私が最近、ジャーナリングをしていて、自己理解していく中で再認識していることは、
「どうすればもっと良くなる?」が思考のベースにあるという事だ。
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それの対象は、多岐にわたる。
生活全般、自分の人生にかかわることすべて。
いや、みんな他の人だってそうか。
何を見ても聞いても、
「もっと良くする方法あるんじゃないかな?」って思考回路が動いてしまう。
少しの違和感をキャッチしたならば、
そのあとは「なぜ?」から始まり、
「とすると、じゃあどうすればいい?」と考えが巡っていく。
人と話をしていてもそうだ。
悩みを聞いて、原因を探す。
更にその奥の、原因になる元を探す。
それをどうすれば解決できるのかを考える。
頭の中では勝手に、そんなお喋りが始まっていたりする。
問題が起こって、その問題を取り除くために、色々試しても、
結局、根本が変わっていないとまた、同じことが起こる。
私は何度も何度もそんな経験をしてきて、
落ち込んだりしてきた。
だからこそ、私はその「根本」を考えるのが好きなのかもしれない。
一瞬だけ、その時だけ、解決しても、
忘れたころにまた、同じような事で悩むのは辛い。
だからこその「根本」
相手には、その幸せな状態ができるだけ長く続いてもらう方が、私も嬉しい。
そう、私の「根本」を知りたい気持ちの動機は、自分も相手も、
「本当の幸せ」を感じていてほしいから。
そんな私ですが、
最近、「とは言えど、難しいよな~」と思った話を一つ。
(よろしくお願いします)
最近、30分ほど、母の話を聞くことがあった。
毎回、同じような愚痴を聞いていると、
「こうすればいいのにな」と思う事がよくある。
目で見える事は、事実としては、
「父がわかっていない」というのがあるのだけど。
だから、表面的にお悩み解決しようとしたら、
「父へのアプローチを変える」ことなんだけど。
でも。
「根本」はそこじゃない。
父へのアプローチを変えた所で、根本解決にはならない。
本当は、母の中にある「あたり前の認識」を変えて、
母の一つ一つの小さな行動が変わることなんだよな、と思ったりする。
私には、母の「当たり前の認識」の奥に、
自分自身への自信のなさがあるように見えた。
当たり前の認識、行動を変える前に、
シンプルに「自分に自信を持って、ありのままの自分をそのまま愛さないといけない」んだろうなと思う。
もちろん、断定はできないよ。
だけど、そんな気がする。
「お母さんはどうなってもいいねん」という自分の価値を認めない言動。
そこからくる、行動は、
分かりやすく言うと、父と母、お互いを依存関係に導いてしまう。
表面的な優しさは、本当の優しさではないんだよなー。うん。
(自分にも言いきかせ中)
相手への過剰な心配も、そう。
相手が心配なのではない。
本当のところは。
本当は自分が不安で、怖くて、そんな不安定な自分に耐えられないのだ。
傷つく自分を見たくない。
もう嫌だ。
そんな気持ちが心の奥の奥にあったりする。
だから、本当は、相手を過剰に心配していたら、そんな自分に気づいて、
「そうか、私は不安だったんだな」って認めてあげるだけでいいんだけど。
弱い自分でいいし、不安を感じる自分でもいい。
それを、そのまま、認めて受け止めることだ。
まずはそこからなんだよな、と思う。
母は、色んな経験をしてきて心がたくさん傷ついてきたから、
その時の生存戦略としての「自分の価値を下げる」という考え方を採用することで、
それ以上傷つかないようにしているな、と、思う事がたびたびある。
そうやって生きてきたから、自分を諦める事で自分を守ってきたから、
今、ここで、私が、
色んな工程をすっ飛ばして、
結論をはっきり言って、
「だから、本当の原因は、根本はお母さんが変わることなんだよ!」
といっては絶対にダメだ。
そんなことを言ったら、傷ついてしまう。
私だって傷つくよ。
ただでさえ、自己肯定感が低い人に、自分を責めがちな人に言ってしまったら、
もう心はボロボロだ。
なんでも、順番がある。
順番が大事なんだよ。
それがどんなに正論だったとしても、
最短の近道だったとしても、
遠回りしながら、ゆっくり歩きながら、ゴールに行かなきゃいけない人もいる。
そんな事を母と喋りながら、いつも考えている。
だから、「こうしたらいいのに」と思っても、グッとその一言は我慢して、
ただただ話を受け止める。
(あ、ここで、「こうしたらいいのに」と思う事は私のエゴだよね、という考えもあるけど、それはちょっと一旦端っこに置いておきます)
母は、「こんなに苦労していて、がんばっている自分」を誰かに認めて欲しいのだ。
でも、本当は、言いたいよ。
「そんなに苦労しなくても、お母さんは幸せになってもいいんだよ」って。
「そんなに必死に頑張らなくても、お母さんは生きている価値はあるんだよ」って。
「そのままで素晴らしいんだよ、だから、もっと自分を認めてあげてね」って。
どんな言葉も、ベストなタイミングでなければ、その人の心の奥深くには届かない。
本を読んでいる時もそう。
自分の状態によって、心に届くフレーズは違う。
同じ本でもタイミングによって違う。
だから、
私は今はただ聞いて、共感して、受け止める。
でも、
それをし過ぎると今度は私がモヤモヤする(笑)
(親子という距離感なので)
だから、私もたまに、冗談っぽくではあるけど、
ずっと伝えたくても言えなかったことを言ったりすることがある。
