あなたの見ている「今」の世界はどんな感じ?
私は今、家の中から窓の景色を眺めている。
青空と雲。ただ美しい。空の景色、雲が作る芸術。よく見ると、雲は流れていてずっと同じ景色なんてないんだなという事をしみじみ感じる。
私が見ている景色も、毎瞬、変わり続けているんやな。諸行無常。空の景色も人生も。
毎日、空の景色を見て、その都度、感動している。あぁ、本当に美しい。しかもタダ。(おい)
自然は偉大だな。
この空はみんな見る事ができて、みんなが思い思いの感情で空を眺めているんだ。
そう思うと、みんな繋がってるんだなってなんか嬉しくなる。
みんな同じように与えられた条件。
それでも、感じる気持ちは様々だ。
この空を見て、感動する人もいれば、悲しくなる人もいるかもしれない。(いろんな気持ちがそこにはある)
同じ出来事があっても、嬉しくなる人もいれば、怒る人もいる。
農業をしている人だったら雨は嬉しいだろうし、工事現場の人だったら雨は厄介なものだと感じるだろう。
「出来事」に対して、「解釈」が違う。
それは、みんなそれぞれ「価値観」が違うから。
脳みその中の「基本設定」が違うから。
「何か」を見て、生理的に、反射的に、体が反応している時、それは「無意識の部分」での「基本設定」がそうさせている。(無意識=潜在意識)
そして、その基本設定はそれぞれの生育環境、その時代の背景、ほかにも色んなものの影響を受けて出来上がってくる。
基本設定は、言い換えると、価値観、思い込み、べき思考…そんな感じをイメージするとわかりやすい。
これを無意識の部分で基本設定として装備しているから、何の疑いもなくそう思えてくるし、その基本設定に従って体の反応も起こる。
パソコンで言うと、そのようにプログラムされている感じ。
ゲームで言うと、そのルールでのゲームをプレイする感じ。
「人生は辛くて苦しくて大変、なかなか幸せになれない」という基本設定を持っていると、何をするにしても、その基本設定に従って行動、選択していってしまう。自分の感情にも何の疑いもなく反応し、そういうもんだと思って生きていってしまう。
この人生のゲームの主人公の私が例えば、「心配性で慎重」という設定で生きていると、やっぱりどんなチャンスが自分の元にやってきたとしても、それを「チャンス」だと思わずに「罠」だと思ってしまう。
どんな設定で生きるのか。
これがほんま大事。
しかも自分で気づいてない設定があったり、途中から余計な設定を作ってしまっている事だってある。
結局、自分の設定次第で、人生って変わってくる。
人生をイージーモード設定にしたら、どんな事が起きても、頭の中がイージーモード設定だから、困難が困難に感じなかったりする。きっと。
「ピンチはチャンス!」なんてまさにそれだ。(本当に潜在意識の基本設定がイージーモードだったら、頭で考えることもなく瞬時に体がそう反応している)
人生の答え。
それは本当に自分にしかわからない。
だって、自分の設定が全てだから。
生きる意味とか、人生の悩みとか、全部、自分で決めるしかないんだよなーーー。
誰かが「こうですよ、こう生きれば幸せなんですよ」って言っても、それは全員が幸せになれるわけじゃない。
というか、「幸せ」を例に考えると、幸せはなるものじゃなくて、在るものだから、「そうなっている状態」が幸せなんだけども。
人生の最適解はこれだ!という人がいても、それはその人の最適解であって、私の最適解ではない。
世の中で「これが一番幸せな状態」といっていても、それは「一個の選択肢」にすぎない。
あとは自分で考えて、決めるしかない。
考え方を変えると、決めるしかないというより、自分で決める事ができるんだ。
この自分の中の基本設定。
これがほんま大事なんやなと、最近特に痛感している。
(なんか色々書いたけど、ほんまにいいたいのはこれから。いや、長いな。スイマセン)
結局、自分次第。ほんまに。
自分で決めて、自分で責任をとる覚悟。責任をとれるという事は自分の人生を生きているという事。
(ただ、「責任」って響きが怖いな。なんか、全部自分のせいやで!って責められてる感じがする。でも、これも、私の感じ方の問題やろな。責任って聞いてよっしゃー!と思う人もいるだろうし。うん。責任のイメージ、自分の設定を変えよう。そうやな…、責任=なんでも経験できるチャンス!学び最高!。これならちょっと気楽にいけそう)
何度も言うけど、答えは自分の中にある。
だって、自分が幸せ!と思えば今からでも幸せなんだから。
つまり物の見方。捉え方。解釈の仕方で変わる。
答えはそこにある。(ナウ!)
