「自分の役割」をその場で察知して演じて疲れる事ってあるよねという話

心をほどく言葉(気づき・違和感・感情の整理・生き方の視点)
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先日、家に母が来た。

私の弟の子ども、つまり孫の面倒をみていたが、「一人で見るのは大変」ということでちょっとだけうちの家にやってきたのだ。

その時、うちの家には子供たちも夫もいた。

 

さて。 

私はその時、その場の空気、雰囲気を察知して、その時一番「最適な役割」を演じることに集中する。

 

「ゆりさんよ、そんなこと考えてるんすか」と引かないでね。(おねがいします)

 

私の頭の中はこんな事を考えている。

 

「母の今日のコンデションはそんな感じか。テンションはそんな感じね、うんうん、オッケー」

「夫はどうかな。うん、そんな感じか。悪くないな、そっとしておくよりも、たまに話を振ったり声をかけよう」

 

そんな感じでその場の空気感、そこにいる人達のコンデション、しゃべっている時の会話の内容、テンションを考えて、

「みんなが気分よく、楽しく過ごせるにはどんな接し方をして(もしくは、そっとしておくとか)、どれくらいの割合で話かける」とか考えたりする。

その時の私のキャラ設定も考えてその役を「演じる」(そう私は女優。ふふふ)

 

 

「めんどくさーーーーー!」

 

はい。

そんな声が聞こえてきそう。

そうですね。私もそう思う。でも、考えてやってしまう。

 

 

なぜなら、

その場の「調整」を無意識にやってしまうクセがあるから。

 

 

なんかバランスをとろうとしてしまう。

というか、相手の表情やしぐさ、声のトーンとかでその人の考えてることとかなんとなくわかってしまう人は、無意識にその場で必要な「役割」を演じてしまうことってあると思う。

 

あなたもそうじゃありませんか?(仲間だ、わーい)

 

 

共感力とか、非言語情報を読み取る力が強い人は、無意識に、相手の求めていることもわかってしまう。だからそれを「やってあげよう」と思って、そのとき必要な役割を買って出てしまう。無意識に。ごく自然に。

 

それはそれで素晴らしいことだとおもう。

悪いことではない。

 

 

ただ。

 

懸念することは、自分が知らず知らずのうちに「疲弊」してしまうことだ。

 

それを気をつけないといけないな、と思う。自分でもそう思っている。

 

この前の状況でいうと、私も、

母の様子をみて、話しかけたり、母が夫の前で気を遣って疲れないかなとか、そんなことまで考慮してバランスよく、その場の「調整」をする。

夫に関しても同じだ。

母がいる事で多少、やはり気は遣うだろうから、大丈夫かな、しばらくは私が母と喋ることで気を遣わずゆっくりできるかな、とか、そんな「調整」をしている。

 

 

で、自分でも疲れるのはわかっているんだけどw、その時必要なキャラを私も演じている。具体的には、テンションを上げてしゃべったり、わざとぼけてみたり、

なんというか、うーーん、あ!そうそう。

まさに「ピエロ役」をわざと演じることだってある。

  

おとぼけ役みたいな。

決して「気を遣っている」感は出さない。だからあえて、おとぼけてみたりもする。

 

言っときますが、別に、あざとく演じてるわけではないよ。なんというか、その場のみんなが楽しくいれることに「全集中」してる感じ。

 

書いていてだんだんわかってきた。

私、めっちゃ神経質なんやろか。

いや、なんやろ、めっちゃ気ぃ遣いなんやな。

 

だれに頼まれたわけでもないのに、勝手に気を遣って、しんどくなってるって自分でもわらけてくる。

 

でも、

同じようなひと、絶対!いるはず!!!!(笑)

 

だから、同じような人、そこのあなた。

「毎日、本当にお疲れ様です。あなたはすごいよ。頭をよしよしですよ。ほんまにすごい」

 

 

私もその日はすごく疲れた(笑)一人でひっそり「ふぅ」って深呼吸してた。

 

自分で思う事は、「自分はそういう資質をもっているのだから、自分のHP(ゲームでいう体力的な)を回復させる術をもっておかないといけないし、そういう時間を作ることが大切やな」ということだ。

 

あと、最近思う事は、そんな時に、鳥の目になって、俯瞰的に自分を見つめることだ。

 

「いま、自分は必要な役割を察知して演じているな」と、自分の状態を俯瞰してみると、アクセル全開状態からちょっとブレーキをゆる踏みしながら進むことができる。 

 

これ、ほんまに結構つかえますよ。

 

誰かと喋っているときでも、つい、120パーセントで自分の力を出そうとしてしまうんだけど「あ、いけないいけない」と気づくことで本当に自分のペースを守れたりするのだ。

奉仕精神が強い人とか、後で自分がしんどくならないのならそのままでいいんだけど、なんかすごく疲れる人とかは、やっぱり、途中で自分を俯瞰的にみて、確認することって大事デス。

 

  

人のために、相手が喜ぶ顔が見たくて…

そう思うのは本当に素晴らしいことだ。

 

だけど、

「人のために」の前に「自分のために」がないと、バランスがおかしくなる。

 

自分を置いてけぼりにすると、潜在意識が「おいらの気持ちを無視するなよ~!」となって、体調とか精神とか、そういうところに「サイン」をだしてくる。

 

 

「自分を満たして」からの「相手」です。ほんまに。

 

 

ほんで、

自分の「その瞬間、必要とされる役割」を演じることも悪くないけど、

「役割を降りる」こともまた、選択肢として「ある」ということもどこかに置いとかなきゃですね。

 

自分ががんばらなくても大丈夫。

そう思う事も一つなんです。

 

 

もちろん、時と場合によるけどね。

 

 

母としての顔、職場の顔、女性としての顔。みんないろんな仮面、役割をもって、その場、その瞬間を「演じて」いる。

 

特に相手からの「あなたってこうだよね!」という期待があったりすると、その「キャラ(役割)」を一生懸命に演じてたりする。

 

必要以上にそのキャラを「良く」演じようと頑張ってしまったりする。

 

 

いろんなキャラを持つことは別に悪いことじゃない。

「どれが本当の自分?」となっても、「全部が自分」だからだ。

 

 

いろんなキャラ、役割を持つことが生存戦略につながっているんだ。

 

その時はその「キャラ」が必要だった。

ただそれだけで、どれが「本当」なんてものはない。

 

そう思うと「本当の自分」なんてものも「幻」なのかもなー。

前世からの記憶が潜在意識に沁みついてて、そういった「傾向」とかはあるかもしれないけど、「本当にこれが唯一の本当の自分」なんてものはないのかも。

 

これは悪いニュアンスで言っているわけではなく、

そんなに「こだわったり」「真剣に」なりすぎなくていいのかもね、って思ったって感じです。

 

ゆるくてだいじょうぶ。

 

何者でも、何者じゃなくても、ぜーんぜんだいじょうぶ。

ゆったりいきましょう。

 

 

いつも本当にお疲れ様です。

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~

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