先日、久しぶりにインスタを更新した。もう何年も前からインスタは見るだけだった。(チョキママゆりとしては投稿してたけど)
個人的な投稿をしなくなったきっかけは「なんか疲れた」からだ。
そのうち、別のアカウントを作って、勉強のためや、自分の興味のあることの情報収集のためだけのアカウントを作って「見ること」を楽しんでいた。
だから、鍵垢っていうのかな?こういった個人的なアカウントは投稿もしてないし、ほとんど見ていなかった。
鍵垢インスタを投稿しなくなった頃は、子育てで仕事をセーブしていたから、他の仕事をしている人たちの投稿をみて焦る自分がいたんだとおもう。
自分がしたいことや、した方がいいよね、と思っている事をバリバリしている人がいると、やっぱり焦る気持ちが出てくるものね。
「私はこのままでいいのか?!」って不安になったりもしてたんだと思う。

でも。
そこからだいぶ年月が経ち、
この前、本当に久しぶりになんか「投稿してみよう」という気持ちになったのだ。
でも別に、仕事に関する投稿をしたわけでもなく、普通の日常の投稿をしただけ。あと初めてストーリーもあげてみた(笑)(やらなさすぎてかなり手こずったけどw)
そんな行動を取って、私は自分の「心の状態の変化」を観察していた。
久しぶりの投稿。
フォロワーの人が「いいね」をしてくれる。(ほぼ友達や仕事仲間。あと昔の同級生とか)
「いいね」をもらえると嬉しい。
確かに嬉しい。
ちょっと自分のことを認めてもらえたと言うか、「こんなことをしてましたよ」的な自分の存在を分かってもらえたというか。そんな嬉しさがあるんだろう。(私はそう思ったということです)
なるほど。
「承認欲求が満たされる」というのはこういうことだな、と改めて思った。
ブログでも見てもらえると「何人かは見てくれたんだな」ということがわかるから嬉しい。
ただ、このブログとインスタとではまた違った感覚の嬉しさがあるんだな~と思った。
なんか、いろんな事を感じて、感じている自分の心の変化がとにかく面白かった。(自分的には)
インスタだからこそ得られる「承認欲求」の種類。
そこで得られる承認欲求を満たすことにに関しては「もう別にいいや~」と思っていた。
だけど久しぶりにやると「いいね」をちょくちょく確認する自分がいて(笑)
「思い切り気になってますやん」って自分で自分をつっこんだ。
むくむくと育って大きくなるような感覚のある「承認欲求感」
久しぶりの感覚だったのでそれが面白くて、そんな自分を楽しんだ。
その日は休みだったので、一日の自分の行動をストーリーにあげた。だってやる時はとことんやらないとね(笑)中途半端にしてもしょうがないし。
その日の夜には「明日はこんな投稿をしてみようかな~」なんて考える自分がいた。
そして次の日。
だいぶ冷静になった自分がいた。
「投稿しようかな。でもめんどくさいな」
これが歳を取るということなのだろうかwww(いや私だけですねw)
もうしばらくは、ハマって続くのかなと思いきや、もう飽きそうな気配がプンプンしている。
そんな心の変化。
これを、「歳をとったから」という見方もできるし、ほかの見方もできる。
(あくまで私の偏った意見だよ)
「それを載せてどうしたいの?自分は」という問いがでてくるのだ。
そんな問いの答えをしばらく考えてたのしんでみた。こういった「自分に潜る作業」が実はとても大切だったりするのだ。
「自慢したいわけでもない。マウントをとりたいわけでもない。こんなんしてまっせってドヤりたいわけでもない」
「だって、もう、人に認めてもらわなくても、こんなんしてるよ!って言わなくても自分で自分を認めて安心できる自分がいるから」
↑
これね、本当にそう思うんですよ。なんというか、自分にとっての「大事なもの」がこれかなっていうものができると「頑張らなくてもいいんだ」って思えるようになったというか。人の価値観に振り回されなくなったというか。