(たまにね(笑))
この前もそう。
言ったんですよ(笑)
(やっぱりね、たまに聞くだけなら、受け止められるんですけどね(^^;)度々言われたり、自分の余裕のない時に何度も聞いてると、受け止めるのもしんどい時あるじゃないですか?汗)
いつも「お金がない。節約しなあかん。」と私に言ってくる母。
どれだけ自分が我慢して、食べるものとか、買う物とか、
自分だけが我慢して苦労しているという様な事を私に言ってくる母。
その言葉の奥の隠れた気持ちはこうだと思う。
「お母さん、これだけ我慢して頑張ってるんだよ。」
そうやって、認めて欲しいのだと思う。
でも、そう言いながら、孫や私に会うたびにちょくちょく何かを買ってくる。
(お菓子とか、果物とか)
私は遠慮して「もうほんまにいらないから、だから、そうやってお金使うんやったら、毎回その分を老後のために貯金して」とその都度、母に言っている。
でも、母は、
「それとこれとは別やから」といってくるのだ。
いや、それはわかるよ。
孫が可愛いのもわかる。
分かるんだけど、、、
散々、「お金がない」「我慢している」と聞かされている私は、
マジで気を遣うし、本気で、その分のお金を母自身に使って欲しいなって思うのだ。
ずっと言うのを我慢してたけど。
この前、話の流れで、言ったよ(笑)
「本当に、そんなん言うけどさ、お母さんが我慢して節約しているのいつも聞いてるから、私、めっちゃ気を遣うから、何も買ってこなくていいよ」って。
(もっと、母には私の真意が伝わるように言葉を選んだつもりではあるが…
でも、結局、冗談交じりに言っているから、母もそこまで本気にはしてなかったのか、
心の奥では真意が届いてたのかはわからいけど、
「それとこれとは別やからいいんや」
って言っていた。
(いや、伝わってないな、多分(^^;))
それやったら、本当にさ、
「我慢している」的な内容の事は聞きたくないんやけどな。
でも、もう、そこまで言うのはアレやから、私の心の中で止めといたよ。
うーーーん。
まぁ、そんなことも最近ありました。
また、さっきつぶやいたことと重複するけど、
こうやって母に「考え方が変わったらもっと生きやすくなるのにな」という気持ちで、
変わって欲しいと思う事は私のエゴだ。
だから、そこに意識が偏るのもあかんなーと思っている。
結局、人が変われる時って、
「自分が変わりたい」と本気で思っていないと変われない。
変わりたいと言いながら変われない時って、もしかしたら「変わらないことで守られている何か」が自分の中にあったりするのかもしれない。
それを深ぼっていくと、「変わらないこと」にも、自分にとって何かしらのメリットがあったりする。
人間という物は、本当に複雑な生き物です。
(私も含めて(笑))
例えば、母が本気で変わりたくて、「どうすればいい?」って言ってきた時は、
さっき思っていたようなことを伝えるけど、
求めていないアドバイスはただのお節介だからね。本当に。
だから、私は、今のスタンスで話を受け止めようと、ブログを書きながら、
再認識しました。
でも、これもね、見方を変えると、小さな一歩であることは間違いない。
だって、私がそうだったから。
自分に自信がなくて、変わりたくて。
でも、自分のあかん所は、認めたくなくて。
可哀想な自分でいる事で自分を守ってて。
そんなずるい自分にも気づいていたけど、結局、根本じゃなくて、
表面的なところばかりしか、行動にできなくて。
だから、同じところで何度も躓いて。
自分が嫌でしょうがなかったけど、その時、そんな言い訳ばっかりの自分でも、
「それでいいやん!気持ちわかるよ!あなたはそのままでいいやん!」って言ってくれる友達がいて。
嫌がらずに、私が本当の意味で自分を見つめることができるまで、ずっと話を聞いて受け止めてくれた。
めっちゃ嫌だな、あかんな、って思っている自分も受け止めてくれる人がいるという気持ちが、
私を根本的に前に向けるようにしてくれた。
本当に感謝しかない。
私にはその経験があるから、
「相手をそのまま受け止める」ということの大切さを痛感している。
本当に大事なんだよ。
そこから、私は正しく自分を見つめて、正しく自分のあかんところも見つめる事ができるようになった。
私自身は変わってないけど、私の私に対する見方が変わった。
それだけで、少しずつの日々の行動が変わってくる。
本当に。
結局、人が変わるタイミングって、
外から「こうしたらいいよ」と言われた時ではなくて、
自分の中で、
「もう少し変わってみようかな」
と思えた時なのかもしれない。
だから私は、これからも「どうすればもっと良くなる?」と考えると思う。
たぶん、考えること自体はやめられない(笑)。
でも、誰かに対して「こうしたらいいのに」と思った時には、
その人にも、その人なりの時間があることを忘れないようにしたい。
私自身がそうだったように。
正しい答えを急いで渡すより、
その人が自分で答えを見つけるまで、ただ隣で話を聞く。
それも、ひとつの「人を大切にする」ということなんだよ、きっと。
これが今の時点での私の答えだ。
また自分が変わったら、違う答えになるかもしれないけど。
それでもいい。
ぼちぼち、自分のペースで。
そして、あなたもあなたのペースで。
ぼちぼち行きましょう~
今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~
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