生きづらさを軽減するには?自分責めが止まらない?ネガティブも必要と思う考え方。

スピリチュアル
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「生きづらい」

この文言、最近では本当によく目にするようになった。

みんな生きづらさを感じている。色んな理由があるよね。きっと。自由なのに、自由じゃない。息苦しい。そんな感じだ。

 

私も定期的にやってくる思考がある。その波が来るとしばらくの間は「自分責め」思考がひどくなる。

この前もその思考につかまった。そしてそれがしばらく続いた。しんどかった。

 

今はそこからは抜け出しつつある。だからちょっと冷静になって振り返ってみよう。

 

この前まで私は色んな事が重なって心がかなりしんどかった。コンディションが最悪。そんなときはもう何を考えても前向きにはなれない。そこから抜け出すには色んな方法がある。でも、何をしてもうまくいかない時はただひたすら時が経つのをおとなしくまつしかない。 

 

心が疲れていると何にたいしてもマイナスにとらえてしまう。物の見方次第でなんとでもなるはずなのに、全部がマイナスに感じる。

何とか抜け出したいのにね。

でも、下手に動くより、ジーっとしてるのがいいんだ。止まっているのは「不安」になる。前に進んでいない気がするから。停滞って怖い。でも、その感情は置いといてただ待つしかない。

 

 

そんな状況だと、過去の解決できていたトラウマがまた復活してしまう事もある。

 

過去に対して、解釈の書き換えができていたはずなのに、またもとに戻ってしまう。ネガティブな感情が復活してしまう。

 

そんな自分が嫌でまた落ち込む。

自分責めだ。

 

こうなると負のループ。

 

申し訳ないけど、ちょっとだけつぶやきます。(失礼します)

 

私が負のループ中につきまとった思考。

それは「父との過去」に関することだ。

父のおかげで私はたくさん苦労した。本当に大変だった。こじらせてこんなややこしい性格になった。(いや、それはもともとか?)

さんざん悩んで、向き合って、やっと過去のトラウマの意味づけをポジティブなものに書き換える事ができた。だから嫌だった過去の思い出には感謝できるようになった。

 

父に対しても「許そう」と思えるようになった。そしてすべてに感謝していた。

 

でも。

また以前に抱いていた負の感情がむくむくとわいてきたのだ。

心のコンディションが悪く、状態が最悪だったからだと思う。でも、そんな気も知らず、過去の出来事さえもなかったかのようにふるまって、さらには今の自分(父)は聖人君主のような気持でいるもんだから。

 

「調子がいいよね。散々家族に苦労かけたのに」

 

って思う思考が発生してしまったんですよ。。。。。

 

解決したはずなのにね。そんな感情抱いてる自分が嫌なのに、感情はどんどんわいてくる。嫌な気持ち全開。

あぁ。最悪。ブラックな私だ。嫌だーーーー

 

 

こんな思考がぐるぐるですごくしんどかった。

ここを分解してみると、私が嫌だったのは「ネガティブな思いを持っている自分」だと思う。

それは「心が広くない、心が狭い感じ」で理想の自分とはかけ離れている。

 

理想の自分は「愛」に溢れていて、なんでも受け入れて許せる自分。

 

 

でも、そんなんじゃなかった。ぜんぜん。

 

解決できてた時は、理想の自分に近づけてたのに、また振り出しに戻った感じがした。だから「私、ぜんぜんあかんやん」って自分責めが止まらなかった。

 

でも、まず冷静になってみる。今は冷静になれるから。

 

ネガティブな感情を否定するからしんどくなる。でも、そもそもネガティブな感情ってだめなものだったかな? 

 

ううん、違う。

ネガティブな感情も大切な自分の一部だ。

 

それを否定するから苦しむ。

「ネガティブはあかん」っていうルールをまた勝手に強化させてしまっていた。

 

結局、苦しみは自分で作ってしまっている。幻想なんやな~。

 

ネガティブがわいてきたっていい。それが今の「ほんまの自分」なんやから。

それを否定するということは「ほんまの自分」を否定していることになる。

 

 

だから苦しい。自分で自分を苦しめている。

 

 

まずは変なマイルールを作っていないか、もしくは変に強化させていないかを振り返ることが大事だ。

 

ネガティブは悪いものじゃない。

 

闇があるからより輝くことができる。

闇があるから光に気づくことができる。

 

光しかなかったら、光っていることすら気づけないかもしれない。

 

どっちもが大切なんだ。

 

「今」をみると、感謝できる事はいっぱいある。でも、それと同時にネガティブも共存している。ネガティブをポジティブに書き換えたからと言って、すべてネガティブが消えるわけではない。完全に上書きされるわけではない。

 

ネガティブがあったから、ポジティブに気づける。

小さな幸せに気づくことができる。

 

だから完全にネガティブがなくなることはなく、ネガティブもあってこその自分なんだ。

 

 

できない自分を責めるんじゃなくて、できない自分を認める。

定期的にポジティブからネガティブになってしまう自分を責めるのではなく、そんな自分をそのまま認める。

 

 

次またしんどくなったら、この考えを思い出そう。(思い出せるかな~汗) 

 

まぁいいや。不器用な自分も認めよう。

 

あ、最後に変なこといますが(笑)

「ネガティブがわいてきたっていい。それが今の「ほんまの自分」なんやから。」というさっきの文章。

これ、実はもう少し違う角度で考えてみる事もできます。

 

ネガティブがわいている自分。これはほんまの自分なのではなく(え?違うんかい)

自分のエゴがその思考を出してるとも考えられる。

まぁエゴと言ったり、自我と言ったり、左脳意識と言ったり、思考と言ったり、、、いろんな表現ができるけど。 

それらが「ほんまの自分」なのではなくて、そこじゃないところにいる「意識」が「ほんまの自分」という考え方。

 

意識は感情ではないから。ほんまの自分ではない。感情と一体化していないのがほんまの自分。

 

スピリチュアルっぽいですけどね(笑)でも、その考えにも納得する自分がいるのは確か。

 

 

ほんまの自分はそんな感情に支配されない次元にいる。(んだと思う)

 

とりあえず、負のループから抜け出せてよかった。(ほッ)

 

 

長々と最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

 

あなたも自分を責めたくなった時には、ネガティブな自分も受け入れていいんですよ~

それがあってこその「あなた」ですから。

 

 

この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~

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