頭の中のおしゃべり(エゴ)の観察。静寂の先はみんなひとつ。

快適な暮らし
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UFOをよくみる人たちの共通点は「よく空を見つめること」らしい。

 

そりゃそうだよね。

そもそも、空を見ていないと発見できるわけがない。

 

「素敵な人と出会いたい」と思っているのに、ずっと家にいたら出会えないのと一緒だ。

 

 

そういえば最近私は空を眺めていない気がする。それだけ日々に余裕がなかったと言うことだだろうか。

空を眺めているときは、基本的に「ぼーっとしている時」だ。

 

だから、私はここ最近ぼーっとしていなかったんだろうな。

 

ぼーっとしていると、普段どれだけ「頭」がおしゃべりなのかがよくわかる。

「頭」でしゃべっている場所は、「左脳」の部分なのかなと私は思っている。

 

最初ぼーっとし始めると、空白で、静寂で、静かな頭の中なのに、しばらくすると、すぐにおしゃべりが始まる。

本当に、特に私はなのかもしれないけど、、、すんごくうるさいのだ。

 

 

そして、おしゃべりがない時はとても心地がよい。 

 

でも、そんな素敵な時間はまたすぐ始まるおしゃべりにおおい隠されてしまう。

 

頭の中のおしゃべり。

 

 

とりあえず喋っている部分を「左脳」だと仮定して、左脳さんと呼ぶことにしよう。

 

左脳さんはいろんなことを私に教えてくれる。私の中にいる左脳さんは心配症なのだろう。

予定や段取りを教えてくれたりする以外にも、それでいいのか?大丈夫なのか?と心配してくる。

 

言っている事は、基本的には過去か未来のことだ。

「あなたはそのままでいいんだよ~」っていうよりも、「もっともっと頑張って!もっともっとやらなきゃ!何のために?理由は?」と、私に「今のままではだめだよ!」と忠告してくる。

 

もちろん「今」を実況中継してくれている時もあるけど、「今」じゃないことの方が多い気がする。 

 

 

「こうじゃないとダメ。」

「こうしなきゃ。」

 

左脳さんってつまり、エゴってことなんだよね。(私が思うにやけど) 

 

 

 

これらも全て私のエゴが喋っている。

エゴとは私のこと。

私らしさ。

私とは「自分」

自分とは「自分を分ける」ということ。

全ては繋がっているけれど、そのつながりから自分を切り離す。

そんな感じだ。

じゃあ、エゴがなくなるとどうなるのか。

境界線がなくなり、自分が周りと一つになる。

自分を覆っているたくさんのエゴが削ぎ落とされた時。

きっと体も心も軽くなるんだろう。(体はまぁイメージの中でだけど)

 

エゴは自分らしさ。自分らしさを感じると安心する。

自分を確かめることができるから。

 

 

「ここにいるんだ」って思える。

それは素敵なことだ。

 

 

でも、自分らしさがなくても、私は存在していい。

自分らしさという条件がなくても、存在していいんだ。

ただ「在る」だけでいい。

 

条件なんかなくたっていいんだ。

そんなものに縛られなくたって、生きていい。

どう在りたいのか。

どう生きたいのか。 

 

条件に縛られずに生きたい。

 

でも、左脳さんがなのかどうなのか、わからないけど、私が忘れないようにと条件に関するおしゃべりがまた始まる。


ほんと、何に縛られていんだろうね。

生まれてくる時は手ぶらでやってきたのに。

手ぶらでもよかった。

ただそこに「在る」だけでよかった。

いつのまにか、いろんな条件が自分にくっついてきた。

しかもその条件は全て幻想だ。

私はそんな幻想を頑なに信じて、条件にしがみついているんだろうな。

 

条件を満たしていないと生きてる価値がない。

そんな幻想に執着していると、苦しい。

だって、恐れや不安がベースだから。

恐れや不安を大事に抱えている。

 

それは自分がしたいこと?

でも、左脳さん(エゴ)はそれがあたかも大事かのように、それが全てかのように私に囁く。

 

 

でも、やっぱりちがうよなー。

しんどいんだもの。

違和感だらけだよ。

心の奥底では「恐れ」ながら生きているのと、条件がなくたって「ただ在るだけでいい!」と確信を持って生きるのとでは全然違う。

潜在意識の設定を何にしているのか。

潜在意識の設定をもとに私たちはオートモードで動いている。だからそこはとても重要だ。

心を静かに。頭を静かに。

 

頭の中から湧いてくるおしゃべりをただ見つめる。

意識して見つめていると、そのおしゃべりは「ふっ」と消える。

そしてまたぱっと湧いてくる。

そしてまたふっと消える。

 

見つめている自分がいると、おしゃべりの声がだんだん小さくなってくる。

そして、訪れる静寂。

境界線がなくなり、自分と周りが溶け合う。

本当はみんな同じなのにね。

人間だけが特別なんだって勘違いしてしまって、おかしなことになる。

それでもまた日常で忙しく生きていると、またその感覚を忘れてしまう。 

 

「みんな一緒。みんなひとつ」

 

私にとって、このマインドは生きていく上で忘れては行けない大切なものだ。

 

 

左脳さんは心配して色々といってくるけど、そんな心配性な左脳さんも私の大切な一部。

おしゃべりをしてきたら静かに受け入れ、そして次第に静かになってくるおしゃべりのタイミングをまってから、

「ありがとうね、でも大丈夫だよ。大丈夫だから。」

と私も伝える事にしよう。

 

静かに、冷静に、頭の中を見つめるには、ぼーっとすることが大事。

だからこそ、やっぱり、空を見上げないとね(笑)

ぼーっとしながら空を眺めて、頭を静かにして、周りと一つになる。

(ついでにUFOも見れますように(笑))

 

真ん中、中庸、ゼロの場所に自分を戻す。

そこに戻ってから。まずはそれからだ。

自分を戻して、整って。

そして、そこから見えてくるもの、湧いてくるものに従って生きる。

「不安」や「恐れ」のない状態。

そこを起点にして、魂に従って生きる。そう在りたいな。

 

 

そんな独り言。

今日も最後までお読みくださり本当にありがとうございました!

この後も素敵な時間をお過ごしください!

ではまた〜

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