おはようございます!
こんにちは!
こんばんは!
チョキママゆりの思考部屋にようこそ!
数あるブログのなか来ていただきありがとうございます!
今回は前回の続きとなります。
前回と同じことを言いますが、本当にこの文章が誰のお役に立てるのかは正直言ってわかりません(^^;)
だけど、自分の心が「書きたい」といっているので自分の心に従って心のままに書いていこうと思います。
人の人生なんて誰も興味がないと思います(笑)
だけど、私はほかの誰かの人生、生き様に勇気をもらう事が今までにも何度もありました。この文章がそういった意味で少しでも、どこかの誰かの「小さな一歩」のきっかけになれたらいいな…と思います(^-^)(笑)
(あなたは一人じゃありません!)
どこまで続くかわかりませんが、深呼吸してゆったりと、気楽にお付き合いいただけると嬉しいです。
それでは、よろしくお願いします(^-^)
面会ごとの父の変化
(前回からの続き)
術後2週間の間に初めての面会があった。
それは手術後、ちょうど一週間後の日曜日だった。
今の面会事情はというと、やはりまだまだコロナの影響があって厳しい条件を守らなければいけなかった。
面会は1家族につき二人まで。時間は15分だった。
父がどんな状態になっているのか、面会の日が近づくにつれてまた色んな想像が私を襲った。
ドキドキして心臓が破裂しそうだった。
私を待ち受けている現実を受け入れる事ができるのか。
もちろん受け入れないという選択肢はない。
だけど、心が覚悟を決める事が出来ず、ずっとざわざわしていた。
面会初日、母と二人で病室に入る。
父がいた病棟はICU(集中治療室)だ。
何かあったらすぐに対応できるように常に看護師さんがついてくれている。
看護師さんに案内されてカーテンを開けると、父は寝ていた。
色んな管が通されていて、とてもしんどそうに見えた。元気だった父の姿はそこにはなかった。弱り切っている父の姿。だけど、生きていてくれている事が何よりもうれしかった。
(父は生きている。ちゃんと息をしている…)
私は父の胸のあたりがちゃんと動いているのを確認してホッとした。
母が父に話しかけると、父は目をさました。
父は私たちの姿を見て、ぼーっとしている。母が「お父さん、わかる?」と聞いた。父は口元が「わかる」といっているように動いた。
父は入れ歯をしていたので、入れ歯がない状態が影響しているのか、まだ術後間もないからなのか、何を言っているのか聞き取るのに苦労した。
だけど、なんとなくでも、私たちが言っている事を理解している様子は感じ取れた。
沢山話したい事、聞きたい事はあったが、父の負担になってはいけないと思ってかなり気をつけながら話しかけた。
ここで、確認できたことは、
父は多分こちらの言っていることは理解できている。
問いに対して答えたい気持ちもある。
手足は両方とも動く。
という事だった。
あと「頭が痛い」という事も言っていた。
(もちろんはっきりと言っていたわけではなく、何度も聞き返してそう言いたいんだと理解した感じ)
面会の時間はあっという間に終わった。
それからまた一週間がたち、二度目の面会。
そして三度目の面会と、回数を重ねるたびに少しづつではあるが、父の状態は良くなっていっているように感じ取れた。
ただ、気になる事があった。
それは父との会話にタイムラグがあることだった。
わかりやすく言うと、記憶の引き出しがうまくいかないといった感じだ。
この前とか、昨日とか、そういった時間差の情報処理(特に短期記憶)がうまくいっていないから違和感がある。
一か月後にはリハビリ病院に転院すると先生に言われていたことを「退院する」と勘違いしていることもあった。その時に「退院じゃなくて転院だよ」と訂正しても、次の面会の時にまた「退院できる」と思っていたり、微妙な言葉の理解がうまくいっていない感じだった。
あと、病院服(パジャマを着ている)自分を忘れるのか「お父さんのポケットにカードが入っているから」と、お金の事を心配をして母にお金を渡そうと思ったのか、ポケットを探るようなしぐさをしたりもあった。(いつもポケットに財布を入れていたため)
でも、普通の会話をすることはでき、時折、冗談みたいな事を言っている時もあった。
