「信じる」ということは、相手を「コントロールしない」覚悟かもしれない

がんばりすぎた日々の話 (過去の体験 ・親・家族・夫婦 ・子育ての中の自分)
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「信じるということは、相手をコントロールしない覚悟かもしれないな」

 

前回のブログで言っていたけれど、弟と話をしてきたよ。

 

相手の状態をそのまま受け入れる。

相手をコントロールしようとしない。

 

そんな気持ちで、弟からの話を聞いていた。

 

内容は、今までのこと。

私を含む周りのみんなに迷惑をかけてしまったこと。

けじめとして一旦「謝りたかった」と言っていた。

 

いま弟は、ギャンブル依存の再発防止プログラムをやっている。

迷惑をかけてきた人達に「謝まる」という段階はプログラムの終盤だ。

 

弟は今、2年間くらい、ギャンブルから距離を置けている。これはすごい事だ。

それまではどんなに頑張っていても、半年に一回くらいのペースで手を出してしまっていたから。

 

弟と話をしていて、今回はじめて気づいた事がある。

 

それは、私ほど、父や母、育った環境にマイナスな感情を抱いていなかったという事だ。

同じ環境にいたのに、すごく意外だった。

正直、ギャンブル依存になった原因はそこにあるんじゃないかと思っていたから。

 

でも、違ったみたいだ。

 

まぁそうか。私ほど、実際に、お金がとられたりとか、直接的な経験がなかったから。

家の電気が止まったり、ガスが止まったり、そんな経験はしてるけど(笑)

私は小学生のころから、お年玉とか通帳は盗まれてたし、社会人になってからは弟の大学の費用やローンの支払いなど、家に結構な金額のお金を出さないと生きていけない状態だったりして、お金の苦労が絶えなかった。

 

弟は、お金のない家庭環境ではあったけど、お金を泣く泣く出さないといけない経験はあまりしていないからそこまでそういった闇は抱えてなかったらしい。

 

 

同じ環境でも感じ方は違う。

見ているものも、見え方は違うんだ。

 

弟には弟の人生がある。

私には私の人生がある。

 

「家族」を共有はしていたけれど、「人生」はそれぞれだ。

 

改めて、私自身のフィルターをかけすぎることには気をつけようと思った。

人間は主観的にしか物事を見ることはできないんだけれども、できるだけ、客観的にみて判断できるようにしていたいなと思う。 

 

 

ちょっとここからさらに私が思ったことをつらつらと話しますね。

まとまってないかもだけどごめんなさい(笑)

 

 

最初、弟は、ギャンブル依存症者が自分の体験談やそこに集う他の方の体験談を聞くという集まりに参加していた。

そこではとにかく否定せずに、みんなの話を受け入れる。

つまり「受容」だ。

 

同じ経験をしているもの同士、分かり合えることはたくさんある。

だからこそ、自分もありのままで話すことができる。

 

それはいいことだな、と思っていた。

だけど。

弟の場合は、それだけでは満たせない何かがあったみたいだ。

だからまた「再発」してしまった。

 

 

自分の心の内を吐き出すだけではダメということがわかった。

そして次のプログラムをやることになった。

 

そこでは自分と向き合う作業があるらしい。

自分のそのままを認めて、自分の思考癖や偏った価値観に気づく。

 

そうしながら、ギャンブルで使っていた思考回路を使わないようにし、新しく回路を作り直して、そちらの方を強化させていく、という感じらしい。

 

 

今までと同じ行動や考え方をしていたら、変わらない。

だから、今までと違う行動や考え方をし、その神経回路を強化させていくというのはとてもいいことだなと思った。

 

実際、弟は、今のところギャンブルをしていない。

そして弟自身を見ていても、とても安定しているように思えた。

 

だからとてもいいことなんだと思う。

 

 

ただ。

これはあくまで私が思ったことなんだけど。

 

弟との会話の中で端々に「俺はギャンブル依存症やから治ることはないから」「俺が自分の考えだけで動いたら絶対あかんから」といった自己肯定感の低さが目立った。

 

「とにかく自分はあかんやつで、もうどうしようもないから」という前提で話が常に進んでいるのだ。

 

確かに自分のありのままの状態を認めるというのは大事だと思う。

ギャンブル依存だ、と自覚することから始まるから。

 

だけどあまりにも、自分を否定している気がして、そこがすごく気になったのだ。

 

言い方を変えると「このプログラムがないと俺は生きていけない」「この団体に所属していないと俺は絶対にダメになる」といったふうにも受け取ることができる。

 

依存先がギャンブルからプログラムや所属団体に変わっているだけなのでは?と見ることもできるのだ。

 

自分の現在地自覚することは本当に大事だ。

だけど。

分かってるんだけどな~。

 

これは実際に弟と喋ってみないと分からないかもしれないんだけど、私は何かそんな違和感を感じたのだ。 

 

 

このプログラムを俺が「選んでいる」んだ、というのと、

選ぶとかじゃなくて「これがないとダメなんだ」、と言っているのとでは全然違う。

 

「それがないとだめ」というのは、どうしても「依存」がちらつく。

本当はそんな条件がなくとも生きていけるし、生きていいのだ。

 

もちろん。

人間には「段階」というのがある。

 

「今」はあえて「そう思う」ことで、自分の内面を整えている場合もある。

その考え方を「採用」し、自分が安定してきたら、違う考え方を「採用し直す」

 

 

ここまでを頭に入れて、納得しながら行動できていたのならいいんだけどね。

 

そんなことを考えました。 

 

でもこれも、私の勝手な頭の中の独り言。

 

