世界の中心で「愛」ではなく「ゼロベース!」と叫ぶ的なお話。

がんばりすぎた日々の話 (過去の体験 ・親・家族・夫婦 ・子育ての中の自分)
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最近、私のなかで「これ使えるな」と思っているお話し。

方法論だけをいっても、あまり伝わらないかもしれませんが、私と感覚が似ている人には一ミリでもお役に立てるかも?!デス。

 

 

子育て。

これは本当に「親育て」だよなと、日々痛感している。 

 

子どもは自分の一部ではないとわかっているけど、どうしても、距離がちかくなってしまう。

難しいよね。本当に。

 

だから、「もっとこうしてほしいな」みたいな自分の願望を押し付けてしまうことがある。

「子どものために」の仮面をかぶって、実は「自分のため」だったりすることもある。(うう。胸が痛いw)

 

だから、何かを思った時には「これは自分のエゴの押し付けではないか?」とできるだけ問うようにしている。

 

 

しょうもないことだらけやけど、「~してほしい」っていう気持ち。些細なことも含めるとたくさんあるよね。

 

で、これも、やっぱり、一方に偏りすぎると危険なわけで。

あまりにも「エゴを押し付けちゃいけない!」って思いすぎると、本当に知らず知らずのうちに自分の中でストレスをためてしまって具合が悪くなったりもする。

 

だから、それは人それぞれだからなんとも言えないけど、「これはどうしても」って思う事は「伝え方」をちゃんと考えつつ、自分の気持ち、自分の想いを伝えることは大切だ。

 

「お母さん」の前に「私は一人の人間だ」とよく思う。

だから「お母さんだから」って無意識に気持ちにブレーキをかけ過ぎる事は気をつけないといけない。

 

 

そんなこんなを日々感じながら生きているわけですが。

 

最近、自分の中でこの言葉を「思い出す」といい感じに心が落ち着いて対処できるなってことが多くて。

それを自分の切り替えスイッチに「設定」する、みたいな。

何がその人にとっていい感じの「スイッチ」の「言葉」になるかはわからない。それは自分で探すしかないんだけど。

 

私は「ゼロベース!」って言葉が妙に心を落ち着けるスイッチになるらしい。

 

 

例えば、

子どもたちが喧嘩をしているとき、いろんな感情がわいてくる。

その感情が起こる理由は、私のなかに「こうあるべき」「これが普通でしょ」「もっとこうしてほしい」みたいな価値観があるからだ。

 

その信念をもとに、出来事に対して感情が起こっている。

 

信念は、あまりにも当たり前のものとして自分にくっついているから自分でも気づきにくい。

 

そこに気づいて「書き換え」ていけたら話は楽なんだけど、それがなかなか難しい。(自分と向き合ったり、やはり時間がかかるのだ)

 

そこで役に立つのがこの言葉。

「ゼロベース!」だ。

 

 

私にはこの言葉があっているらしい。

なにか感情が動いてイライラしそうな時「ゼロベース!」と頭の中でこの言葉を思い出すと、物事をジャッジしている自分から、なにもジャッジしていない自分、そう、真ん中の自分に戻れるのだ。

 

「喧嘩をしている子供たち」という状況を、ただその時に起こっている「現象」としてみる事ができる。

 

「ゼロベース!」と思う事で、判断基準がゼロに戻る。「こうあるべき」「こうしてほしい」そういった思考から離れることができる。

もともとはそんな「基準」はなかったんだから。

 

いつの間にか当たり前のように自分のもののようにくっついている「価値観」

それは「その時」は必要だったのかもしれない。

だけど「今」は必要ないのかもしれない。

 

そう思う事ができる。

 

 

「これは良いこと」「これは悪いこと」

そういった二極の思考から私をフラットな場所に連れていってくれる言葉。

それが「ゼロベース」だ。 

 

 

もちろん、子どもたちが殴り合いとかを始めたら、止めに入ったりしますよ(笑)

だけど、なんというか、起こる出来事すべてに「反応」しなくてもいい。

そうすると、

「自分がすごく楽ちん」なんだ。

 

 

マイルールが多い人、真面目な人、ちゃんとしなきゃが強い人、

そんな人ほど「出来事」に対する「反応」って多くなってしまう。

 

「私ってなんでこんなに疲れやすいんだろう」

そう思う人の中には、感情が揺れ動くことが多すぎて疲れてる人もいるかもデス。

 

 

でも、

なにか感情が動いてしんどいなと思った時、「ゼロベース!」と思い出してみてください。 

 

 

「そもそもこうあるべき」なんてものはなかった。

「これは悪いことだからなんとかしなきゃ」と思っているのも、悪いことではないのかも。

 

そう思えることで心が落ち着き、ふぅ~っと深呼吸している間に、

その「現象」はあなたの前をただ静かに通り過ぎていっているかもしれないです。

 

 

過ぎていってしまえばわかるんです。

「あぁ、反応しなければ、通り過ぎていくんだな」って。

 

 

いろんな場面でこの言葉を思い出すと、私は結構、いい感じに過ごせてますよ。

だから自分のHP(体力的な)を守ることができる(笑)

 

 

最近、そんな感じでいい感じに過ごせたり、

感情が揺れ動いたとしても、すぐにまた、真ん中に戻ってこれる感じなので(リカバリーが早い)、

もしもこの「言葉」があなたに合えば、あなたのHPも守れるはず(笑)

 

 

この言葉じゃなくても、あなたにあった「言葉」はあるはず。

 

「そんな方法があるんだ」と引き出しを増やす事で、また使えるタイミングがやってくるかも!(いい言葉が見つかりますように) 

 

「言葉」の力はすごい。

  

あ、そうだ。

最後に、もう一つ。

以前にも、ブログで書いたことあるけど、もう一回。(笑)

 

 

何か、マイナス思考がとまらない時。

出来事が起こって感情が一瞬、マイナスに傾いた時。

ゼロベースと言って、フラットになった瞬間。

 

とにかく先に、思考より先に体にアプローチをかける方法。

 

「口角を上げる!」

これです。 

 

とにかく、そんなとき、そんな気分じゃなくても、マイナス思考のままでもいいし、怒っているままでもいい(笑)

「口角を上げてニコッてする」

 

 

別にこれはちゃんと笑っているかどうかは考えなくてよくて、自分の体感で「私今ニコッてしているな」と思えていればオッケー。

 

そうしてると、不思議や不思議。

 

マイナス思考は止まるし、怒りの気持ちもどうでもよくなるし、気分がよくなってくる(笑)本当だよ。

ニコッて口角を上げる事で、脳が勘違いをする。

「あ、今楽しいんだな」って。

 

すると、マイナス思考のおしゃべりが止まる。嫌な想像がストップする。

 

瞬間的にくる心のざわざわした不快感だってそうだもんね。心のざわざわ、心臓のドキドキがあって(体の反応)、そのあと、不快な感情(心の反応)がやってくる。

体の反応に対して、脳が、「あ、これは不快な感情のやつですよね」って判断して、「嫌だな」とか「怖いな」とかそういった感情を作り出すのだ。

 

その仕組みをプラスに使いこなす感じだ。 

 

さきに笑う。

さきにガッツポーズする。

さきに背筋を伸ばす。

 

思考より先に、体にアプローチ。

これ、結構使えます(笑)

 

体ってすごいや。

本当にすごい。

 

 

いつも感謝だ。

ありがとうございます~

 

 

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!

この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~

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