「許さなきゃ」の二重苦から、親への期待を「明らか」にするまで

がんばりすぎた日々の話 (過去の体験 ・親・家族・夫婦 ・子育ての中の自分)
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今日はちょっと重い?暗い?内容になるかもです!

いつもは、最後はできるだけ前向きに終わりたいと思っているけど、どうなるか分からない
(汗)

でも、これが今の私のリアル(今この瞬間の正直な気持ち)という事で包み隠さず私らしく行こうと思います。

よろしくお願いします。

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このブログを定期的に訪問してくれる人は知っておられるかと思うけど(いや、そういう人いないかな?!汗)

私は度々、家族に関する心の葛藤をブログに書いている。

ここ最近までは、父の今までの私に対する仕打ちを受け入れ、許す方向で心がまとまっていたけど、
それで落ち着いていたはずなんだけど、
どうやら、心に限界が来たらしい。

その時は本当につらい過去にも感謝できるようにもなって、父に対しても怒りみたいなものは薄れていたはずで、それには嘘はないんだけど。

 

それでも、やっぱり、思い出してつらい気持ちになったり、怒りがふとこみ上げたりはしていて、
でも、もう大丈夫なんだよって、言い聞かせてたんだけど。

 


「あること」がきっかけになったのか、わからないけど、なんかもう、一気に押し込めてた感情がグワーッっと来たというか。

いや、今までもそういうのはあったんだけど、それでも、しばらくしたら、マシになって、いつの間にか曖昧になって落ち着く…というのを繰り返してたって感じで。

 

でも、今回は、落ち着かなかった。

「もう、嫌だ」って思った。

それを、心の奥にしまい込む事が出来なかった。

 

父はギャンブルで私たちを散々苦しめてきた。

助けていて欲しい時にそばにいてくれなかった。

「お父さん」らしいことなんて一つもしてくれなかった。

 

でも、くも膜下で倒れて、ハンデを負って、実質ギャンブルはできなくなった。
そして、性格も変わった。

いい人になった。

 

でも、お金の使い方とか、結局自分のしたいようにする所とか、
ギャンブルはしなくなっただけで、根本的なところは変わっていない。

そういうのとかを、ちょっとずつ感じてきていた。

 

そうなると、どこかで私の傷口がうずきだす。

 

「また、私たちを裏切るのではないか」と。

 

そんなことは、絶対にない、なんて言いきれない。

 

実際、行動範囲が狭くなって、以前よりできる事が少なくなった父を見ていても、
子供のように無邪気になった父を見ていても、そういった「疑い」がふと、心によぎる。

 

そんなことを考えてもしょうがないのもわかっている。

だから、考えないように、無理やりにでも前向きに考える様にしていた。

 

でも。

「あること」がきっかけに私の何かが変わってしまった。

 

父のせいで、昔住んでいた家を出ていかないといけなくなって、次の家も、今回、手放さないといけなくなった。

病気で倒れてから奇跡的に回復したものの、ハンデを負った父は今までと同じように働けなくなってしまったから、収入が極端に減って今の家のローンを支払えなくなってしまったからだ。

 

「今だったらこの値段で売れるねん」

今の家を売ることになって、思っていたよりも高値で売れそうな事がわかった父は私に誇らしげにそういった……ように私には感じた。

 

実際はそうじゃなかったのかもしれない。

私が父を悪者にしたいから、そう思いたいだけだったのかもしれない。

それは、わからない。

 

だけど、私はそう感じた。

 

なんか、正直、すごく怒りと、呆れた感情が入り混じって私の心の中を埋め尽くした。

 

「誰のせいでそうなったと思ってるねん」

 

「私はあなたのせいで家が二回も変わったんや。そして、その家もまた無くなろうとしてる。なんでそんな平気な顔して、原因は自分じゃないみたいな顔できるねん」

 

父の態度を見るたびに、父にとっては過去の悪事も軽いものなんだと痛感する。

「その程度」のものだったんだなと思えて、虚しくなる。

 