自分が今、幸せじゃないのなら、幸せになるために「何かをする」のではなく、「自分と向き合う」事が大切なんだ。
幸せの答えを自分の外側に求めても、感じ方が整ってなければ、幸せだと感じる事はできない。
ただお金があっても、幸せにはなれない。
ただ仕事があっても、幸せにはなれない。
外側にある条件は、あくまでオマケみたいなものにしておかないといけない。
「それがないと幸せじゃない」と設定した時点で、それがなくなったら幸せじゃなくなる。
「それがないと」は「執着」
「それがないと」のほかにもある。「それさえあれば」も同じ。
「お金さえあれば」
「資格さえあれば」
「仕事さえあれば」
「家さえあれば」
「さえあれば」の考え方はちょっと危ない。
外側に幸せの条件を設定すると、いつかなくなる時が来た時、幸せじゃなくなる。
「それ」がなくたって、大丈夫。絶対。
自分がただ「在る」だけで、幸せ。それが基本中の基本。大前提。デフォルト。超大事。
自分の内側に答えはある。(何回も言うよ、刷り込み!)
まずそこを自分でわかっていないといけない。
「在る」事に感謝。
ただ在る事が素晴らしい。
でもいきなり、「ただ在ることに感謝しろ」といわれても、「は?何言ってんの?」ってなる。
実際お金はあった方がいいに決まってるし、仕事や家や、色々…あった方が助かる事は確か。
だから「行ったり来たり」が大切なのかなーと。(偏りを楽しむ的な。偏りっぱなしは強い執着になっちゃうけども)
基本は自分の内側を見つめることが大事。でも、途中で、外側を見る事も大事。ただ、ベースは内側。ここを整えておくことがめっちゃ大事。
外側の世界が自分の内側を深めてくれる事は沢山ある。(だから偏りを楽しむって大事)
基本、自分で完結するんやったら、何も学ばんでいいやんってなる。でも、違う。それはちょっと違う。それだと、物事の本質を理解することができない。私は人生を楽しみたい。学ぶことは楽しむうえで重要なポイントだから、学ぶことは大事なんだ。
本だってそう。
知識を得ると、そこから自分の事をもっと深く知ることができるし、視野も広がる。知識がないと、深く理解する事が出来ない。表面的なことしかわからない。奥の方まで理解しようとしたら、やはり知識が必要。
色んな学びがあって、「在る事」の意味がストンと腑に落ちる時がやってくる。
あと、本で言うと、インプットばっかりしていても、だんだん頭が重くなってきて動けなくなってくる。(イメージね)
知識だけあっても駄目だなとつくづく思う。
大事なのはインプット後のアウトプット。
「自分ならどうする?」「自分だったら?」と、自分に落とし込んでいく作業が必要不可欠。
特に「自分はどう感じる?」というのがキーポイントだ。
頭だけで考えるのではなく、自分の感覚をしっかりと育てる。
頭でっかちになってはいけないなと思う。(自分でいつもそうおもってます)
外側で得た知識が先じゃなくて、自分のもともと持っている感覚を優先的に使う。
答えを自分が知っているというのは、こういう事。
最近の私は、今までの経験、知識で考えるのではなく、まずは自分の体で感じる事を意識して、感覚を育てるようにしている。(頭だけで考えるのではなく体の感覚を使う)
感覚を育てるには、絶対的な自分への信頼が必要だ。
だって「自分がそう感じた」事を、理屈抜きに信じなければいけないから。
理屈で考えると、それは無駄とか、意味がないとか、そう思えてくることもある。
でも、
自分の感覚を蔑ろにしてはいけない。
自分の体が思ったのなら、自信をもって選び進んでいけばいい。そう在りたいなと思う。
答えはいつも自分の中にある。
最適解は自分の体が知っている。
基本は内側。たまに外側。行ったり来たり。でも、基本はいつも内側にいる事を忘れずに。自分を信じてやっていくぞ。
頭ばっかり使いすぎて(賢くもないくせに)、自分の感覚が鈍くなっているなと感じる私。(便利になればなるほど、感覚ってにぶっちゃうんだよなー)
本当に自分の感覚を育てて、信じて、自分の感覚を使う練習していくんだ。
目指せ直感人間!(そしてその変化を楽しみたい)
えいえいおー!
今日も最後までお読みくださり本当にありがとうございました!
今回は特に意味がわからへんかったかもしれないですね。もっと文章勉強します。はい。(反省)
最近、悟りとか、エゴとか、無我とか、無意識とか、東洋哲学とか…、そんな学びに触れる事がめっちゃ面白いです。いろんな物に触れて、外側からの影響を受けて、自分の内側、基本設定がアップデートされていくんやろな。
ほんで、もう少ししたら「古事記」にも触れてみたい。(昔の私、何でもっと歴史を勉強しんかったんや!もっと勉強しとけばよかった!歴史詳しい人、ほんま尊敬してます)
えげつなく乱読してますが、楽しいからまぁいっか。
景色も常に変化。私もあなたも常に変化!諸行無常!!!Yo!!!!!
(は~、ほんま自然ってすごい)
今日も最幸の時間をお過ごしください!
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