今日は、どんな言語化をしようかな。
そうだ、アレの言語化をしようと思います。(なんやねん)
私がなぜ、人の「心」に興味があるのか。
こんなにも、気になってしまうのはなぜか。
はい、誰も興味のないことはわかっていますよ。
でも、「あ、そうかー」と先日ふと気づいたので、その過程も書き記しておこうと思いマス。
よろしくお願いします。
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私は昔から「人の心」に興味がある。
昔、進路で悩んでいた時に、「心理学」を学ぼうと思ったこともある。(結局美容師になったけど)
人の心の「本当は?」が知りたい。
人の言動の「なぜ?」が知りたい。
どうしてこんなにも興味があるのか。
それは私が思うに、
私が「本当のこと」が言えなくて育ったからだ。
「本当のこと」はずっと言えずに我慢してきた。
だから「わかってもらいたい」という気持ちがずっと心の奥にあった。
いつも、笑っていた。
いつも、しっかりしていた。
いつも、ちゃんとしていた。
「本当は」そうしたくなかったけど。
だって、言えるような状況じゃなかったから。
父はギャンブル依存だったし、母はそのせいもあってヒステリックで怖かった。
もちろん、優しい時もあったけど、「怖かった」という思い出の方が強く残っている。
「本当の自分」なんて出せなかった。
母が安心する「いい子」を演じるしかなかった。
それは、本当はとてもつらくて悲しかった。
だから、いつの間にか、他人に対して、同じ思いをさせたくなくて、
「本当のあなた」が出せるように、と考えて接するようになった。
私がどう反応すれば、本当の事が言える?
私にはリラックスして本当の気持ちを教えてほしい。
そんなことをいつも考えていた。
相手の心の奥に触れた、と思えた瞬間はとても嬉しかった。
そこには「嘘」はないから。
「心」と「心」が本当に繋がれた気がして、とにかく嬉しかった。
父は嘘をついては、家からお金を持っていっていた。
こちらがどれだけ「本当の事を言ってくれたら許すから、怒らないから、本当の事を話して」と言っても、嘘をついて私を裏切り続けた。
だから、私は「嘘」が嫌いになった。
とにかく誰に対しても「本当」が知りたかった。
「人の心」に興味が出たのは、本当に育った環境が影響しているんだろう。
私がしてもらえなかった事を、私はしたい。
相手の「本当」を知って、受け入れたい。
そう思って今まで、手探りで学び、沢山の知識を得てきた。
しかし。
この前、ふと思った。
「あぁ。そうか。そんな理由もあったのかもな」って。
これを知って、だから何なんだよって感じなんだけど(笑)
でも、なんか、自分の心の色んな側面を知れることもまた、私は面白いと感じる。
心のグラデーション、すべてを見つめたいと思っているからだ。
今回、私が気づいたことは、
何故、私がこんなに人の心や、言動の動機が気になるのかというと、
その動機(理由)に納得したいという強い気持ちが隠れているんだな、という事だ。
そして、それは父に対して無意識に、強く強く感じている、ということだ。
父がギャンブル依存で私たちに嘘をついてお金を奪っていくのは、なにか、理由があるのかもしれない。
そうならざるを得ない理由があって、例えば、父の育った環境が寂しさや弱さを生んで、結果そうなってしまった、みたいな、
それなら、しょうがないか、と思いたいというか。
わかるかな?(汗)
うーん、もっと単純に言うと、
「私の事を裏切るんだったら、それ相応ののっぴきならぬ理由があって欲しい!だって、この私を裏切るだなんてとんだもないことなんだよ!!!」
という、気持ちが隠れてたんだーーーーー!という事に気づいたというわけです。
どこかで「私がこんなんだから裏切られた」みたいな解釈があったり、
父の裏切りと私の価値は=(イコール)ではないのに、
それがわからなかった子供の私は、裏切られるに値する人間だ、とどこかで無意識に感じていた。
(何度も、何度も)
だから、裏切られるたびに私の自己肯定感は下がる一方で、
だから、
「もうこれ以上、こんな私を裏切らないで!私はその程度のやつ(簡単に裏切ってもいい奴)なんだと思わせないで!」
という叫びもあったんだろうな。
色んな気づきがあるんだけども、あれもこれも隠れてたんだなーーって感じで(笑)
だから、人の心に興味がある私の動機の根本は、
そういった「怒り」とか「傷つきたくない」があったのかもなって。
この私を裏切るくらいなら、本当に、よほどの理由があるはずだよね……
と、そんな気持ちがずっとあったから、
私はずっと、父の「本当は?」を探っていたのかもしれない。
子供の時はそこまで言語化できなかったし、そんな風に思っている自分がいるだなんて思ってなかったけど。
それがいつのまにか、父だけではなく、誰に対しても「本当は?」と考える思考癖になっていたのかもしれないな。
でも。
歳を重ねて、歳を重ねて……、やっとわかったこと。
それは、
「そんな大そうな理由なんて全くない場合もある」
という事だ。
これは、どのような見方もできるよ。
あまりにも残酷な真実と見ることもできるし、
正しく諦めることができる(明らかにする)と思う事もできる。
本当に、やっとわかった。
やっとだよ。
私の根底には、性善説がある。
人は生まれながらにして善である、という考え。
基本的には、自然とそう思っている自分がいる。
だけど。
やはり、育った環境や、その人の当たり前は違う。
そもそも人間が考える「善」も、人間が考えている時点で「完璧」ではないと思ったりする。
だから、
「善」なのか「悪」なのか、それも難しい所だ。
本当に、欲望のまま、それが「悪」という認識がなく、そうしている場合だってある。
心から悪気なんてない、みたいな。
だって、国が違えば常識だって変わるし、当たり前も変わる。
それくらい、曖昧なものだ。
どんどん、話す輪郭がぼやけてきたけども(すいません)、
とにかく、平気で、何の悪気もなく、人を裏切ったりする人はいるという事だ。
「悪事」と言われることに対して、感じる「重み」も人それぞれ違う。
私は、多分、一個一個を丁寧に拾い上げてしまうし、一個一個、意味を深く考えてしまう。
そう、重たい女、なのかもしれない。(こわいな…)
でも、それが私の普通で、それが相手に対しての礼儀だと思っている。
私の父は、そう……、それでいうと、軽い男だ。(軽い男って)
なんというか、軽い。
言葉も、考えも軽い。
軽やか、と言えば、悪くはないのかもしれないけど。
混沌とした世の中を生きていくには、軽さも必要だしね。
でも、人間関係でそれが強く出てしまうと、簡単に人を裏切ることになってしまう。
なんでも、グラデーション。
使いどころ。
本当に、そのさじ加減で変わってきますね。
とにかく、
理由に強く反応してしまう私のような人もいれば、
理由なんて全くない人もいる。
それが、やっとわかった。
腑に落ちた。
やっと、、、諦めがついた。
いろんな人がいるな。
そう思えただけで良かった。
納得して、そこに「理由」を求めないという選択肢が一つ増えたという事は、自由の幅が広がったという事だ。
色んな人がいる。
それでいいや。
今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~
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