でも、これを言っても、多分、ちょっと軽く笑いながら、「ごめんな」って言うだけなんだろう。

 

この気持ちはどこにやればいいのか。

 

嫌な事をされた時に、相手から謝られて、それでも許せない気持ちがある時に、
「許せない自分」がいる事への罪悪感はなんなんだろう。

裏切られただけでもつらかったのに、今度は「許さなきゃいけない」という圧に苦しめられる。

 

二重苦だよ、本当に。

 

それでも、今の父を受け入れないといけない。

 

「そんなに苦しいなら縁を切ればいいじゃないか」という人もいるだろう。

それも、一つの選択肢だ。

 

ただ、それは今の私にとっては難しい選択だ。

そうなると「それを選んでるのはあなたなんだからしょうがない」と言われるのかもしれないな。

 

そう、そんなこともわかっている。

しょうがないんだよ。

実際にはそんな簡単に縁を切ることなんてできない。

その行動の奥には「たくさんの大変なこと」が潜んでいる。

本当に、しょうがないんだよ…。

 

でも、それと同時に、嫌だと思う自分もまだいる。

 

そもそも、父がそんなことをしなければ、
母が気づいていれば、線引きをして決断していれば、
私はこんなに苦しむことはなかった。(かもしれない。わからないけど)

 

でも、人間は完璧ではないし、失敗もする。

 

そんな感じで、いろんな言葉が私の頭のなかであーだこーだと言っている。

しんどいよ…。

 

そして、極めつけに、親戚から「家を売る時もお父さん、お母さんに任せておくのは心配やから、あんたがしっかりして見てやってな」と言われた。

 

今までも散々言われてきた言葉。

「あんたがしっかりしな」

 

分かってるよ。しっかりしなあかんことは。

しっかりしたくなくても、しっかりしなあかん状況やったやん。

 

そのせいで私はずっと、ワガママも言えへんかったし、いろんな事を我慢するしかなかった。

我慢することが私にとっての普通だった。

 

「ゆりちゃんに任せたら大丈夫」

 

みんなからそう思われているのもしんどかった。

 

親も、未だに私の事を頼っていることもわかる。

最後は「ユリがいるから大丈夫」とどこかで思っている。

 

 

もういやだ。

今までも頑張ってきて、散々我慢してきて、それでやっと、今、自分の家庭ができて。

その家庭を守ることに頑張っているのに、私はまだ親の面倒を見ないといけないのか。

 

いつまで続くんだよ…。

 

 

私はいつまでも親の人生を生きるわけにはいかない。

親は親で、自分たちで人生を生きていってほしい。

 

 

だから、今回、私は今までと違うアクションを起こした。

 

母に思いの丈を伝えた。

 

いつもは母に対してもどこか遠慮があって、母を悲しませてはいけない、私がしっかりしなきゃという昔からの思考グセがあって、言わなかったことも伝えた。

 

それは私にとって、とても大きな一歩だった。

たくさんの言葉を飲み込んできた私にとって、本当に、すごく、重たい一歩だった。

 

正直、縁が切れてもいいや、という気持ちで伝えた。

 

それで何が変わったのか。

 

ちょっとだけ、父と母との距離ができた。

頻繁に来ていた連絡が少し減った。

 

そして、それがとてもありがたかった。

 

すごく心が休まった。

 

 でも。

 

これもまた、時間が経てば、元に戻るんだろうな、という気もしている。

 

時間が経てば、何事もなかったかのようになるんだろうなって。

 

私が伝えたことをどれだけ「重たく受け止めてくれた」かどうかはわからない。 

 

なんかしんどくなって言ってきただけ、と思われてるかもしれない。

 

でも、

ここからは私も線引きをしないといけないな、と思っている。

 

私も我慢して許容しすぎるのは気を付けないといけない。

 

頼られるとつい、自分を犠牲にしてでも「なんとかしよう」とやってしまうところがある。

それは、自分が線引きをしないといけない。

 

