学ぶ意味は「境界線をなくすこと」だった。生きづらい原因は偏り、境界線にある。

心豊かに生きる
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「なんのために学ぶのか?」

この疑問に対して、自分の中で新たな答えを見つけた。

 

「学ぶこと」

 

大人になって、職につき、生活することができていたら、学ばなくても生きていける。

ある程度、今のまま、現状キープで良かったら、なにもしなくてもいい、というのも一つの考え方だ。

 

学ぶと何がいいのか? 

 

知識が増える。

視野が広がる。

選択肢が増える。

色んな情報に惑わされない。

 

こういったメリットもある。(ほかにも沢山あるよ)

 

私は学ぶことが好きだ。

どんな学びかと聞かれたら、ジャンル問わず、自分が「おもしろい!」と思った事に関して、何でもいいから知りたくなる。

つまりただの「好奇心」だ。

 

でも、面白い。本当に面白い。

自分の知らなかった事を知れることは、本当にワクワクする。

 

昔の私だったら、将来、役に立つことや活かせる事を考えて、選んで学んでいたと思う。

でも、今は本当に、ただ自分がその時「知りたい!」と思ったものを手当たり次第、興味の赴くまま、学んでいる感じだ。

 

そんな中、改めて、学ぶ事ってこういうメリットがあるから大事なんだ、と思ったこと。

 

当たり前のことかもしれないが、でも、改めて、自分の中で腑に落ちる感覚が大事なんだ。

ただ知っているだけ、わかっているだけとは全然違う。

腑に落ちるという事は真に理解することと同じだ。

 

なにかを学ぶと知識が増える。詳しくなる。

それが例えば何かの思想だった場合、そちらに自分の考えが「傾く」こともある。

傾くこと。

「そっちより」になること。

AとBの考え方があったとしたら、どっちかに偏るということ。

 

今までは知識がなかったから、傾くどころか、どっちをも、否定していたとする。(もしくは無関心か)

でも、どちらかを知ると、自分の中の狭い視野でしか見れていなかったことに気づき、Aであれば、自分が知ることがなかったAの良さを再発見できたりする。

Aに興味が沸き、知れば知るほど、好きになり、自分の思想もAに偏っていく。

 

そして、偏りが強くなっていくと、派閥ができたりする。(こともある)

私はA派。あの人はB派。だからあの人は敵。行き過ぎると、こういった敵対心が芽生える。

どうにかして、自分の派閥に入れたくなる。

相手の思想までもコントロールしたくなる。

 

中途半端に学ぶと、そういった事に陥りそうになる。

 

でも、しっかり学ぶとどうなるか。

Aという物を知ったならば、同じようにBも知ろうとすることだ。

 

Aだけしか知らないと、それが全てだ、となってしまい、逆に視野が狭くなる

視野を広げようとして学んでいるのに、逆に視野が狭くなる。 

小さな小さな世界に自分を押し込めてしまう。

しかも気づかぬうちに。

 

それだけは避けたい。

 

私の「興味の赴くまま学ぶ」という事は、ジャンルに縛られず、偏らず、いろんな視野を広げていくという事に近い。

広い視野で学べば学ぶほど、自分は知らないことだらけだ、という事に気が付く。

自分はなんにも知らない。理解できない事も沢山ある。

その気づきがとても大切なんだと思う。

 

 

偏っている自分にも気が付けたら、真ん中に戻ってこれる。

俯瞰して自分を見て、自分が今どこの位置にいるのかを確認する。

気づくことはとても大切。

偏ることは悪いことではない。

偏りに気づき、戻せばいいだけ。

「あ、今偏ってたな、真ん中はどこだ?真ん中に戻ろう」って。

 

偏りを楽しめばいい。

ただ、偏りを間違った方向に使うと、差別になってしまう。そこだけは要注意だ。

 

学べば学ぶほど、どちらもの偏りを知ることができる。

そうなると、「そうは言うけど、こうも考えられるよね」「信じられないけど、そんなこともあり得るのかもしれないね」と、色んな物事への境界線がゆるくなる。

きっちりと線引きしていたものが、曖昧になる感じ。

そう、分厚い直線から、ほっそい点線になるみたいな。

点線だから、いつでも反対側に行けるし、いつでも戻ってこれる。もちろん真ん中に居続けることもオッケー。

 

 

学ぶという事はつまり、自分の中の境界線をなくすことになるのだ。

 

これってすごいことだ。

自分で勝手に作っていた境界線。でもそれがものすごく生きづらさにつながっていたりする。

境界線なんてもともとなかったのに。

こっちからこっちはセーフとか、こっちはアウト!、こっちは好き、これは嫌い…そういう線引きはなかったのに、いつの間にか作ってしまってるんだ。

どっちもわかる、どっちもアリだよね。そう思えたら、ものすごく生きやすい。否定がない世界。認め合う世界。うん、私はそういう世界を生きたい。

 

学ぶと知識が増える。視野が広がる。自分が知らないことは沢山あるという事に気づく。そうすると、もっと学ぼうって思える。安易に自分の考え以外の思想を否定したい気持ちもなくなる。だって自分が見えているものはすごく狭いという事に気が付いているから。

知識が増えると、境界線が曖昧になる。

 

真実は一つなんじゃない。解釈は人の数だけ無限にある。(コナン君は好きだけど…)

 

やっぱり学ぶことは楽しいな。

知らない自分に出会えることも楽しい。

 

何を学んでもいい。

ワクワクするのか。ポイントはワクワクだ。

 

2025年も沢山学ぶ一年にしよう。

今日もたくさんの学びがありますように。

 

年末年始、夫、息子たち二人がインフルエンザにかかり、カオスな数日間だった。そんな中、自分だけインフルエンザにならない奇跡。でも、その期間中はとにかく何もできなかった。する気も起きなかった。

健康だからこそ意欲が湧く。「欲」は健康があるからこそなのだ。どんなに頑張っていても、風邪をひく時はひく。(今回はかからなかったけど、思い返してみると、子供がかかった時点で完全にウイルスを防御なんて不可能だと思う)自分でコントロールできることなんてほんまにないんやなーーー。生かされている。感謝。そんな事を思う年末年始だった。

カオスに視点を定めるのか、インフルから免れた軌跡や、今もなお、私を生かそうと働き続けてくれている細胞さん達に視点を定めるのか、どこにフォーカスするのかは、

「自由だ~!!!!!」

 

 

今日も最後までお読みくださり本当にありがとうございました!

インフルエンザ、流行っているみたいです。

くれぐれもお気を付けくださいませm(__)m

 

(個人的には、喉に違和感を感じたらすぐにのど〇ーるスプレーをしゅっとするとひどくなりにくかった体感があります。ありがたや~)

健康に感謝!

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