感謝できない自分にモヤモヤ。「当たり前」への執着を手放すまで

心をほどく言葉(気づき・違和感・感情の整理・生き方の視点)
スポンサーリンク
※本サイトのコンテンツには広告が含まれている場合があります
※本サイトのコンテンツには広告が含まれている場合があります

 

心と体が分離している。

 
これは今の私の状態だ。


「何事にも感謝」
「あぁ、ありがたい」

 

この前まではそれが「当たり前」だった。

 

初期設定に「ありがたい」がある。
それは考えずとも、自然に体から滲み出てくる感覚に近い。

 

だけど。

 

今、私は「ありがたいな」と思おうとして
「ありがたい」と言っている。

 

つまり、そこに乗っているはずの感情が少ない

 

まさに「形」だけでそう言ってしまっている。
そんな気がする。

 

だから、とても、モヤモヤする。

 

お母さんに怒られた子供が、
「ごめんなさいは!?」と言われてとりあえず「ごめんなさい」という感じ。
その子供は本当は「ごめんなさい」って思ってないんだもの。

 

心と体が分離している。

そりゃ、気持ちが悪い。

 

でも。
ちょっと前まではそれは「形だけ」ではなかった。
確かにそこに「心」があった。

 

なぜ今、私はこうなっているんだろう。

シンプルにそう思う。

 

たまにある、心の不調。
バイオリズムが下がっている時。
ホルモンバランスの乱れ。
睡眠不足。
物理的に自分と向き合う時間がないところからくるストレス。

なんか、いろんなことが重なっているのかもしれない。

 

わかってる。
わかっているよ。

こういう時に「した方がいいこと」は。


無理矢理にでも自分の時間を作ってみる。
自分優先で動いてみる。
考えすぎが酷くなってるから、考えないようにする。
没入できる事をする。
プラスの言葉を発する。
良いイメージをする。

形だけでもいいから「ありがとう」という。


いろんな方法がある。
わかってる。

 

そうすれば「うまくいく」こともある。

気づけばそこから「抜け出している」こともある。


だけど。


「こうすればいい」がわかっているはずなのに、それがうまくいかない。

いつも通りの「やり方」が通用しない。

 

いつになったら「ここ」から「抜け出せるのだろう」と思う。

いや、私にその「やる気」がないのかもしれない。


そうしたくないのかもしれない。


……わからない。


自分のことなのにね。

 


そもそも、そんなに急がなくていいのかな、とも思う。
だって何でも「流れ」があるから。
流れるがまま、身を委ねればいいのかもしれない。

 

私がわざわざ「それ」を「掴む」から、
私がわざわざ「それ」に「気づく」から、

そう思うこともある。 

 


私はどうなりたい?

私は。

 

私はただ、素直にそのまま、
「ありがとう」
と思いたい。

 

それが「当たり前」だった時みたいに。

 


この状態は、私の傲慢さからくるものなんだろうか。

だって謙虚になれば、何だって、
「ありがたい」ものだ。


たとえ嫌なことがあっても、
それでも、その中から「ありがたい」を見つけることができていた。


だけど、今はそれにすごく手こずっている。


頭ではわかっている。

理屈では

 


でも、心がなんか、踏ん張ってる。その場所で。

 

今ふと浮かんだのは、
犬の散歩中に、犬が私と違う道を行きたがって、
お互い綱引きみたいになって、犬の顔がリードに引っ張られてすんごいことになってる感じ(笑)

いや、ふざけてないよ(笑)

本当にイメージがそんな感じだ。

 


私の心が今、駄々をこねているのか。


心が素直に「そう思える状態」ではないのか。


シンプルに心の容量がパンパンで、余裕がないのか。


そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

 


でも。
思うことがある。

 

 

こんなにも簡単に、私の「当たり前」が崩されてしまうこと。

それはとても、虚しいというか、何とも言えない気持ちになる。

まぁ、そんなものなのかもしれないけれど。


「感情の揺れがなくなれば、それはロボットと同じになるのだろうか」


心が疲れている時、私はよく思う。

 


考えてみれば、そう。

そうだ。

 

 

私はいつのまにか、気付かぬうちに、
「当たり前」という感覚に執着していたのかもしれない。

 

うん。そうかも。
これは油断していたな。

 

「当たり前」なんてものは何もないのに。

 

諸行無常。

私を取り巻く「条件」が、ずっとこのまま「変わらないことはない」

変わらずにいることなんて無理だ。

 

 
だからこそ、
「条件」に縛られたくないと思っているのに。

気をつけているのに。

 


油断してしまっていた。

 


そうこう考えていたら、
肺の中に空間ができて、さっきよりも息を吐く事ができる気がしてきた。

 


「考えること」も悪いことばかりではないな。

 


「当たり前」に今日一日が始まって、
「当たり前」に今日一日が終わるなんて保証はない。

 

父が倒れた時もそうだった。

次の日から見える景色が変わった。

当たり前のように「毎週、日曜日は実家に行く」というイベントもなくなった。


あの時の私からすればあり得ないことだ。

 


子供が小学校に上がった時もそうだった。

「当たり前」のように息子と園まで歩いていた道も、嘘みたいに通らなくなった。


こんなにも簡単に、
「当たり前」は変わってしまう。

 


そう思うと、
今度は本当に、今この状況に、
「ありがたい」と思える。

……思えてきた。


「当たり前」なんてない、という事実を経験してるはずなのに、
人間は「忘れる生き物」だから。

だから、
ちょっと油断してたのかもしれないな。

 


これで、ここ最近のモヤモヤが解決したわけではない。
たぶん抜け出せていない気がする。


だけど、
「そう思った」こともまた事実だ。


この瞬間は本当に「そう思った」

 


だから、とりあえずは「それでいいか」と思う。

 

そう。
これでいいんだよ。

今なら少し「気楽にいこう」という言葉に対して、
「そうだね」って言えそう。


それでいいや。


もしかしたら、3ヶ月後。
その頃には、この文章を懐かしく読めている自分がいるかもしれない。

 

でも、それは、3か月後にしかわからない。

今はまだ、わからない。

 

でも、だからこそ、希望がある。

 


「これら」もまた、「人生の彩り」だ。

 

 

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

この後も素敵な時間をお過ごしください。では、また、お会いしましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました