感謝できない自分にモヤモヤ。「当たり前」への執着を手放すまで

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心と体が分離している。

 
これは今の私の状態だ。


「何事にも感謝」
「あぁ、ありがたい」

 

この前まではそれが「当たり前」だった。

 

初期設定に「ありがたい」がある。
それは考えずとも、自然に体から滲み出てくる感覚に近い。

 

だけど。

 

今、私は「ありがたいな」と思おうとして、
「ありがたい」と言っている。

 

つまり、そこに乗っているはずの感情が少ない。

 

まさに「形」だけでそう言ってしまっている。
そんな気がする。

 

だから、とても、モヤモヤする。

 

お母さんに怒られた子供が、
「ごめんなさいは!?」と言われてとりあえず「ごめんなさい」という感じ。
その子供は本当は「ごめんなさい」って思ってないんだもの。

 

心と体が分離している。

そりゃ、気持ちが悪い。

 

でも。
ちょっと前まではそれは「形だけ」ではなかった。
確かにそこに「心」があった。

 

なぜ今、私はこうなっているんだろう。

シンプルにそう思う。

 

たまにある、心の不調。
バイオリズムが下がっている時。
ホルモンバランスの乱れ。
睡眠不足。
物理的に自分と向き合う時間がないところからくるストレス。

なんか、いろんなことが重なっているのかもしれない。

 

わかってる。
わかっているよ。

こういう時に「した方がいいこと」は。


無理矢理にでも自分の時間を作ってみる。
自分優先で動いてみる。
考えすぎが酷くなってるから、考えないようにする。
没入できる事をする。
プラスの言葉を発する。
良いイメージをする。

形だけでもいいから「ありがとう」という。


いろんな方法がある。
わかってる。

 

そうすれば「うまくいく」こともある。

気づけばそこから「抜け出している」こともある。


だけど。


「こうすればいい」がわかっているはずなのに、それがうまくいかない。

いつも通りの「やり方」が通用しない。

 

いつになったら「ここ」から「抜け出せるのだろう」と思う。

いや、私にその「やる気」がないのかもしれない。


そうしたくないのかもしれない。


……わからない。


自分のことなのにね。

 


そもそも、そんなに急がなくていいのかな、とも思う。
だって何でも「流れ」があるから。
流れるがまま、身を委ねればいいのかもしれない。

 

私がわざわざ「それ」を「掴む」から、
私がわざわざ「それ」に「気づく」から、

そう思うこともある。 

 


私はどうなりたい?

私は。

 

私はただ、素直にそのまま、
「ありがとう」
と思いたい。

 

それが「当たり前」だった時みたいに。

 


この状態は、私の傲慢さからくるものなんだろうか。

だって謙虚になれば、何だって、
「ありがたい」ものだ。


たとえ嫌なことがあっても、
それでも、その中から「ありがたい」を見つけることができていた。


だけど、今はそれにすごく手こずっている。


頭ではわかっている。

理屈では。

 


でも、心がなんか、踏ん張ってる。その場所で。

 

今ふと浮かんだのは、
犬の散歩中に、犬が私と違う道を行きたがって、
お互い綱引きみたいになって、犬の顔がリードに引っ張られてすんごいことになってる感じ(笑)

いや、ふざけてないよ(笑)

本当にイメージがそんな感じだ。

 


私の心が今、駄々をこねているのか。


心が素直に「そう思える状態」ではないのか。


シンプルに心の容量がパンパンで、余裕がないのか。


そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

 


でも。
思うことがある。

 

 

こんなにも簡単に、私の「当たり前」が崩されてしまうこと。

それはとても、虚しいというか、何とも言えない気持ちになる。

まぁ、そんなものなのかもしれないけれど。


「感情の揺れがなくなれば、それはロボットと同じになるのだろうか」


心が疲れている時、私はよく思う。

 


考えてみれば、そう。

そうだ。

 

 

私はいつのまにか、気付かぬうちに、
「当たり前」という感覚に執着していたのかもしれない。

 

うん。そうかも。
これは油断していたな。

 

「当たり前」なんてものは何もないのに。

 

諸行無常。

私を取り巻く「条件」が、ずっとこのまま「変わらないことはない」

変わらずにいることなんて無理だ。

 

 
だからこそ、
「条件」に縛られたくないと思っているのに。

気をつけているのに。

 


油断してしまっていた。

 


そうこう考えていたら、
肺の中に空間ができて、さっきよりも息を吐く事ができる気がしてきた。

 


「考えること」も悪いことばかりではないな。

 


「当たり前」に今日一日が始まって、
「当たり前」に今日一日が終わるなんて保証はない。

 

父が倒れた時もそうだった。

次の日から見える景色が変わった。

当たり前のように「毎週、日曜日は実家に行く」というイベントもなくなった。


あの時の私からすればあり得ないことだ。

 


子供が小学校に上がった時もそうだった。

「当たり前」のように息子と園まで歩いていた道も、嘘みたいに通らなくなった。


こんなにも簡単に、
「当たり前」は変わってしまう。

 


そう思うと、
今度は本当に、今この状況に、
「ありがたい」と思える。

……思えてきた。


「当たり前」なんてない、という事実を経験してるはずなのに、
人間は「忘れる生き物」だから。

だから、
ちょっと油断してたのかもしれないな。

 


これで、ここ最近のモヤモヤが解決したわけではない。
たぶん抜け出せていない気がする。


だけど、
「そう思った」こともまた事実だ。


この瞬間は本当に「そう思った」

 


だから、とりあえずは「それでいいか」と思う。

 

そう。
これでいいんだよ。

今なら少し「気楽にいこう」という言葉に対して、
「そうだね」って言えそう。


それでいいや。


もしかしたら、3ヶ月後。
その頃には、この文章を懐かしく読めている自分がいるかもしれない。

 

でも、それは、3か月後にしかわからない。

今はまだ、わからない。

 

でも、だからこそ、希望がある。

 


「これら」もまた、「人生の彩り」だ。

 

 

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

この後も素敵な時間をお過ごしください。では、また、お会いしましょう。

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このブログを書いている、ゆりです。

美容師として働きながら、
感受性が強く、共感しすぎてしまう性質と
長く付き合ってきました。

幼い頃から
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気づけば人の感情を優先する癖が
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この場所では、
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言葉を綴っています。

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ブログを始めた当初の内容は、子育てに関すること(悩み、解決策、気づき)や、私が実際購入して使ってみて良かったもの(家電、おもちゃ、日用品など)や、人生をより心豊かに生きることをテーマにしたいろんな事(読書、日常生活からの学びや気づき、自己理解、忘れたくない言葉など)、そしてたまに、私の独り言でした。

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