一方、過去にあったことの記憶はしっかりと覚えていた。
ただまだこの時点では、
「会話することができる」ということを確認できただけで、
以前と同じように仕事ができるのかとか、そういったことはまだまだ分からない状態だった。
(父はパソコン関係の仕事をしている)
今現在、父が倒れてから日数を数えると約2ヶ月が経っている。
今の父の状況は、手術してからだいたい1ヶ月半後にリハビリができる病院に転院し、ちょうど1週間が経ったところだ。
今の病院は前の病院よりもさらに厳しく、面会は一人だけ。母が面会に行っているので私は父とは会えていない。
本当は術後ちょうど1ヶ月で転院する予定だったが、たまたま転院する日に父と同じ病室の人がコロナにかかり、父は濃厚接触者となってしまって転院が1週間延びてしまった。
この時もかなり私たちは絶望したけど、その怒りをどこにもぶつけることはできずにただただ我慢するしかなかった。
この1週間のロスがどんな影響を与えるのか。やっぱりとても不安だった。
だけど、なんとか自分の中で捉え方を変え「この1週間の延期がきっと必要だったんだ」と思うようにした。
この時の私はとにかく前向きに、とにかく良い方向に考えようと思えるようになっていた。
父の転院が延期になった時、ちょっとでもリハビリにつながればいいなと思って、母と一緒に本屋に行き、数独(ナンプレ)の本を選び、父に渡してもらった。
父はもともとナンプレやクロスワードが好きだったので、ちょっとでも刺激になればいいなという思いで渡した。この時も実は色々と迷いはあった。
以前は好きだったけど、病気の関係で数独を理解することができなかったら逆にショックをうけるのではないかな?とか、そんな心配はあった。
だからこそ、「無理にしなくていいから気が向けばよかったら見てみて」といった感じで渡してもらった。
結果、どうだったのかというと、転院の日に付き添った母が数独の本に少し鉛筆で書き込んでいるのを確認できたみたいだったので渡してよかったなと思った。
リハビリ病院に転院してからの面会はまだなので、父の様子はまだわからない。
でも、転院したころにはだいぶ会話や動きがスムーズになっていた。
手術後2週間からの経過
「2週間の壁」の第一関門をクリアし、それからSCU(脳の集中治療室)、一般病棟へと症状に合わせて順番に部屋を移動していった。
頭蓋骨を戻す手術をするまでは父の手には厚手の手袋みたいなものがずっと装着されていた。
父が頭蓋骨を戻す手術をしたのは最初の手術をしてから約三週間後だった。
このころの父は前章でも書いたように、会話はできるけどどこか会話内容にタイムラグがあり、基本的にはぼんやりとしている状態だった。担当の先生が「骨が入ったらもう少し意識の方もはっきりしてくると思います」と言っていたので、不安はあったがそれを信じるしかなかった。
頭蓋骨を戻す手術が無事に終わると、父の手の厚手の手袋は外されていた。
食事も流動食みたいなものから始まっていて、ヨーグルトやプリンなどを食べ始めていた。だけど、鼻からの管はまだつけられていた。(口からの食事だと栄養がまだ足りないため)
トイレは車いすを使って移動し、自分でできているようだった。
父が「リハビリみたいなことはしている」といっていたが、これもまた本当にしているのか、どんなリハビリをしているのかはよくわからなかった。
転院一週間前くらいには鼻の管もとれていた。
この間、頭の中で水がたまるとまた手術が必要といわれていたので心配していたが、
何とか無事に転院日を迎える事ができたので本当によかった。
父がこれからリハビリをすることでどこまで回復するのか。どんなことに不具合が生じているのか。短期記憶のタイムラグの問題は少しでも治るのか。それはまだまだこれからわかっていくことだ。
…まだまだこれからなんだ。
自分ではどうすることもできない事実に対しての心の葛藤
父が倒れてから今に至るまで、約二か月弱の間、本当に色んな心の状態を味わった。
これからどうなるのか?もし○○だったらどうしよう…。
父の人格が変わってしまったら?全くの別人格になってしまったら父のことを父と思う事はできるのか?じゃあ私はいったい人の何をみて、感じて、「その人だ」と認識しているんだ?
