夫婦喧嘩からの学び。みんな「認められたい」「必要とされたい」

夫婦のあれこれ
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先日、友達と話をしていて学びがあった。

「夫婦喧嘩」

 

夫婦喧嘩の原因って色々あるなぁとつくづく思う。

私が自分でも気をつけないといけないなと思っていることは「お互いのコンデションが悪い時が重なっているとき」だ。

 

どちらかが調子が悪いだけだったら、例え相手がイライラしていても、ちょっとやさしさに欠けていても、暗く落ち込んでいても、こちらに余裕があればカバーすることができる。

 

相手の事がある程度わかっていたらこのコンデションは「今の期間だけ」というのがわかるし、落ち着くまで待てる。

だから、例え、ちょっとばかし相手に対してムッとすることがあっても、うまくかわすことができる。 

私はいつもそんな感じ。

 

でも、これが、もし、私も余裕がなくて、なんかイライラしていたらどうだろう、、、とよく思う。友達の夫婦喧嘩の話を聞くたびに、他人事ではないよな~と自分にも言い聞かせる。

 

イライラしているから「余計なひとこと」を言ってしまう。いつもは言わないのに。夫婦関係が長くなってくるとお互いの地雷がどこにあるのかだってわかる。でも、イライラしていると判断が鈍る。自分自身も攻撃的になったりしている。

だから普段だったら言わないようにしていることだって抵抗なく言ってしまったりする。

 

 

ストレスとかで頭が疲れてくると、前頭前野の機能が低下して扁桃体の活動が不安定になって、感情のコントロールが難しくなるって言われてる。自分の意思では難しいときだってあるんだ。

 

夫婦喧嘩じゃなくても、親子関係でもそう。自分に余裕がないとイライラしがちだ。わかっていても、イライラしてしまう。自己嫌悪だ。

相手に対して甘えがあるともいえるな~。(反省) 

 

「心の余裕」って本当に大事だと思う。

 

だからこそ、自分で自分の機嫌を取ることって重要なスキルだ。

  

 

友達の夫婦喧嘩の内容を聞いていて、改めて思った事は「人間はみんな自分のことを認めてほしいし、大事にされたい」と思っているという事だ。

当たり前の事をいうけど、すっごく大事な事だ。

 

今回の喧嘩は、お互い忙しくてコンデションが悪くイライラしやすかった。だから、相手に対して悪いところばかりが目に付いていた。ちょっとした一言も非難されているように感じてしまっていた。そして、自分のことが蔑ろにされている気がしていて悲しかった。自分は必要じゃないような気がして寂しかった。

こんな感情があったんだと思う。

 

最後の文章「自分のことが蔑ろにされている気がしていて悲しかった。自分は必要じゃないような気がして寂しかった。」というのが特にご主人の言いたかったことのように感じた。

 

怒って喧嘩になったけど、いろんな事を友達に言ったみたいだけど、だぶん一番言いたい部分はここだ。

 

悲しい。寂しい。必要とされたい。大事にされていると感じたい。

 

 

これって難しいよね。友達は大切にしているつもりだけど、相手はそう「感じていなかった」

相手がそう思っていないのなら、なかったことになる。

 

私はこれを「会話」の時によく思う。

 

子供の話をきいている「つもり」でも、子供が「きいてもらっている」と思っていなかったら、本人は満足していない。

忙しいと家事をしながらとか、~しながら状態で話を聞いてしまう事ってある。でも、子供にとって「ちゃんと聞いてもらっている」という実感がないとダメなんだ。毎回は難しくても、できるだけ「目を見て」「手を止めて」「向き合って」話をきく姿勢でいないといけないなと思う。

 

 

だから、こっちが「やっているつもり」でも、本当にそうなのか?相手はちゃんと満足しているのかな?ってたまに確認することって大事だな。

 

 

「大事にしてもらえていない」と思っていると、「大事にしてほしいな」と思う。

でも、ここで相手に求める前に先に「自分にできる事はないのか」と考えることが実は一番現実が早く良くなっていくコツだと思ったりしている。 

 

自分が望んでいる事を相手に求めるより、先に、相手の求めている物(形のないものも含む)を積極的に差し出していく。

 

人は沢山「もらう」と「返したくなる」ものだ。

 