実際に弟は今うまくいっているので、私は余計なことは言うまいと、ただただひたすら弟の話すことを聞いていた。

 

だって、実際に「今」の段階ではそのプログラムは弟にとって大事なものなんだから。

心からそう信じているんだから。

人間は「信じれている状態」というのがとても大事だと思う。

 

プラシーボ効果でもそうだけど。

「確信」を持っている状態はとても強い。そこに「疑い」がないから何でも「効き目が早い」

 

 

だから私はひたすら話を聞いていた。

 

…だけどね(笑)

 

もう少しだけ弟の心の奥、下の階層での話を聞いてみようと思って、彼の中の「不安」の元を聞いてみた。

 

すると、弟は、

「すぐに他人と自分を比べて落ち込む、自己嫌悪に陥る」

「こんな自分が…、自分なんて…と考えてしまう」

「自分が存在していいんだろうかと思ってしまう」

と言ったような気持ちが心の奥にあるということを教えてくれた。

 

 

そういった不安はプログラムの指導者も聞いてくれているみたいなんだけどね。

でも、

指導者の方も元々はギャンブル依存症で、共感はしてもらえても、心の深堀りとか、精神科医みたいな専門的なアプローチをとってくれているわけではない。

 

そういった心の奥の根本的な部分をもう少し回復させることも大切なんじゃないかなと思うんだよね。

プログラムのおかげで「行動は制御」できているとはおもうんだけど。

  

 

心が揺らいだとき、孤独を感じたとき、心が不安定な時に自分の中にどんな「観念」があってそういった状態にさせているのかを知ることも同時に大事な気がしていて。

 

そこも向き合って、さらに行動も制御できると、本当に自己肯定感も育ってくるんじゃないかな、と思うのです。

 

だから、お節介にならない程度に、弟に私の気持ちを伝えました(笑)(結局、いったんかい) 

 

 

「人と比べて、劣等感を抱くこと自体は悪いことではないよ。比べる事ができるという事は、自分を客観的に見る目があるということやん。すごいよ。だからそのエネルギーをあとは自己嫌悪につかうか、プラスのエネルギーに変えて行動にうつすか、だけのことなんやで」

「自分が存在することに条件は必要ないよ。何かができるから存在していいなんて、他の人に思ったりする?しないやろ?君はそのままで存在していいんやで」

「誰かと比べる人生は他人の基準で生きる事になるよ。他人の基準なんて時代と環境が変われば変わってしまうくらい曖昧なものなんだから、自分の基準を大切にしていいんやで」

 

考えを押し付けないように、

でも、

「他のこういった考え方もあるんだよ」ってことを少しでも頭のすみに置いてもらえたら、気持ちが楽になるかなと思って。

 

この考え方を採用するのか、しないのかは、もちろん弟次第だから強制はしない。

 

そして、この会話をしながらも、弟の反応をみて、

「言いすぎていないか?」

「押し付けていないか?」

「彼の頭がパンクしていないか?」

という事を常に考えて言葉を選んで伝えたつもりです。

 

 

どんな言葉も、考え方も、相手にとって「ベストなタイミング」がある。

 

そのタイミングをできるだけ逃さないように。

そして、時期早々にならないように。

 

そんな事を考えて話をしていたから、一応これでもかなり抑えた(笑)

本当はもっと言いたいことはあった。だけど、まだ、彼はその段階ではない。

今は、彼の内面をもっと、安定させることが大事だ。

 

 

人間は失敗する生き物だし、完璧である必要もない。

だいじょうぶ。

 

そう思いながら、彼を受け止めて、そのままを認めて、話は終わった。

 

彼に伝えたことで彼をプラスの方向にコントロールしたかったわけではない。

コントロールするよりも、私が心から「信じている」状態で接することが大事だと思うから。

 

 

あ、そうだ。

あともう一つ、彼に言った事があった。(笑)

 

「自分はこういうやつだって自分に呪いをかけたらあかんで。「こういうやつ」って思うきっかけになったのは、親の何気ない一言やったり、周りがその時にぱっと思った事やったり、結局はそこまで相手もなにも考えずにいったりしてることやったりするから。だから本当はそうじゃないのに、素直にそう信じ込んでしまって、そう思いこんでるだけの場合もあるんやで」って。

「お母さんがあんたは泣き虫やからって言ってたかもしれんけど、本当にそうなのかなんて誰にもわからへんやん?」

そういったら「あぁ」って、弟の表情が(感情)が少し動いた気がした。

だから、弟も「ほんまやな」って思ったんだと思う。

 

 

プラスの自己暗示ならいいんだけどね。

マイナスの自己暗示はいらないよね。本当に。

 

 

でも、「その思い込みって、自分にとって大事だと思ってたけど、大事じゃなかったんや」って「気づく」だけでも少しづつ変わってくる。

 

「気づく」ってすごく大きな変化だ。

 

 

人は何歳からでも成長できるし、変わろうと思えば変われる。

 

私もまだまだ成長するつもりです(笑)

 

弟がまた一つ、階段を上ったということは素晴らしいことだ。応援してるぞ、大丈夫だよ。(弟はみてないけどね(笑)) 

 

失敗したっていい。

失敗しても起き上がることができるんだから。

 

揺らいだっていい。

揺らぎながらまた戻ればいいんだから。

 

完璧である必要はない。

不完全だからこそ美しいのだから。

 

私もまだまだ不完全で、揺らぎがある。

でも、焦らないでいいや。

その時その時、一生懸命向き合っていけば大丈夫だ。

 

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~

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