なんでも「自分がしなきゃ」と思ってしまう思考のクセに気づくこと

心豊かに生きる
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先日は色々とあった1日だった。

みんな色々あるよね。本当に。

いろんな人生がある。

この世に生まれてくる前に、自分で人生のプランを考えて生まれてくるってスピリチュアルな話を聞いたことがある。

そうか。この私の人生もまた、結局は自分で決めてきてるのか。私の人生の使命はなんだろうな。

なんかわからんけど、なんとなく「許す」か「信じる」な気がするな。

それは他人に対しても自分に対しても。本当に今までの人生、思い返してみると、そこでつまづくことが多いという事は、いい加減克服しいや~って言われてるみたいだなと感じる。

 

 

腑に落ちて、完全に克服できたら、もう学ぶ必要がないからそういう事は起きない。(まぁ起きないというか、引っ掛かりがなくるというか…)

人生でいろんな経験があって、その奥に「裏テーマ」が隠れているとしたらその言葉なんじゃないかなと思う。

 

なかなか手強いプランを考えたもんだよ、まったく。

 

そんなことを考えながら、ふと母のことが頭をよぎる。

母はほんまに壮絶な人生を歩んでいると私は思う。

 

それら全部を母自身が設定してこの世に生まれてきたんだったら、なかなかのファイターだ。

裏切られて裏切られて、苦労して。そして、次から次へと困難がやってくる。

一体、いつになったら母は自由になれるんだろうと思う。 そんな事をたびたび考えては、気持ちが重くなる。

 

 

でも。これも、また、気をつけないといけない事が隠れている。

 

そう。

これは「母の人生」なのだ。

 

「私の人生」ではない。

 

自分事のように考えてしまう人。感受性が強い人。そういった人は特にこの状態に陥りやすい。

自分の事のように考えて、相手の悩みや相手の問題を一緒に感じてしまう。そして、気持ちが重くなる。

 

近しい存在の人ならなおさらそういった状態に陥りやすい。しょっちゅう悩みを聞いたりするから。こういう時、やはり、冷静にいるためにも距離感がすごく大切だ。

心の距離感。

 

共感は大事だけど、共感しすぎるのは何でもよくない。 

そして、みんな同じ世界を生きているようで、見えている世界は違うんだから、そもそも私が感じていることと相手が全く同じではないという事にも気をつけないといけない。

(極端な話、私が「大変やな」と思っても、相手にしたらそこまで大変ではない場合もある。相談されていたとしても、相手がどこまで大変だと感じているのかは、相手の物差しによるのだ)

 

夫が私の話を客観的に聞いていて、母に対しての感想を言っていた。

「いろいろあったし大変やんな。でも、また違う角度から考える事もできる。これは悪口とかじゃないで。こうも考えられるよってこと。今の状況はお母さんがそう決断してきたからの結果やろ?大変で可哀そうとも思えるけど、それは自分でそれを選んできたってことや」

 

確かに。そうなんだよなー。

今までもいろんな決断のタイミングが母にはあった。でも、母は今につながる選択を重ねてきた。その結果が今なんだ。

違う選択をしていたら、また、違う結果があったのかもしれない。

 

私もそう。今までいろんな選択があって、迷って、悩んで、決断してここまできた。

私もいろんな事で悩んだりするけど、自分が選択してきた結果が今なのだ。

 

もちろん、子供だった頃は、自分の選択、決断といっても限界があるけどね。

 

夫が言いたいのは「だから、100パーセント可哀そうやってなるのは違うんやで」ってことなんやと思う。

その母がしてきた選択で結果的に、あなた自身も子供のころから色んな苦労をしてきてるでしょって。

 

 

本当に物事は複雑やな。そこだけ見ても、すべてはわからない。物事は複合的にいろんなことが絡み合っている。

 

母がしんどそうやと、つい、私も昔からのクセで「私がなんかしてあげなあかん」と思ってしまう。それは、子供のころの私がずっと思ってきたことだ。

考え方のクセ。ずっとそう思わざるおえない状況だったから、もうそれが体にしみついている。

 

でも、大人になって、いろんな学びがあって、そうじゃないんだよってことがわかった。

私が助けるんじゃない。解決するのは母だ。母の学び、母の経験なんだ。

 

 

わかっていても、しみついたクセはなかなか完全には取れない。

だから、こうして、思い出して「あ、そうやった、気を付けよう」と自分の行動を見つめ直すことが必要なんやな。

 

 

もちろん話は聞く。できる事は、しっかり話をきいて、母がまた自分で乗り越えていけるように勇気を持ってもらえるような対応をする事だ。

 

子供のころから苦労してきた母を見ている私の口ぐせは「私はお母さんの味方やから」だった。

今も味方というのは変わらない。でも、私も学んだんだ。相手の課題を奪ってはいけない。相手の学びを奪ってはいけない。相手に乗り越える力があると信じること。信じていれば、余計なおせっかいはいらないはずだ。

 

 

余計な心配には気を付けよう。

それは私の課題だな。

 

 

「なんでもかんでも自分がしなきゃ」という思考のクセがないのか。

思考グセは「クセ」なんだから、無意識だ。

 

そういった癖があるのか、どうかに気づくことも大切やな。

 

 

改めて気をつけようと思ったここ最近の学びでした。

 

最近ホルモンの関係なのか、なんなのか。思考に偏りが出がちだな。でもこういう時もあっていいんだ。

どんな思考もジャッジせず、見つめることから。

うん。

気を付けよう。

 

最後までお読みくださり本当にありがとうございました!

この後も素敵な時間をお過ごしください!ではまた~

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