いろんな視点を持って対処することができる。ネガティブ感情がわいて来た時は「チャンス」と捉えて、出来事のどの部分に心が反応したのか?を考えると自分の気づかなかった思い込みや価値観に気づくことができる。
心豊かに生きる

「暇」と「退屈」と「思考停止」と「不安と恐怖」。そんなひとりごと

今日のタイトル。自分で声に出してみて思わずツッコんだ。「誰が読むねん」って。なんか面白くなさそうなタイトルですが、想像通り面白くないと思いますwでもなんか、思うことをつらつらと話したい。いや、話させてください。(お願いします)それでも読んでくださるそこのあなた。本当に大好きです。(マジ感謝してます)先日こんな本を読んだ。
スピリチュアル

「意識と周波数」ご機嫌な状態を徹底するとはつまりこういうことか!

最近、ブログを書きたくてもなんかかけなかった。書きたいのに書けない。「ブログを書く」という行為は自分の想いを「出す」ということだから排泄欲に似ているなと思う出そうと思ったら溜まっていないと出せないわけで、つまり、インプットが足りてなかったのかもしれない。どんな時に「書きたい」と思うのか。それは、何かしらの「刺激」を受けて自分の心が反応し、自分の中で何かしらの「おもい」がつくられる。それが溜まってくると「出したい」という欲求にかられる。
心豊かに生きる

なんでも「自分がしなきゃ」と思ってしまう思考のクセに気づくこと

先日は色々とあった1日だった。みんな色々あるよね。本当に。いろんな人生がある。この世に生まれてくる前に、自分で人生のプランを考えて生まれてくるってスピリチュアルな話を聞いたことがある。そうか。この私の人生もまた、結局は自分で決めてきてるのか。私の人生の使命はなんだろうな。なんかわからんけど、なんとなく「許す」か「信じる」な気がするな。それは他人に対しても自分に対しても。
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