これに関しては、私が変わらないといけない。

 

できるかなぁ……。

 

なんか、自己犠牲になってしまいがちな人が、責められてしまうのって、なんだかなぁって思う。

そうなるには、そうなってしまう原因も少なからずあったわけだから。

でも、そこをあまり見ずに、自己犠牲しすぎたらあかんよって言うのは酷だよなって思う。

 

本人だって本当に辛いんだよ。みんなに言っている以上に、心の奥では抱えてるんだよ。

 

 

あぁ、長々とすいませんね。

暗くなっちゃうね(^^;)

 

前向きに終わらせれるかな(^^;)不安になってきたぞ(汗) 

 

 

そんな状態の中、私はとある本を読んで少し心に思った事がある。

お笑い芸人の又吉直樹さんの著書「生きとるわ」だ。

 

これは、心の状態がいい時に読まないといけないな、と読んでから思った。(もう遅い)

 

本の中では、どうしようもない人間がでてくるのだ。

最後には希望を持てるような内容ではない。ただ、現実を見る。それが心に傷を抱えている人にとっては妙にリアルでつらい。

 

私はこれを状態の良くない時に読んで(^^;)、思った。

 

「人はそう簡単に変われないんだな」

 

もちろん、変われる人もいる。

でも、変われない人もいる。それが事実だ。

 

なんか妙に相手に期待するからガッカリして傷つくんだよな。

父に対して「理想のお父さん」を期待する。どこかで変わってくれる、と期待する。夢をみる。

母に対して「理想のお母さん」を期待する。いつかこうなってほしい、と期待する。希望を見る。

 

でも。

無理なものは無理なんだよ。

 

私だってそうなんだもの。

 

考え過ぎを、考え過ぎるな、と言われてもムズカシイ。

我慢するなと言われても、ムズカシイ。

 

難しいんだよ。

そう簡単には変われない。

 

でも。

変われる人もいる。それはゼロではない。それもわかっている。

 

ただ、本を読んで、リアルな描写に、妙に納得してしまった。

納得せざるおえなかった。

 

ここで私の中にポンっと言葉が浮かんだ。

 

「諦める」とは「明らかにする」という事。

 

 

父も母も根本的なところは変われないという事を、明らかする。認める。

親友のご両親のような理想のお父さん、お母さんになってもらうのは無理なんだと、明らかにする。認める。

「あきらめる」んじゃなくて、「無理なものは無理」と明らかにする。

そこに変な理想はもたない。

 

これが私にとっての現実なんだ、と明らかにする。

 

親に対しては色々と苦労したし、今も苦労してるけど、
今の私の「家庭」に対しては「感謝」しかない。

そこも明らかにして、感謝する。

 

悪いことだけではない。

 

ありがたいことも沢山ある。

 

それも明らかにする。

 

 

「あきらめる」ことは悪いニュアンスではない。

 

明らかにして、変に期待せず、受け入れる。

 

父も変わらない。

同じく、ギャンブル依存の弟も変らない、かもしれない。

 

それが「明らかにする」という事だ。

 

本当は治ってほしいけど。

でも、期待はしない。

 

明らかにして認める。淡々と。

 

「今」はそう思う。今の私は。それが「リアル」だ。

 

 

あなたの人生もきっと色々あるよね。

言葉にしてしまえば、一瞬で終わるような出来事でも、

その奥にはたくさんの背景がある。数えきれないほどの沢山の物がある。

 

だから、言葉におさめる事って難しいね。

 

みんな本当に、毎日頑張っています。

どの瞬間も、大切で尊い。

 

今は、心がまだ落ち着いていないけど、そのうち落ち着くでしょう。(きっと)

 

それでいい。

急がなくても、許せなくても、大丈夫だ。

 

本当は「前向き」な文章を書きたいけど、
「○○な方法!」とか有益な事を書きたいけど、
今の私に書けることはこれなので、また文章のニュアンスが変わる日まで気長に待っていただけたら嬉しいです。

 

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~

 

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