「ずっと動いてるよね(笑)」
体操の先生が次男に言っていた。
嫌味ではなくむしろ、次男のずっと動いてる様子が突き抜けすぎてて、注意するより逆にすごいなって思っちゃったという感じのニュアンスだ。
そんなことがあった次の日。部屋には長男と次男と私の3人。台所で静かに用事をしていた私。リビングの2人が騒がしい。
「(長男が)一日中、ずっと喋ってるな…」こう思った時に私は気づいた。
「そうか、我が家にはずっとしゃべってるやつとずっと動いてるやつがいるのか!」
そりゃうるさいわ。そりゃ頭も疲れるわ。ストレスも溜まるわ(笑)
「子供はうるさいもんやからねぇ。そんなもんよ!大丈夫!」
いろんなアドバイスをくれる人はいる。けど、その人のなかの「子どもとはこういうものだ」という基準と我が家の子供たちは一緒なのか!?とよく思う。
子育てのアドバイスも当てにならない(当てになる時もあるよ。失礼なこと言ってごめんなさい)
私も安易に「アドバイス」するのは気を付けよう(笑)
「子供ってそういうものだよ、それが普通だよ」
と言われれば言われるほど、それにイライラしたり、ムカついたりしてしまう自分があかんような気持ちになってしまう。心狭いんかな、私、、、みたいな。(まぁ狭いんだと思うけど。それは間違ってないかw)
だから「子どもってそんなもんよ!気にしすぎんとき~!」というような声かけも、使うタイミングとかは気をつけなあかんな(自分がそういう立場になる機会があるときは気をつけよう)
いやでも、ほんま。
もともと静寂と内省が好きな私にとってこの騒がしさは結構なレベルだ(笑)人それぞれ耐えられるレベルは違う。感じ方も違う。
そうそう。今読んでる本で「スピリチュアルズ「わたし」の謎)」(橘玲著)というのがあって、そこに、内向的・外交的というタイプの説明があって、
内向的な人はインドアとか根暗とかそういうのじゃなくて、いろんな事に敏感だからこそ「刺激」が少なくていいタイプという様な事が書いてあった。(私は八割が内向的とでた。ネットでビックファイブ診断で検索すると無料でできるよ)
そうか、疲れやすい自分はちょっとした刺激でお腹いっぱいになってしまう自分の資質によるものだったのか、となんか納得するものがあった。いろんな考え方があるけど、いろんな事を「刺激」と思うと自分のなかではわかりやすい。
だから、刺激の少ない静寂が好きだし、刺激がたくさんある大勢の人とあうのは苦手なんだな。
またちょっと話が逸れるけど、少しの刺激で満足するといっても、ずっと低刺激でいいわけではない。やっぱりいろんなリズムがある。
「刺激」というキーワードでもう少しかんがえると、自分のコンデションが整っている時は、ご飯とかに関してはそこまで刺激のある食べ物を欲さない。でも、調子が悪い時に限って、なんか無性に刺激のあるものをたべたくなる。ジャンクフードとかお菓子とか。
足りてない刺激をわざとそういうものを食べる事で体に変化を与えようとしているのかな、無意識に。そんな仮説まで浮かんできた。
まぁでも、的外れな「刺激」だと、結局、満足は一瞬だけで、求めてたものは得られてなかったりするんだけどね。
だから、逆に、ジャンクなものばかり食べたくなる時は「あ、そうか、今たぶん調子が悪いんだわ。ジャンクなもの食べるよりも寝るとするか」と自分のコンデションを整えるきっかけになったりする。
色んな角度から考えるってやっぱり面白い。

ちょっと話を戻しまして…(いや、戻ってないかもw)
エックスでこんな投稿を見かけた。
夏休みで子供がずっと家にいて文句を言ってる親に対して「自分が産みたくてうんだんだから文句言うな」というもの。
いや、その気持ちもわかるよ。子供が欲しくてもできない人もいる。だから、言いたくなる気持ちもよくわかる。だけど、違うんですよ。
子供は「可愛い」けど「尊い」けど「大切」だけど。「しんどくない」わけじゃない。「大変じゃない」わけじゃない。「イライラしない」わけじゃない。
少なくとも私はそうだ。
流産を2回して、子供を2人授かった。ありがたい。とてもありがたい。だけど、だからと言って、しんどさを感じないわけじゃない。「しんどい」が帳消しになるないわけじゃない。その瞬間「しんどい」「イライラ」しているのは事実だ。
別なんだよなー、それとこれとは。
子どもを産んだら「弱音」をはいてはいけないなんて、そんな決まりはない。
完璧じゃなくたっていいさ、人間だもの。しんどいときにしんどいと言えないのはとてもつらい。しんどい時にその気持ちを受け止めてくれる人がいるだけで救われる人もいる。
そんなふうにみんなが思えたら、思い詰める人とか減るんじゃなかろうか、そんなことを思った昼下がり。
「気合いが足りない!」
「覚悟が足りない!」
「あまい!」
そういう人もいるかもだけどね。
だけど、そう言ったって誰も幸せになれない。はたからみたら「子育てへの文句」に見えても、その人にとって我慢に我慢の末、やっと出せた一言だったかもしれない。
そこでしか「吐き出せない」のかもしれない。吐き出さないと心が壊れてしまうのかもしれない。
そうやって「かもしれない」と思う心。大事だよな〜。
「こうだからこう!」という短絡的な考えからじゃなく、もっと柔軟に考えたいな。
でも。
「かもしれない」と思うには、自分に余裕がないとダメだ。
脳さんは節約家ですからね。疲れてると、そんな「かもしれない」仮説をたてることにエネルギ―を使いたがらない。だから、省エネに「きっとこうだ!」と決めつけて、考える事をやめようとする。
やっぱり「余裕」なんだよな〜。うむむ。自分を大事にできるから、相手も大事にできる。

みなさま、どうか、自分を大切にしてくださいね。後回しにせず、自分をまずは抱きしめてあげてください。
相変わらず、我が家の息子たちはうるさくて、静寂とは無縁の環境だけど。
騒がしい日々に疲れている自分も事実。
静寂を求めて、ため息をつく自分も事実(笑)
騒がしさに愛しさを感じる瞬間も事実。
どれもが本当で、どれもが偽りのない私の気持ちだ。
どんな感情も私の大切な一部だ。
それに、良いも悪いもない。ただその気持ちがあるんだな、という事を認める。そして、そんな色んな自分を許して愛する。ただ、それだけだ。
うん、うん。(でも、できることならもう少し、静かにしておくれよ、息子たち(笑))
本当に暑い日はまだまだ続きます。熱中症などにはくれぐれもお気をつけくださいませ~
今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~



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