先日、夫に話をした。
「義理の妹の相談メール返信に一時間半かかったんだよね、長文になっちゃったから逆に読むのが大変かも(汗)」って。
そしたら…
「人のために時間を捧げたのか
人に時間を奪われたのか
マインドは自分の持ちようだけど
それだけ時間を使って考えてくれたんだなこの人は、と考えて感謝できる人であり続けたいですよね」
と、夫が言ってくれた。(夫よ、勉強になります。感謝)
義理の妹は私の事を信頼してくれているのか、よく相談をしてくれる。私は弟しかいないので、本当の妹みたいで嬉しいなと思っている。
住んでるところが遠いので、滅多に会う機会がない。
連絡があるのは基本、困った時だけだ。
でも、困った時、ふと私の存在を思ってくれるのは嬉しいことだ。
そういえば、昔、お客さんが「連絡がある時はたいがいなんかある時よ~、良い時は全然連絡がこない」って言ってたな(笑)
まぁでも、頼ってもらえるのは嬉しい。
義理の妹はとある団体に所属していた。でも、その団体を抜けたいという相談だった。
もともと団体に入った理由は、トラウマ克服というか、心の傷をなんとかするためだった。
そこにはいろんなプログラムがあって、そこの団体の人たちの指導のもと、自分と沢山向き合っていくらしい。
私は最初聞いた時、少し違和感があった。正直、そんな団体に所属しなくてもいいのでは?と思っていた。相談してくれたときも、そのように伝えていた。
だけど、いろいろ悩んだすえ、妹は所属することを決めて、一年間活動していた。
妹の人生だ。妹が決めたあとは、私もその活動を応援していた。
そこにはいると同じ境遇の人もいるから、気持ちをわかってもらえる。それは良いことだなと思っていた。
だけど、たまに聞くそこでの活動内容にやっぱり違和感を感じていた。
なんか違和感、なんかおかしい気がする。いや、でも、私がそう思っているだけかな、とも思えてくる。だから、私の心の奥にその気持ちは置いておいた。
で、いざ、義理の妹が「脱退する」と宣言するとどうなったのか。
団体の人が妹に言った事は、
「ここでやめたら、心が最初の状態に戻るかもしれん。いや、もうちょっと戻ってきてるよ、このままやと家族に悪影響を与えるかもしれないよ。ここにはずっと所属してた方がいい。」
と言ってきたらしい。
やっぱりおかしいですやん!
私は思った。

私も自分自身で心の傷とかトラウマ克服の勉強をしてきた。コーチングやカウンセリングのことも独学やけど、少しは学んだ。もちろんプロではないにしても、それでも少なからずそういった知識はたまってきている。
そういった人の心に携わる人達が気をつけることって、相談者を「依存させないこと」だ。
「あなたがいないと私はこの問題を乗り越えることができない」
「ここに所属していないと私はトラウマを克服できない」
そんな風に相談者に思われてしまったらとても危険なのだ。根本的には何も解決していない。
依存先が○○から「団体」に代わってるだけで、なにも解決にはなっていない。
本当に大切なことは、自分と向き合って、心の傷もすべてを受け入れて、自分を認めて、自分に自信を持ってもらうことだ。自分を認めることができたら、心の傷も、トラウマも、うまく付き合っていける。問題も自分で乗り越えていける。
だってみんな自分の力で乗り越える力をもっているんだから。
困った時、人に頼ることは大切だ。頼ったらダメなわけではない。
「依存してしまう」のが良くないのだ。
「これがないとダメ」というのは結局、自分を信じる事ができていない。
でも、社会的地位が高い人とか、団体のリーダー的存在の人とか、声が大きい人とか(言葉が強いという意味)、そんな人たちが言っていることは、疑うことなく信じてしまうことってあったりする。
「この人が言うんだったら間違いない」とか、マジで無警戒で信じ込んでしまったりする。
よく考えたらおかしいことを言っていても、気づけない。
私もあった。よく考えたら、変だったよな~とか。そこの組織にいたらそれが普通なんだけど、そこを出て冷静になって初めて気づけたみたいなことってある。
でも、よくよく考えたら、みんな同じ人間だ。
「この人が言う事はすべて絶対に正しい」なんてことはないんだよ~。
妹も、散々いろんなことを言われてきたみたいで、脱退するのをかなり躊躇していた。
だけど、最終的には、団体を抜ける事ができた。
良かった。
本人に立ち直ってほしい、自信をもって独り立ちしてほしい、というのが本来の目的なのに「ここにいないとダメになるよ」って脅される時点でおかしいもんね。
妹もたびたび違和感は感じていたらしい。
本当にその人の事を想っている、そんな人たちの集まりだったら、違和感は感じないはずだもんね。
言葉では「いいこと」を言っていても、非言語の部分とかでもきっと、何かしらを感じていたんだろうな。人間の本能がそこを感じ取ったんだ。
「ここまでやってきたし」「でも、お世話になったこともあるし」
妹はそう言って迷ってたけど、妹の本心は「やめたい」で決まっていた。
でも、脳のお喋りが止まらず、左脳さんの心配性がでてきて、不安になってたんだろうな。
わたしたちがする心配って、左脳が過去の記憶、データをもとに作り出す幻想。
もちろんその危険予測に助けられることもたくさんある。だけど、当然、当たらないことだってある。
そうやって、不安になって、そのイメージを持ち続けてるほうがよくない。「自己暗示」をかけてしまっているようなものだ。
立場が上の人とかからの言葉もそう。知らず知らずのうちに「暗示」をかけられてしまっていることだってある。
だから、自分の可能性を伸ばすような暗示をかけてくれる人だったらいいけど、さっき言ったような「依存させてしまう」ような言葉をかけてくる人はちょっと危険だ。
今まで、妹の話を聞いていて、活動内容はコーチングっぽいことしてるのに、上から決めつけて言ってくる感じがすごく違和感だったからな~
とにかく、よかった。