そう、「返報性の法則」だ。

先に自分から優しくする。愛を注ぐ。思いやる。

とにかく見返りを求めずにそうし続ける。そうすると、時間差はあるけど、必ず相手は「返したく」なってくる。 

 

その方が圧倒的に自分も気分がいいし、トラブルにもなりにくい。

 

相手のよろこぶ姿を想像して行動しているその時間そのものが幸せなんだから。

 

逆に「ちょうだい。もっとほしい」と「クレクレ星人」になっていると、相手も嫌になってくる。反発心がでてくる。そういうものだ。

 

もちろん、愛されすぎて重いとか、そういうのもあるかもだけど、それは、相手の望んでいるものをあげているのではなくて、自分があげたいものだけをあげてしまっているからだ。

まぁ、その匙加減が難しかったりはするんだけどね(汗) 

 

 

でも、そんな「重く」なくても、軽いものでいい。

「ありがとう」をちゃんと伝えるとか、相手がしてくれたことにちゃんと「気づいて反応」することとか、できることは沢山ある。

その積み重ねが大事なんだ。 

 

今回、私もとても勉強になった。うん、本当に。気を付けよう。

 

とにかく、夫婦喧嘩になる時って、自分と相手に余裕がないか、視点が「相手にもっとしてほしい」になっている事が多かったりする。

「私の方が頑張っている」「俺の方が頑張っている」とお互いが競い合うループに入ってしまうと中々抜け出せない。だからこそ先にその土俵から自分が先に降りる。そして視座を上げる。もともとしたいことは「夫婦仲良く笑いあって過ごす」ことだ。そこが「ゴール」という設定でなんでも考えると、前向きに動き出せるはず。

だから先に土俵からおりて、とにかく相手への「感謝」を探していく。これが何より最短で状況が良くなる方法だ。

 

何かしてくれたから「ありがとう」ということも大切だけど、なにもなくても「ありがとう」と伝えよう。

「あなたがいてくれていつも助かっている。ありがとう」

「あなたがいてくれているだけで心の支えになっている。ありがとう」

こういうことをあえて伝える。なにもなくても伝える。息をするように、当たり前のように伝える。

 

お互いが感謝の気持ちが当たり前になれる空気感を作っていけたらいいな~と思います。

 

いろんな学びをくれた友達にも感謝だ。

友達夫婦はちゃんと話あって仲直りしたのでそれも本当に良かった。

 

 

ここからは私の更にの独り言。(よかったら聞いてってや~)

 

夫婦と言えど、他人。夫は他人なんだ。たった一枚の紙きれ「婚姻届け」で「夫婦」という幻を共有しているだけ。

お互いが「夫婦」を信じているからこそ「夫婦」は成立してる。

「お金が共同幻想」と言われているのと似ているな。(ん?似てない?)

 

 

でも、どうせならその幻想を楽しみたいな。そもそも出会えて夫婦になれたことも奇跡だ。

 

私が思う理想や、欲求はたくさんある。これは私の「エゴ」だ。

夫にもある。みんなにも「エゴ」はある。

 

私が夫に何かを望む事は自由だ。望むまでは自由。でも、強制はできない。それは「エゴ」の押し付けになる。二人の「エゴ」のすり合わせが必要なんだ。

でも、どうしても譲れない部分はある。お互いに。でも、どうしても、それが必要な場合は結局どちらかが我慢する形になる。

ただ、それも、我慢だらけのところで我慢するのと、ある程度満たされたうえで我慢するのとでは我慢の重さがかわってくる。

 

そういう「いい塩梅」がある。

 

だから「こうすれば絶対OK」はないんだよな~

 

状況や条件やいろんな事が絡み合ってるからこそ、その都度、感じ方はかわってくる。

人間ってそういうもんだ。

 

「甘えてもいいよ」といわれても、全部甘えてたら「依存」になる。でも、その加減は結局人によって変わってくる。みんな一緒ではない。

 

夫婦の形もさまざまだ。

 

 

だから、二人で築いていくしかない。積み上げていくしかない。二人だけの「夫婦の形」を。

  

 

さぁ、今日はいつもより多めに夫に感謝を伝えることにしよう(笑)

 

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~

 

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