今日は「子育て」のお話。
と、その前に。
先日、トイレに携帯をぽちゃんした。
その瞬間「3秒ルールや!」と思って、急いで携帯を救出。(食べものかい)
でも、そりゃまあ携帯は濡れている。動作はするからよかったけど、テンション下がる下がる。
でも、ここ最近の私はちょっと違う(笑)
この出来事にどう反応したのかというと、一瞬だけ、「おーまいがー!」ってなって、そのあとすぐに、「いや、これは何かのサインかも!?もしくはこれが幸せへの通過点になっている!?まぁいっか!」になったのである。(どう思うかは自由だ!)
これには自分も驚いた。
「プラスに思わなきゃ!」から「勝手にそう思えるようになった」ってこういう事なんだろう。
全部、起こることは「意味」がある。
全部、自分が引き起こしている。
現実は、今の自分の写し鏡。
そう思うと、今、自分の波動は落ちてなかったか?
ちゃんと楽しんでいたか? 我慢していなかったか?
心の奥に気づかない感情があって、それを教えてくれるために今回の事が起こったのではないか?
と、振り返ることができる。
(そして、もっといけば、そもそも携帯ぽちゃんは最悪なことなのか?と思う事もできる!(笑))
そう思うと、結構面白い。
そして前向きになれる。
「携帯を水の中に落とした」
という事実は同じなのに、本当に、見方で全然気持ちが変わってくるんだな、と思ったという実体験でした!(みんな、本当に気をつけてね)
という事で。
子供のお話。

「怒り」について。
私は、怒りの感情と今まで結構戦ってきた。
私は「怒る自分」が許せなかった。
何故なら、自分の母が昔、怒るととっても怖かったという記憶があったからだ。
そこから「私は母みたいに怒りたくない」という信念みたいなものができたんだと思う。
子育てで、絶対にしたくないこと。それは、「声を荒げて怒ること」
でも、私は、したくない気持ちとは裏腹に見事にしてしまっていた。
そんな自分が嫌で嫌で、悩んで、なんとかしたくて、このままではいけないと思って、そこから、自分との向き合う時間を作っていった。
そして今、私は、「怒る自分」をOKとしている。
否定しない。
まずはそこから。
怒る自分は抑えるべきものではなくて、まず、受け止める。
「あぁ、私は今、怒っているな、そんなんだね」って。
そして、そのあとが肝心。
自分の怒る原因はどこにあるのか?を掘っていく。
いう事を聞かない子供に対して、癇癪を起す子供に対して、なぜ、怒っていたのか?
子供に対して、怒っていると思っていたことが、
子供が悪いんだと思っていたことが、
実は自分の中に原因があったことに気づく。
心の奥の声は、
「私はずっと、我慢してきたのに!なんで、あなたはそんなに心のままに感情を発散させるんだ!」
という声だった。
生育環境、母の性格、いろんな条件が重なって、いろんな我慢をしてきた私。
感情を抑えて、とにかく、我慢して。
悲しくても、傷ついていても無理して笑っていた私。
でも、本当は、感情のままに泣け叫びたかったし、怒りたかったし、甘えたかった。感情に蓋なんかしたくなかった。
でも、私の状況がそうはさせてくれなかった。私さえ我慢すればうまくいくと本気で思っていた。
そういう人って、結構いるのではないかなと思う。
状況は違えど、そうやって、我慢をいっぱいしてきた人。
そういう人は、実は、怒りっぽい。(もちろんそうじゃない人もいるよ)
私の場合は、大人の人間関係では、まだ蓋をしたままで、「我慢の自分」で保つことができていたけど、我が子との関係となると、そうはいかなかった。
親子だから。私の子供だから。そんな、自我があったんだと思う。
今は、子供は自分の一部ではないと思えているが、まだお母さんになりたての頃はそう思えなかった。そんな学びがなかった。
つまづいて初めて、自分の改めないといけないところに沢山気づけるようになった。
子供は沢山の事を教えてくれている。
本当に感謝しかない。
子育てをしながら、沢山、自分と向き合わせてもらった。
まさに、「子育ては親育て」だ。
怒る自分が出てくるたびに、自分がどういった感情が奥にあるのかを知るきっかけになる。
「本当は自分もしたかった」
「本当はうらやましい」
「本当は寂しかった」
「本当は不安」
そういった感情に気づくことができる。
そして、そんな自分を否定せずに抱きしめ、認めてあげる。
条件なんていらない。
