母の「自己犠牲」から「生きるエネルギー」に視点が変換された話

心をほどく言葉(気づき・違和感・感情の整理・生き方の視点)
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母は自分のためにが苦手な人だ。

 

特に私の母世代の人はそういう人が多いのかもしれない。

…いや、そうでもないか。

 

私の叔母は自分のためにが上手にできる人だ。

そういえば義理母もそうだと思う。自分のために時間やお金を使っている。

 

でも母はそうじゃないなと思う。

 

これはもともとの性格と言うよりは、育ってきた環境だったり、自分が今置かれている状況も関係しているなと思う。

金銭的に余裕がないと働く時間が多くなる。

 

とにかく食べるために働かなくちゃいけなくなる。

時間があったら「働かなきゃ」といったマインドになってしまうのは普通のことだと思う。

 

ただ今回思うのは、そのマインドを必要以上に大切だと思い込んでいないかと言うことだ。

 

 

とにかく「お母さんは別にいいねん」が口癖の母だ。

 

「家族のために」

「誰かのために」

 

常に選択するときの基準はここにある。

 

私もそんな母を見て育っているから、「母親」というのはそういうものなのだ、という思い込みがあった。

「家族のため」なら自分は後回しでもいい。

そんな感じが良いことだと思ってたし、それはすごいことだと思っていた。

 

だから、自分が母親の立場になったとき、そうすることが「基準」になっていたことは確かだ。

 

だけど、だんだん自分の中で違和感が出てきた。

 

「母親」としての「役割」に縛られすぎている自分に

 

以前は「べき思考」だらけだった私。

そりゃしんどいよなー。

「母親とはこうあるべき」だらけだったんだもん。

 

母を見て「そういうもんだ」と思ってるんだから、そこの「違和感」に気づくまでに時間がかかった

 

 

そこに気付いてからは、いろんな思い込みを手放していった。

 

もちろん「母親」としての「役割」はこなしつつ、でも、いまはそこまで「縛られて」はいない。

 

「こうあるべき」なんてものはもともとなかったんだなーというふうに思い込みを書き換えていったからだ。

でも、今でも無意識に「反応」していてしんどくなるときがある

 

そんな時はチャンスだと思って「どんな思い込み」があるのかを探って書き換えている。

 

一気にやると反動がくるからね。

 

 

少しずつ少しずつ。

それが一番良い気がしている。

 

そして今、少しずつ変わってきている自分の状態で母と話をしていると、昔と変わらない母がそこにはいる。

私は、「母はしんどくないのかな?」と思っていた。

私から見える母は「自己犠牲だらけ」に見えていたからだ。

 

母の仕事の日のお昼ご飯は、いつもパンとコーヒーだ。

それを長年ずっと続けている。

パンも100円ちょっとのパン。コーヒーはコンビニのホットコーヒーのエスサイズ。

金額でいうと300円以内だ。

 

母は私によく「お母さんは毎日こんだけ節約してるのに、お父さんは好きなようにお金をつかわはるわ〜」と笑いながら話している。

 

でも、たまに、その会話の中で感じるのは「お母さんはこんだけ我慢してるのに」という心の叫びが聞こえてくる時がある。

 

まさに「自己犠牲」だ。

 

母は本気で、そうするしかないと思っているんだと思う。

自分で「それが一番良い」と思っているのだ。

 

でも話を聞いてる私としては、やはり、そこから少しでも「自分のために」お金を使ってほしいなと思っている

別にお金をたくさん使って散財しろと言っているわけではない。

 

ただ「食べたいもの」を食べてほしいな、と思う。

 

お金のことを気にするのはわかる。少しでも節約したい気持ちもわかる。

私だって辛い経験をたくさんしてきている。

 

だけど、潜在意識の勉強もしてて思うことは、そうやって、自分の価値を下げるようなことを自らしてしまってるって良くないんだろうなと思うんだよなー。

 

今でも私だって、値段を見て「食べたいもの」じゃなくて、「安いもの」を選んだりする時はある。

 

でも、できるだけ、「食べたいもの」を選ぶようにしている。

(もちろん散財しない程度に。予算と相談しながらだけど)

 

本当に欲しいものを買っているならいいんだけど、「食べたいもの」じゃなくて妥協して買っていたなら、それは、別の見方をすると、

「私にはこれくらい(のレベルのもの)でいい」

「私にはこれ(食べたいけど値段の高いもの)を買う価値がない」

無意識に刷り込んでしまっていると見ることもできる。

 

それを、買い物をするたびに何度も何度も刷り込んでしまっているのだ。

 

いやー、これ、本当に厳しい考え方ではあるんだけどね。

ほんで「卵が先か、ニワトリが先か」みたいな話にもなるんだけども。

 

だけど、自分を大切にして「自分には価値がある!」というふうに思って、そういう態度を自分自身で取っていたら、気づいたら、やっぱりそういった現実になってるってことは大いにあるよなーと思うのです。

 

まぁ「引き寄せ」みたいなスピリチュアルなことを言ってるかもしれないけど。

 

でも、脳科学的に見ても、そういう行動(自分を大切にする)をとっていたら、自分に対して「悲観的」にみることは少なくなってくることは確かだ。

 