かと言って別に私は、「人よりもこんだけのことをしている」とかそういうのじゃなくて、本当に何もしてなくて(笑)
自慢できるようなことは何もないんだけども(笑)
「人と比べてどうのこうの」という思考になりにくくなったのかもしれない。
あと、世の中で思われている「価値あるもの」にそこまで価値を感じにくくなったのかもしれない。
もちろんたまに、「自分に足りないものはこれだな」と思って、あくまで「前向きに」動くための原動力として人と比べることはあるけども。(アドラー心理学で言う劣等感をプラスに使っていくみたいな)
「頑張らなくても私は存在していい」
「生きているだけで素晴らしい」
こういった設定に書き換えられたのかな。(まあ分からないですけどね)
だから、なんというか、昔やってたような感覚でのインスタではなくて、
今の私は「どんな投稿をしたいのかな?」と思った時に、
「その投稿を見てクスッと笑ってくれる」とか「ちょっとでもその人にとっての気づきや学びにつながる」とか「なんか心が癒された」みたいな投稿ができたらいいな~と思った。
と思った、、と言いつつ、やっぱりめんどくささが出てきてるので(笑)、気が向いた時にしようかなって感じだけど。
何度も言って申し訳ないですが、今回「自分の心の動き、変化」が自分にとっての学びになったことが面白かった。
心が動いた時というのは、そこに絶対に何かがあるから。
自分の中での引っかかりを見つけて、そこに潜っていくと、何かしら発見がある。
今回の心の変化を「成長」と呼ぶのか「衰退」と呼ぶのか。
どっちかは分からないけど、まあこれも自分でどんな意味付けをするかなので、私にとってはこれもまた貴重な体験であり、学びだったかな。
昔は自分に自信がなかったからとにかく「自分にはこれがある!」みたいなものが欲しくて。
自己主張する必要性もすごく感じていたし、できるだけ他人にとっていい影響が与えれるような人になれたらいいなと思っていた。
「自分=これだ」をひたすら探し、
それが見つかったら安心できる、自信がもてると思っていた。
とにかく頑張らなきゃ!と思っていたし、努力することが大事だと思っていた。
「肩書き、名誉」を得ることが大事だと教えられたし、そうだと思っていた。
でも。
その「肩書き」がなくなったらどうなるの?
そんな疑問が出るようになった。
肩書きとか名誉とか、「自分=これ」と言ったような「これ」を取っ払った時の自分を育てなきゃと思った。
「何かがある自分」
「何かを持っている自分」
そんな自分から、
「何にも持ってない自分」になりたくなった。(物とかではなくて肩書とか、名誉とかそんな類のもの)
そして。
何もない自分に感動し、そのままの自分を抱きしめたかった。
そう思い始めてから、また、自分に潜る日々が続き、「何もない自分」が好きになった。頑張らなくても、足りないものを見つけようとしなくてもいいと、やっと思えるようになった。
そんな変化もまた、人生の学びなんだろうなと思う。
そして今もまだ、学びの途中だ。
「今はこう思う」けども。来年にはまた変わってるかもしれない。それでいいと思っている。
全てが学びで、無駄なことは一つもない。
(もともと職人気質だから「これしかない」「これこそが私だ」とその「何か」を極めることに再び意識がむくこともまた一つだと思っている。どんな状態になろうとも、どれもの過程の中にその時でしか味わえない感情があるはずだ。「何もない自分」を認めた後にまた再び「何か」を求めることは、変化した自分で進んでいくわけだから以前とは感じ方が変わっているんだと思う。)
ここ最近はずっとそんな感じの心の状態で、インスタを久しぶりにやってみて、
自分の中に新しくできる感情と、薄れていく感情、そういった変化を見ることができた。
(あ、でも、言っておきますが、承認欲求がゼロになったわけではないよ!いろんな欲いっぱいあるwそしてそれでいいと思ってる。人間だもの)
自分の「本質」はただここにあって、目の前の世界、外の世界でいろんなことが起きるけど、そこに自分がいろんな反応をしながら、「いろんな気づき」「いろんな学び」を獲得していく。
今回のインスタも、あれですね。
昔好きだったこととか、本とか、改めてもう1回やってみた時に、感じ方がガラリと変わったり、また違う反応が自分の中に起きたりすることがあるから、それに似てるのかな?(知らんけど)
だから、
「もうその感覚知ってるからいいです」
って思っているものに対しても、「今の自分」は「そう感じない」かもしれないから、もう一度やってみるって言うのは面白いなって思ったよ。
何もなくても大丈夫。
「自分のすでに持っているもので、どれだけ相手を幸せにできるのか」
自分に潜ってみると、絶対にある。もともと持っていたもの。
当たり前すぎて、それと同化しすぎてて、「ない」と思っているもの。いっぱいあるんだよ。
ただそれを見つけて、認めて、愛して、一生懸命使えばいいんだ。
ただ、純粋な動機で「したい」「得たい」と思うようなものがあれば、そう行動すればいい。
それは「頑張っている」ことにはならない。ただ「したい」とワクワクするものなら、それは「頑張る」ではなく「努力」すればいいのだ。
(ここで言っている「頑張る」は心の奥ではしたくないからこそ「頑張る」と言ってしまってたりするよねという視点でいってるよ)
(努力とは、自らの意思で目標に向かって心身を尽くし、継続的に励む前向きな行動)
さて。
今日も夫と息子たちを「クスッ」と笑かして、幸せな気持ちになってもらおう。私と関わる人に少しでも温かい気持ちになってもらおう。
私の持っているもの全てを総動員して(笑)
今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~





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