無条件に自分の存在を認め、自分を自分で抱きしめる。
そういった事を繰り返していくたびに、どんどん、自分のいらないものがはがれていく。
そぎ落とされて、自分が軽くなっていく。
軽い自分になって、クリアな自分になって、見えてくる世界は、ただただ美しい。
美しいのだ。
条件なんていらない。
そのままで美しい。
それは、私もあなたも、周りもすべて。
そんな今までの事があって、私は今のところは「怒りの感情」とうまく付き合っている。
そんな中。
先日、小4の息子が、次男に対して、このように怒っていた。
「いや、それは絶対そうしなあかんやろ!!!」
内容はよくあることなので、割愛するが、
とにかく、絶対そうしなくてもいいような事を、次男に強制しようと怒っていたのだ。
でも、今の私は、「そんなん別に絶対しんでいいやん~」と思う。
ただ、そんなやり取りを見ていて、気づいた。
「あぁ、これは、昔の私が、長男が小さいころにさせていた事だったな」と。
つまり、長男は「やりたくないけど、自分は我慢してやってきたんだからお前もやれよ!絶対に!」という気持ちだったのだ。
勉強して、学んで、自分と沢山向き合ってきた今の私なら、同じ状況でも、もう、それを無理にさせる事はないと思う。
過去を悔やんでもしょうがない。過去は変えられない。
そして、過去の私は私で、その時は一生懸命だった。
でも、事実、長男は我慢をしてきたという気持ちがあるから、相手にも同じ気持ちになってほしいのだ。
改めて、「怒り」とは、その奥に、「自分の我慢」が隠れていると、思った。
じゃあどうすればいいのか。
そこで長男に注意するのではなく、私の行動を変えていく。
「我慢」を無理やりさせないように、こちらの声掛け、接し方を変えていくしかない。
コツコツと。
すぐに結果は出ない。
でも、目の前の現実がそうなのであれば、「今の行動」を変えていくかない。
そう。
「今の行動」はいつでも変えることができる。
そうやって、長男のなかに、「我慢してきた」という思い出の心の中の比率を、「我慢しなくていい」という気持ちが上回ってきた時に、自然と彼の態度も変わってくる。
やっぱり、自分(私)次第なんだな~と思った。
長男が悪いのではなく、そして、私が悪いわけでもない。
その時、採用していた考え方がちょっと、あっていなかっただけだ。
絶対にしてはいけないことは、ここで自分を責めることだ。
自分を責めた所で、何も解決しない。
自分を責めている状況は、まさに、心が過去に飛んでしまっている。
心を過去に留めるのではなく、大事なのは「今」だ。
人間だから、過去に心がいってしまう事もある。
それでもいい。
そこに囚われなければいいだけ。
相手を変える事はできない。
変える事が出来るのは自分の行動だけ。
自分の環境、今というこの状況、相手の態度、、、いろんな「今」があるけど、とにかく、自分の写し鏡だと思うと、たくさんの気づき、学びがある。
私にできる事は、長男への接しかた、声のかけ方、彼への観察。
私にできる事はまだまだ沢山あるな。
ここから、子どもとのコミュニケーションの学びをもっとするでもいいし、言葉の学びをするでもいい。本当に自分の行動を変えていこうと思へばいくらでもある。
そう。トライ&エラーの繰り返し。うまくいくことも、うまくいかないことも、すべてが学びだ。
今、彼との関係は良好だが、完璧ではない。
もっと、向き合って、でも、距離を置く部分はしっかりおいて、いい塩梅を目指そう。
怒りが沸き上がった時。それはチャンス。
あなたは何かを「我慢」しているかもしれない。
相手に怒りをぶつける前に、相手を責める前に、心の奥が感じている、「本当はこうしたかった」「自分だってやりたい」をあなた自身が叶えてあげればいいんだ。私もそうしながら、少しずつ、自分を軽くしていこうと思う。
いつか、空を飛べそうになるくらいまで軽くなれたら、素敵だな。
我慢がなくなれば、今よりもっと、怒りは減って、愛が増える。
やさしさ、思いやり、愛。
そんな世界はやっぱり心地よくてすばらしい。
という事で、そんな私の気づきのお話でした!
今回も最後までお読みいただきありがとうございました!
いつも本当に、感謝感謝です!
この後も素敵な時間をお過ごしください(^-^)
では、また~!



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