そうなると、また、そこからの行動や選択になってくるので、やっぱり現実は少なからず変わっていくんだろうなと思う。

 

 

私もね、この前、食べ物以外でリアルに思ったんですよ(笑)

 

車の車検があって、代車に乗ったときのこと。

 

私はもともと車にこだわりがなくて。

乗れたらなんでも良いやーって思ってるんだけど。

だから、新車じゃなくて中古で手頃なものを探して購入して乗っている。

 

もちろん、それでいいと思ってるんだけど、たまに新しい車とか、いい車を乗ってる人をみると「すごいなー」という気持ちになる自分がいることも事実だ。

 

今回の台車は、軽自動車だったけど最新のものでカスタムされてて、乗り心地がすごく良かった。

 

傷つけないようにと緊張しながら車に乗っていて、ふと気づいた。

すごくドキドキしてる自分。

 

なんか無意識に「私(ごとき)がこんないい車に乗るべきではない」と思っている自分がいることに気づいたのだ!

 

いやー、これってすごいしょうもないこと言ってるかもしれないけど、すごい大事なんですよ。

 

この自分の無意識に思っている「こと」が。

 

潜在意識の勉強してるから余計に「これや!これがあかんのや!」って思って(笑)

 

そこから私はちょっとだけ、意識を変換した。

 

車に乗っている自分。

その空気感。

ハンドルを握る手。

スピーカーから聞こえてくる綺麗な音。

座席の座り心地。

その車の高さから見える景色。

 

これらの感覚を自分に染み込ませるように、その車に乗っている自分を楽しんだ。

 

そして、「これを乗っている自分が普通だ」というイメージを刷り込んだ。

 

たぶん、潜在意識系のことで言われている「ありありとイメージする」ってこういうことなんやなーってわかって。

自分の「気持ち」までもをちゃんと、ありありとイメージする。

 

心地いい感じ。

嬉しくて心穏やかな感じ。

 

そんな感情を自分の中の「当たり前」にしていく。

 

そのイメージを度々思い出してイメージに浸っていると、そういった現実がやってくるかもしれない?!と思うとなんか楽しいなーって思った。

 

 

まぁこのことに気づいたのは代車を返す道中で気づいたんだけどね(笑)

 

緊張ばっかりしてないでもっと楽しめばよかったw

まぁいいや、自分的には良い気づきだったから。

 

私が自分で自分に「許可」を出していなければ、そういった現実はやってこないもんね。

 

選択自体がそこに繋がらない

 

だからこそ、「自分はこの程度でいいや」なんて思うのは良くないと思ってる。

本当に。

もしも、あなたもそういう「思い込み」があったら、できるだけ、書き換えてみてください。

 

「みんな価値がある」から。

 

本当に。

とまぁ、脱線したので話を戻します(スイマセン)

 

 

私から母を見ると、「自己犠牲精神が強くてしんどそうだなと思っていた」という話だったけど。

 

でも!

ここにきて、最近ちょっと違う見方ができたことがあって

 

母と話をしていたとき。

 

母が、

「お母さんはいいねん、あんたらが幸せやったら」

って言ってきたから、

私は、

「お母さん、それは嬉しいけど、私はお母さんがお母さんのしたいように、食べたいものを食べて、したいことをして、楽しんで欲しいねん。私らにお金を使う前に自分を大切にして欲しいねん」

といったら母が、

 

「けどな、ほんまに、あんたらのためにって思うことで、お母さん、やる気が出て頑張れるねん

って言ってきたのだ。

 

その時に、なんか、ほんまにそう思ってるんやなってすごくわかって。

 

もちろん、たくさんある選択肢のなかに「自己犠牲な瞬間」もあると思う。

 

だけど、「家族のために」って思って行動や選択することで、母のエネルギーになってるんやってわかって

 

だから、自己犠牲ではなくて、本当に心から「家族のために」って思ってて、それをやりたくてやってる瞬間もあるんやなって。

 

 

私からすると「我慢ばっかりしてる」って見えてたけど、そうじゃなかったんやなーって。

 

それに気づけて、改めて、「お母さんすごいや」って思った(笑)

 

母がそう思うようになったのはいろんな「経験」があったからだと思う。

長い人生の中で経験してきて辿り着いてる境地なんだ。

 

そこに気づけて、なんか、すごく、勉強になった。

「あぁ、私だけの一方的な見方ですべてを見てしまってたなー」って。

 

本当に、いい学びでした。

母に感謝だ。

 

私自身はまだ「自分を満たして」からじゃないといけない気がしている。

私はきっとそこのフェーズにいるんだ。だから、それはそれでいいと思っている。

 

母を見て育って、自己犠牲や我慢することが美徳と考えてた自分に違和感を覚えて、思い込みの書き換えをしていって、今は「まずは自分を満たす」という段階にいるのだ。

この先、どうなるかはわからない。

だけど、すべてが必要な経験なんだ。

 

 

母は母のバックグラウンドがあって、今の段階にいる。

 

私は母を尊敬している。

 

私はまだ母の境地にはいけていない。

でもそれでいいと思っている。

 

母は母。

私は私。

誰にならなくてもいいんだ。

 

それぞれのエネルギーの形があるから。

今の自分を受け入れる、そのままの自分を受け入れること、それもまた私のエネルギーの形だ。

 

 

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~

 

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