「お母さんの誕生日こそ盛大にお祝いを!」
コホン。
突然、失礼しました。
「お母さんの誕生日」について思う事があったので、
今日はそんなお話になるかと思います。
別に本当に家族の中で「お母さんだけ」を特別扱いするわけではないですよ。
あえて強調しているワケは、
「お母さんは家族の中で後回しにされがち」なところがあるなと思ったからです。
もちろん家庭によると思うよ。
いろんな家族の形があっていいと思っているので。
でも、我が家の場合、私は、今回そう感じたのでまぁ聞いてやってください。
ちょっと赤裸々に人間くさい感情も書いちゃいます〜
(よろしくお願いします)
_______________________________
この前、私の誕生日があった。(年齢は聞かないで~)
その日の朝、私は朝散歩をしながら思っていた。
「誕生日におめでとうって言われるのはありがたい。でも、なんか、貰うより、与える側でい続けたいな」
改めて、素直にそう思えるように成長した?(歳を重ねた)気がする。
だから、
「おめでとうを言われる回数よりも多くありがとうを言おう」
そう思って、その後の時間を過ごした。
そして、その日はあっという間に過ぎた。
朝、子供達に「誕生日おめでとう!」と言ってもらい、
夫は仕事に行く前に「おめでとう」と言ってプレゼントを渡してくれた。(ありがたい)
誕生日といっても平日で夫の帰りは遅いから、パーティーの予定はない。
というか、自分の誕生日の日だから、自ら進んで「パーティーしようぜ!」とはならない。
自分の中でも「なんか、まぁ別になにもしなくてもいいか~」なんて思っていた。
仕事でバタバタして、帰ってきて子供の習い事の送迎をして、夜ご飯を作って、お風呂に入って、気がついたら寝る時間だった。
あっという間に私にとっての「特別な今日」が終わろうとしていた。
しかも、そこまで「実感」することなく終わろうとしている。
朝は「別にいいや」と思っていたくせに、
なんか、心臓の辺りがきゅうっとしている。
「なんだか、モヤモヤする。」
気が付くと、
私は切ない気持ちでジャーナリングノートを見つめていた。
そこで、今日を振り返ってみる。
子供や夫から「おめでとう!」と言ってもらえた。
友達や親戚から「おめでとう」のメールはもらっていた。
祝ってもらって嬉したった。
嬉しかったやんか。
……だけど、なんだか、モヤモヤする。
なんだか、悲しい気もする。
これは私が「ワガママ」なのか?
私が「欲張り」なのか?
うーん。
それもなんか違う気もする。
だから、ジャーナリングノートに自分の気持ちを書き出してみた。
恥ずかしがらずに、遠慮せずに、思いのまま自由に吐き出す。
「誰にも見せないからいいや」と思って書いた。
すると出てきたよ。私の気持ちたち。
それらを見つめていて思った。
私はプレゼントが欲しかったわけではない。
「自分が大切にされてる、という実感が欲しかったんだ」
そう気づいた。
そこで「誰に?」という質問を自分に投げかける。
答えは即答できた。
「家族に」
そう、私は子供や夫に、もっと心から祝って欲しかったのだ(笑)
でも、彼らは祝ってくれていた。
それは間違いない。
だけど、
熱量が私が希望していたものとは違ったんだと思う(笑)
「おめでとう!」とだけ言って、さらりとお祝いが終わり、
その後はもう何もなかったかのように過ごす夫と息子たち。
私は感受性が強い方なので、「本当にもう気がない」事が言葉や態度でわかってしまう(笑)
えぇい!
この際、ハッキリ言いましょう!
