たまに来る親からのライン。
それを見た時に、一瞬、体の奥に生じるちょっとした違和感。
それは、あえて言葉にすると、
「不快感」に近いのものがある。
この、言葉にならないちょっとした違和感。
感情。
多分、意識していなければ、
すぐに忘れ去られるくらいの違和感。
それくらいのものなんだけど。
でも、
これをあえて、もう少し、見つめてみようと思う。
本当は、
これを、わざわざすくい上げる必要はないのかもしれない。
気づかなければ、きっと、すぐに忘れて、
通り過ぎていってしまうくらいのものだったりもするから。
なのに、それに焦点をあてて、
携帯のピンチアウトのように拡大してしまうと、
「小さかったもの」が「大きくなってしまう」こともあるかもしれない。
だけど。
また、違う角度で見てみる。
「本当は」感じていた違和感を、
「ないもの」として処理しようとしていたとしたら。
無理やり「感じないように」していたとしたら。
それは、いつの日か、
大きなものになって自分に返ってくる場合もある。(心や体の病気とか)
自分が出している「小さな違和感」というサインを無視し続けているのは、
自分を無視しているのと一緒だ。
それは、とても悲しい。
だから、
今回は、もう少し、その違和感をすくい上げて、見つめてみようと思う。
何も難しいことではないよ。
そこに「ある」という事を認識して、
ジャッジせずにいるだけ。
「ない」ものとするのではなく、
「ある」と認識する。
これは、本当に、
その後の、心の状態が全然違う。
「親からのメールに少しの違和感を感じた」という事実。
他の人からのラインは不快感はない。
親からのラインの時はある。
「なんかちょっと嫌だな」という気持ちが、ふわっと心の中を通り過ぎる。
「なんて言われるんやろ」
「何を言ってくるんやろ」
無意識にそんな言葉を頭の中でいいながら、
ラインを開く自分がいる。
その時点で、
今までの経験でそういった学習がなされていて、
「親からのメールは私にとって良い内容ではない」という信念が作られて、
無意識に「嫌な感じ」を体感として、感じるようになっているんだろうな、と思う。
自分でもわかる。
「こんなこと、言ってきませんように」と願いながら、
メールを開いている自分がいることを。
毎回、そんな気持ちになる。
今は「母」からのメールにも、そう感じている自分がいるな、と思う。
去年までは、そこまで思っていなかった。
でも「今」はそう思う自分がいる。
そう思っている自分も嫌だな、と思う自分がいたからこそ、
違和感に気づかないふりをしていたのかもしれないな、と思う。
だけど。
よくよく考えたら、
そう思う事も別に、悪いことではない。
ジャッジしていたんだな、自分が、いつの間にか。
そう思う自分がいた。
ただ、それだけのことなのにね。
だって、これも、
数か月後には、変わっているかもしれないんだものね。
よく考えたら。
嫌だな、と思う自分も、居ていいし、
それがいつまで続くかもわからない。
嫌だな、と思うようになったきっかけは確かにあって、
でも、それも、「確かにあった」と思うだけでいい。
それがいつか、どうでもよくなる時がくるかもしれない。
もちろん、来ないかもしれないけどね。
でも、
「ないもの」として、違和感に蓋をしていると、
身体と心は反発する。
「ここにあるんだよ!」って
それに気づかせようと、何かを起こす可能性もでてくる。
「ある」のに「ない」ものにするのではなく、
「あるんだな」という所で「それ」の居場所を作ってあげる。
「それ」が「もういいよ~」ってなるまで、
心の端っこにちゃんと置いておいてあげる。
ジャッジせずに。
それが大事なんだよな、と自分に今言い聞かせてますよ(笑)
だって、
親からのメールを見たときに、瞬間的にくる「嫌だな」という気持ちは、
どうすることもできないものね。
意識する前に、
不快感として来てるんだもの。
この不快感がどうしてもイヤな時に、
認知行動療法とかで解決することもできる。
メールを開く時に不快感を感じて、
でも、
メールの内容を見て、「大したことではなかった」時に、
もう一度、自分でそれを認識し直す。
「ほら、大丈夫やったでしょ」って。
メールのたびに、その工程を繰り返すと、
いつの間にか「親からのメール」に対する「認識」が自分の中で変わっていることもある。
そうやって、
不快感を 解消することもできるんだけど。
「今」の私は、その方法ではなくて、
ただ、その不快感を隠すことなく見つめて、
「あるんだな」って認めてあげる事が大事な気がするので、
そうしようと思います。
「あ、親からメールが来た」
「何言われるんやろ」
「今日会えるか?とかやったら嫌やな」
「そっとしておいてほしいな」
そんな気持ちがあるよ。
うん。あるんです。
で、それでいい。
瞬間的にくる心の反応は、
無理やり変えれないんだから。
だから、「今」はこれでいいや。
あなたにもありませんか?
ふわっと来る「不快感」
それに気づかないフリをしてたりしませんか?
それを「悪いことだ」と感じて、罪悪感を感じてませんか?
でも、
嫌だと思うこと自体は悪いことではないです。
親だから。
大切な人だから。
好きでいたい相手だから。
そう思うほど、
自分の中に生まれた感情を認めるのが難しくなることもあるのかもしれないです。
「反応」も「感情」も、
それ自体に「良いも悪いも」ないです。
無理に好きにならなくても、
無理に忘れなくても、
今すぐに答えを出さなくてもいいんです。
自分がそう感じたのなら、
「そう思ってたんだね」って認めてあげるだけでいいんだと思います。
どの「反応」も、
どの「感情」も、
大切なあなたの一部ですから。
私もいろんな「私」を、
大事にしようと思います~
今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~
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