こういうのって、その時、変だと思っても、本人が楽しそうにしてたり、違和感を感じつつも所属していたい気持ちがある時は、言わない方がいいと思っている。
タイミングがあっていないと、すべてが余計なお節介になってしまうし、私の本当に言いたいことが伝わらない。
そして、その過程も妹にとってはきっと大切な「学び」「経験」だったんだと思うし。
とにかく、「○○のおかげで」と思うのはいいけど、「○○がないとダメ」になってしまわないように私も気をつけようっと。
誰かの「正しい」を盲目に信じるのではなく、自分の中の「正しい」をその都度、考えていくしかないですね。
それが自分の人生を生きることに繋がるもんね。
脳はめんどくさがり屋だから、ついつい考えないでいいほうに働いちゃうけど、自分で考える事がほんまに大事だ。(はい、気をつけます)
あ、あと、この件でもう一個思ったことがあって。
少しだけいいですか?(笑)
なんか、団体の人たちのなかには、「もうここがあるおかげで生きやすくなった!」みたいな人もいはるみたいで。
それはそれで悪いことではない。
「これがないと生きていけない~!」みたいにならなければ問題ない。それで楽しく生きていけるならそれもまた良しだ。
ただ、それは、自分のなかで留めておく気持ちであって、人に強制するものではない。
そこが大事なポイントだ。
今回、義理の妹が「やめる」といった事で、もしかしたら、自分たちの活動を否定された、みたいな事を潜在的なところで感じていたのかもしれないなと思ったのだ。
「自分にはここがないとダメ」と心底思っている人にとって、それは絶対的なもので、そこにいなくても幸せになれると確信を持った妹を見たときに、なにか心の奥にかんじたものがあったんじゃないかなって。だから、ちょっと妹が不快に感じる言い方をしてきたんじゃないだろうかって。そんな仮説もできるんじゃないかなと思った。
自分たちは苦労してやっとここで幸せになれると思ってやってきてるのに、そうじゃない人が出てきたら、今までの自分たちの苦労が水の泡というか、自分の人生を否定されたような気持ちになることもあるのかもしれないな、って。
もちろん、これは本人も気づかないような心の奥底の気持ちやけど。
仮説やしそうとは限らへんけど、でも、「その可能性もあるかも」と思うと、もしかしたら、妹もなにかしら「言い方」を工夫できたかもしれない。
相手の気持ちを尊重する態度、そして、相手の気持ちを大事にしていることが伝わるような言葉選びをすることで、また、やめる時にかわした言葉も変ってたんじゃないかなと思う。
もちろん、それでも、やってみないとわからないけどね。
人の幸せを素直に喜べずに、不安を煽ってくるような人の深層心理には、「恐怖」「嫉妬」「妬み」
「悲しみ」「孤独」みたいな感情が隠れてたりする。
本当に人間いろんな気持ちになる。そしてそれは悪いことではない。気持ちに蓋をしてはいけない。
そういった感情を抱くことは本当に悪いことではない。
そこで大事なのは、そんな自分がいたんやなって、心の奥の気持ちに気づいて、じゃあなんでそんな気持ちになったんやろ?って自分と向き合うことが大事で、
そのエネルギーを相手の攻撃に使っちゃうことがよくないんだ。
根本的に解決しないと、その人はずっと満たされない。
自分の心が満たされて、みんなの幸せを喜べるような人でありたいですね。
みなさんに幸あれ~!(今日も長くなってゴメンナサイ)
今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~



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