私は父の見た目で「父だ」と認識しているわけではなく、父の心を見て「父だ」と認識しているのではないか?じゃあ全くの別人格になってしまったら、それはもう父ではないんじゃないのか…。
そんな考えが堂々巡りすることもあった。
とめどなく湧いてくる不安をとりあえずは受け止めつつも、その不安はある程度の時間、私の状態を不安定にする。
この時、私は自分に対して色んな問いをかけた。
考えてもしょうがない事を心配して、こんなにも不安になるのは、
「…自分が傷つきたくないからだな」とおもった。
そう、私は自分を守りたいんだ。
信じて裏切られるのが怖い。信じたのにショックなことが起きるのが怖い。
そう思っている自分に気づくと、結局は自分の事を考えている自分が嫌になりそうだった。
でも、そんな事をしてもしょうがない。
そんな自分をひっくるめて受け入れ、許そうと思った。
(素直にそう思えてよかった)
本当に今思うと、目まぐるしく移り変わっていく自分のすべての感情を否定することなく受け入れたことがよかったんだなと思った。
感情にいいも悪いもない。そんな事を身をもって痛感した。
病気を経験している父本人が一番つらい。だけど、やっぱり周りの家族も思っている以上に精神的ダメージがあるんだ。
自分ではもう落ち着いてるつもりでも、体は正直だった。
不整脈が出たり、血圧が上がったり、そんな不具合も顕著にあらわれていた。
記憶力も落ちていて、さっき聞いたことを思い出せなかったりもした。
いつもだったらしないような小さなミスもした。
頭ではもう大丈夫と思っていても、心が回復していないんだと思った。
だからこそ、本当に、同じような経験をしている人には「無理をしないで」って伝えたい。
思っている以上に時間が必要だし、心も体も休ませることが必要なんだ。
自分でも一番、心の疲れを自覚したのは、
いつもだったら気にならないことに対して敏感に反応しすぎてしまう自分に気づいたからだ。
私が育った家庭環境は結構複雑だったので、母に対して「私がしっかりしないと、母を困らせてはいけない、私が母を守らなきゃ」という想いを強く持ちながら私は育った。
母のこともどこかで「心が不安定で弱いからこそ守ってあげなきゃいけない人」だと思っていた。
小学生のころからそうだったので、その考えは私にしみついていた。
だから、今回も父が倒れてしまった事で母の心が壊れてしまうんじゃないかと最初はとても心配だった。(真剣に、母がいなくなってしまったらどうしようという不安が毎日私を襲っていた)
父が倒れてから毎日、母が元気なのかメールで確認するようになった。
母は昔は今よりも感情の起伏が激しかった。今は落ち着いてはいるものの、たまに自分に余裕がない時はメールの文面を見ただけでその状態がわかるような雰囲気のメールを私に送ってくることもあった。
だからメールの文章が元気がないと一気に心配になったし、返信がかなり遅れると「何かあった」という事になるので、それもまた私の心が不安定になる原因だった。
そんな経緯があったからこそ、自分も些細な事に対してとても敏感になってしまい、いつもだったら気にならないことまで心配になってくるようになってしまった。
一度、母に送ったメールの返信が一晩かえって来なかった時、私の心配はピークに達してしまった。
寝たくても眠れない。考えないでおこうと思っても心臓が勝手にバクバクして止まらない。
息は浅く、頭にも血が上っている感じで、眠れるような状態ではなかった。
結局その晩は一睡もできなかった。
蓋を開けてみたら、結局その日は母は疲れ切って寝てしまっただけだったのだが、
自分自身、異常な自分の反応に「このままだと私が倒れてしまう」と思った。
それをきっかけに私は、もう一度自分自身を見つめ直した。
この時もまた私は、
自分が傷つきたくないために、自分を守るために、心配しているんだなと気づいた。
いろんな経験をしている母は私が思っている以上に強い。
だけど私は自分が傷ついてしまうかもしれない恐れから「母を信じること」ができていなかったんだ。
これは、自分の心の奥にある深い深い問題だと思った。
そう、これは私自身の課題なんだ。
今まで私もいろんなつらい経験をしてきた。
そして、私が生きづらさを感じていた原因が親にあると思いながら、そんな自分を何とかしたくて沢山自分と向き合ってきた。
たくさん勉強して、たくさん自分と向き合って、親が私によくも悪くも与えた影響は大いにあるけど、「そこに囚われている以上私は本当の意味で課題を克服することはできない」ということにも気づいた。
そしてその時期に私の中にあった「母との課題だと思っていることについて」も解決したつもりだった。もう大丈夫だと思っていた。
だけど、
今回私はまだ解決しきれていなかったということに気づいた。
心というのは本当に複雑で、
玉ねぎの皮のように何層もかさなっていて、表面の皮の部分が解決したとしても、
めくるとまた何か出てくることがある。皮をむいては出てくる問題と向き合って、解決して。
それの繰り返しなんだ。
今回の経験を通じて、
「母を信じる」という課題に向き合う事が出来た。
そこに気づいてからは、母に送っていたメールをパタリとやめた。
行動を変えなければ、現状は変わらない。だから「心配してメールを送る」という行動をかえてみた。
どんな行動でもいい。小さな行動でも、立派な一歩なんだ。
そして、母はというと、…別に大丈夫だった。
母はやっぱり強かったんだ。
「私が強くならなきゃ、しっかりしなきゃ」という呪縛から解放された瞬間だった。
我慢しなくてもいいんだ。
つらい時、悲しい時、しんどい時はそのままの感情をお母さんに言ってもいいんだ。
心からそう思えた。
今回、色んな心の葛藤が自分のなかにあった。
つらくてしんどかったけど、これもまたすべてを感じきることができてよかった。
父の病気を通して本当に色んな事が私の心のなかでおこっていった。
(そしてまだまだ色んな事が起こることになる…(汗))
続く
最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。
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