つまり、
「とりあえず」感が半端なくにじみ出ていたのだ!(わー!なんかツライ!w)
もちろん、みんなに悪気はないよ。
非常にあっさりしていただけのことなんですけどね(笑)
ただ、子供たちには「パパにしてたみたいにお手紙とか、工作とかないのかな?」とか、(これは私が子供たちにパパにお手紙や工作、プレゼントしようねと、促してた)
夫には「また今度パーティーしたり、特別なところ食べに行こうか!」とか、子供に「ママの誕生日やからなんかお手紙とか書いたら?」とか、
言ってくれても良くない?(ごにょごにょ←小声)
そんな気持ちが頭の中でグルグルしていた。
でも、これは私の価値観、感じ方の問題だな、とも思っている。
わかってるんだけど……、
吐き出すことに意味があると思ってもうしばらくお付き合いください(笑)
私は夫や子供たちが誕生日の時は、
一応、自分ができることで喜んでもらえることをしようと考えて、行動する。
「喜んでもらいたい」
その気持ちで動く。
子供の誕生日には、
「何が食べたい?」「何が欲しい?」とリクエストを聞いて、部屋を飾ってパーティーをする。
夫の誕生日前には「もうすぐパパの誕生日だから、何かプレゼントとかお手紙とか渡すのはどう?」と提案したりもする。
そうやって、家族の喜ぶ顔が見たくてやっているのは「自分がしたいから」なんだけど。
そういうのは「見返りを求めるものではない」のもわかっているんだけど。
「私がやりたくてやってるんだ」といつも思ってるんだけど。
それでも、いざ自分の誕生日の番が来た時に、
あっさりと終わってしまうと、
正直なところ、めちゃくちゃ寂しかった(笑)
願わくば、
「ママお誕生日おめでとう!ママのパーティーはいつにする?ママは何が食べたい?何をして欲しい?」
みたいな一言が欲しかった!(そして、お手紙とかも!w)
いやー、
赤裸々やな、恥ずかし。
でも、嘘を書いてもしょうがないものね。
なんやかんやといつも文章を書いておきながら、
自分も、自分勝手で人間くさいなーと痛感中。
生粋の「ギバー」になるには、まだ修行が足りないようです。(はい、すいません)
でも、
今回ジャーナリングで、
「こうして欲しかった!」
「寂しかった!」
「大切にされてるって感じたかった!」
と自分の本音をぶちまけたお陰で、なんか、スッキリした。
そして、
吐き出した後は、自然と前向きな気分になっていて、
「別に自分でお祝い(1人パーティ)すればいいやん!美味しいもん食べに行ったろ!」とまで考えるようになっていた。
でも。
色々考えた結果、最後に思ったことは、
「やっぱり、自分はいいやーって思わずに、みんなと同じようにちゃんとお誕生日パーティーをやろう」
という事だった。
そう。
これは、
自分を後回しにしがちな人、
「自分なんて」と思ってしまいがちな人、
「相手のために」が強すぎる人、
そんな人たちにも共通するのかもしれない。
そんなタイプのお母さんはたぶん、
「自分の誕生日」をないがしろにしがちだ。
相手の誕生日はサプライズを考えて、盛大にお祝いするくせに、
自分の誕生日は計画すらしない。
誰かに言ってもらえたらしようかな…、くらいなもん。
でも、実際に、
当日に何もないとやっぱり悲しい(笑)
だって人間だもの。
普段から人のこと考えてるんだから、誕生日くらい自分を喜ばせればいいのに、それをやるのが苦手。
自分の誕生日は、
自分のために動ける、年に一度しかない「きっかけ」の日なのにね。
だからこそ、思いましたよ。
今回、本当に思いました。
もう、決めたよ、私。
「毎年ちゃんとお母さんの誕生日パーティーもする」って。
なんやそれ、みたいな決断かもしれないけど、私にとっては大きな決断(笑)
いや、ほんまに、
今回この事を深掘りして考えてみたんです。
私の子供の頃の記憶に「お母さんの誕生日パーティーをした」というのがないという事に危機感を覚えた。
父がそもそも、そんなタイプの人ではなかった。(自分の事しか考えてない)
もちろん、子供に対してもそうなので、
私も父から誕生日を祝ってもらった記憶がない。
ケーキを買って、プレゼントを買って、お祝いしてくれるのは母だった。
これが、恐ろしい事に、
子供の頃ってそこまで深く考えないから、
「そんなもんだよね」と無意識に思い込んでしまうところがある。
つまり、
「子供の誕生日はパーティーするけど、お母さんの誕生日パーティーはないもんなんや。」というのが当たり前になってしまう。
疑うこともなく「そういうものだ」と思ってしまうところが怖い。
まぁ、うちの場合、母も「お母さんはいいねん」が口癖やったから、それも大いに影響してる気はするけど。
だからこそ、私は思った。
息子たちの「当たり前」に、
「お母さんの誕生日パーティーはするもの」があって欲しいなって。
(夫の誕生日パーティーは私が計画を立てるので子供たちもやるものだ、と認識してしてる)
息子たちが大人になって結婚した時、
夫婦2人だけの時はお互いで「お祝い」をしてると思うけど、
子供が生まれたら、子供中心になって、
そのうち奥さん(=お母さん)の誕生日はなくてもいいもの、になってしまわないように。
考え過ぎかもしれんけど、
環境からくる「当たり前」は怖いんだから。
自分で疑問を持てないことが1番こわい。
年に一度しかない特別な誕生日。
それ以外でも、
「記念日」と呼ばれる日は1年間365日の中で数えるくらいしかない。
特別な日って思い出に残りやすいものだったりもする。
そして、何より、
みんなが「同じ気持ち」で「お祝いできる時間を共有できる」ことこそが宝物だったりするんだよ。
幸せな時間の共有。
それってすごく素敵な時間だ。
そんな時間を過ごせるチャンスがあるのが、誕生日だったりの「記念日」
だからこそ、最初のタイトルに戻る。
「(家族の中で後回しにされがちな)お母さんの誕生日こそ盛大にお祝いを」
お母さんになったら子供中心の毎日。
たくさん揚げた唐揚げも「おかわり!」と言われたら自分の分を渡して、自分の唐揚げはお皿にポツリと残った一個だけ。
頂き物の美味しいスイーツも、自分も食べればいいのに子供が喜ぶから、味見程度に一口だけ。
少しくらいしんどくても家事をこなし、やっと1人時間になったと思ったら力尽きて死んだように寝る。
日常の中では、当たり前すぎて、「こんなものだ」と思いすぎて、
疑問すら持たない一場面たち。
そんな頑張りも「当たり前だ」と思って自分を評価しない日々。
いかんですよ!
ほんま!
みんな、めっちゃ、頑張ってますやん!
唐揚げも食べたらいいし、
スイーツも食べたらいいし、
一人時間も必要な時間として最初に確保したらいいんだ。
もっともっと、自分にヨシヨシしてあげなくちゃ。
大人になったら、誕生日は「産んでくれた親に感謝する日」ともいうけれど、
その前に「ちゃんと自分を大切にする日」なのです。
それに気づいて、改めて決意して、
仕事に行く前の夫に決意表明をした。
「今度、やっぱり私の誕生日パーティーをすることにする。だって、子供たちの中でも、お母さんの誕生日も大事な日って当たり前のように思って欲しいと思って」
すると夫は、
「ほんまやな、言われて気づいたわ。お母さんの誕生日は盛大にしなあかんわ!うん、今度の休みそうしよう!」
と言ってくれた。
ここで、ちょっと夫の話。
夫は本質的な考えの人なので、
どちらかというと「誕生日はただの日に誕生日という意味がくっついただけやから、普通の日やねん」というのが基本にある。
子供に対してはちゃんとお祝いするけど、
大人の私たちに関しては、
「普段から感謝しあってるし、特別なことを言わなくてもしなくてもわかり合ってるよね」
みたいなのがある。
だから、本当に「俺のお祝いはしんでもいいで!」と思っているし(いや、私が絶対にしますけどね)、
私に対しても「パーティーしようぜ!」と言わないのは、
全く悪気がないというか、本当にしなくても、本質的な部分でつながっているから形だけのものはいらんよね、みたいに思っている。
私もそう理解していたから、特に自分の誕生日については今まで、張り切ってパーティーせずに、
たまたまタイミングが合ったり、成り行きで「やろか!」となった時以外はちゃんとしてこなかった。
だけど、
今回夫にそう伝えたことで、
「あえてパーティーをする」という大切さを感じてくれたみたいなのでよかった。
「そうやんな!お母さんの誕生日こそ盛大にしなあかんわ!」
夫が咄嗟に言ってくれた言葉が、
頭の中でこだましている。
自分が大切にされたいと思ったら、
まずは「自分が一番に自分を大切にしなきゃ」と思いました。
「自分なんて…」
「自分はいいや…」
そんな風に自分で自分に声をかけちゃってるのって、
よくよく考えたら、とても悲しいことだから。
自分で自分を丁寧に、大切に扱っていると、
周りも必ず、そういう風に扱ってくれる。
まずは自分から。
「自分を大切にする」事を自分に許していきましょう~
という事で、
盛大に!?今度、お誕生日パーティーします(笑)
もともと、お母さんの誕生日もちゃんとパーティーするご家庭は、
意味不明な内容だったかもしれないけど(笑)、
こんな家庭もあるんだな~と、流してくださいね。(いろんな形があるさ~)
大切なので最後にもう一度言いますよ。
「まずは自分を一番に大切にしていいんだよ」
今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~





コメント