何度も同じ事が起こる時。これは何を意味するのか!?考え方の引き出し

子育て
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今日は「出来事」に対しての解釈は「こんな考え方もできますよね~」というお話です。

 

真実はいつも一つ!!!ではなく(コナン君大好きですけど)

事実が一つあって、解釈は人の数だけある!!!!と思ってる。 

 

 

で、何の話?

そう、今日もよくある話をしますよ。(いや、よくあるかはわからんけど)

 

コホン(咳払い)

 

我が家には、息子が二人いる。

次男は小学二年生。性格は優しい。けど、落ち着きがないというかじっとしているのが苦手だ。動きたいタイプだからなのか、彼だからなのか。わからないけど、家のなかで粗相がよくある。

 

先日、彼はジュースをこぼした。うっかりコップに手が当たってこぼしてしまったのだ。

 

ふつうにジュースを飲もうとしてうっかりミスしてしまったのならそこまでイラっとはしなかったと思う。でも、彼はその前にふざけていた!!!(男子あるあるのしょうもないことをして…)

 

「ほら、いわんこっちゃない」

 

ちゃんとジュースを飲もうとしていたのなら、そこまでムッとしていない(二回目w) 

 

「食事中はふざけないで」と普段から注意していてのコレだ。

でも、この時、私はイラっともしたし、ムッともしたけど、こみあげてくる気持ちを抑えて、彼に布巾を手渡しテーブルを拭くように促した。

 

そう、彼はふざけてはいたけど、わざとではない。それはわかっている。

 

 

そうこうしているうちに夜になり、デザートでかき氷のリクエストがあったので私はかき氷を作った。しかも、夏休みも最後でなんか気分的にいつもより多めにシロップやら練乳やらをかけてあげよう!と張り切って作った。

そんなかき氷。

それを次男坊がまた落としたのである。

 

本人曰く「なんかつまづいた」らしい。

でも、なんでそんなとこでつまづくねんっていう所なんだよ。うぅ、なんでやねん。

 

器は割れるし、破片は飛び散ってるし。中身の甘々ベタベタかき氷も派手にぶちまかれている。

 

ジュースの時もわざとではなかった。わかっていたから、怒るのはあかんと思って、注意にとどめた。「気をつけようね、落ち着いて行動しようね」

言ってたやん~ 

はぁ。

 

 

悲惨な光景を目の前に(破片とかベタベタとか、椅子と机の脚のしたにも液体が入り込んでるとか)、

言いたい言葉がグワーッとこみあげてきたけど、ここでも我慢した。

いかん、いかん。

感情的に怒ってはいけない。わざとじゃない。わかっている。いらんこと言ったらあかん。自分でなんとか気持ちを落ち着かせた。

そして、今回は破片で怪我をしてもいけないので、私が黙々と現場の片づけをした。

 

 

子供のこういった粗相。よくある事だ。私もよくやってしまっていた。だからよくわかる。そして、この時に必要なのは怒ることではなく、粗相のあとどうすればいいのか?を教えてあげたらいいだけだ。ただそれだけでいいのである。

でも、一瞬、こぼした時に「なにしてんのー!」と大声で言いたくなる気持ちもある。

 

これは私の心の広さや心のゆとりの問題なのかもしれない。この時、一瞬、脳裏によぎるのは、私の母の言葉だ。「もーーー!あんたはいつもこういう事をしてくれるなー!」(怒りながら)

 

私はこの言葉をよく言われていた。

 

私はお出かけとか、何かの行事の時とかに、ジュースをこぼしたり、ソフトクリームの上の部分をぽとっと落としたり、粗相が多い子供だったようだ。というか、その言葉をよく言われてた気がするので、そこから考えると多かったのかもしれないなと思えるよね、という感じだ。

 

でも、今改めて思うと、本当に多かったのかどうかはわからない。でも、言葉だけはしっかり頭の中に残っていて、その言葉が私の「自分に対する性格の思い込み」にかなり関係しているな、と思う。

私は自分で「肝心なところでやっちゃってしまうやつ」認定してしまっていたのだが、それはきっと母のこの言葉が影響している。

 

 

母からしたら深い意味はなかったのかもしれないけど(込みあがってくる怒りのまま放った言葉だろう)、こうして私自身がそう思うという事は、やはり、子供に対する「言葉がけ」は気を付けなければいけないなと思う。

 

 

 

私が何気なくいってしまう子供への言葉が、彼らの行動や考え方にブレーキをかけてしまうかもしれない。自分の言葉で彼らを縛り付けてしまうのはしたくない。

 

 

うん。気をつけよう。

 

 

だからこの前の粗相のときも「いっつもこういうことするよね!」みたいな言葉は言わないようにグッと堪えた。そもそも、いつもではないもんね。ジュースをこぼしていない時の方が断然おおいんだから。いつもではない。

でも、私はできた人間ではない。

グッと言葉を堪えた代わりに態度ではまだ怒っている雰囲気を出してしまっていたと思う。今思い出しても反省だ。大きな声は出さなかったとしても、無言もある意味怖いよね(汗)息子よ、ごめんね。

 

それが今の私の精一杯だった。

  

 

これは言い訳かもしれないけど、ふと、思う事がある。

私の理想の対応はこうだ。かき氷をこぼした時があったとしたらなんて声をかけるのか。

「おぉ!大丈夫?怪我はない?怪我がなかったのならよかった!掃除ついでに床がきれいになってよかったわ!ちょうど掃除しなあかんな~って思ってたところやってん!」

 

こんな対応ができるお母さん、素敵やな~って思う。ここまではいかなくても、子供に「失敗した」と感じさせない声掛けができればいいなと思う。

もちろん、言葉がけだけじゃなく、態度も(笑)

 

 

こういった対応をしていたら、子供は「やってしまった、自分はあかんやつ」と思わないだろうし、なんなら子供が自分の子育てのときにそういった対応が自然とできるようになるんじゃないかなーと思ったりする。

まぁわからんけどね。なんでもやってみないとわからない。

 

でも、それができたらいいなーと思う。

ただ、私も昔の母の対応が少なからず嫌だったなという気持ちがあるからこそ、大きな声で怒ったりはしないように気をつける事ができた。そこは負の連鎖を断ち切るという意味では大きいかな。褒めるところはちゃんと自分を褒めなきゃです。(まだまだ課題はありつつも、できた所はしっかり認めること大事です)

 

 

そして。

これで終わりではない(笑)

 

 

次の日に、また、ありましたよ。粗相がw

 

同じく次男君。

今度は冷蔵庫の中で一口サイズにカットされたスイカが大量に入ったタッパをひっくり返した(笑)

冷蔵庫の中はスイカ汁でいっぱい。そして、冷凍庫、野菜室のほうにもスイカ汁が垂れてしまっている。もうベタベタ。拭いたけど、ベタベタ。さらに、引き出しがベタベタのせいかあきにくい。

 

この時は夫がいてくれた。だから二人で冷静に対処することができた。なんなら夫はまだ初回だったので私よりも更に冷静だった。とてもありがたかった。

 

こういうのって、一人で対処するのと、二人で対処するのとぜんぜん違うよなーとつくづく感じた。夫さん、ありがとう。

 

 

夫がいった。

「なんで立て続けに同じような事が続くんやろなーーー、めずらしいよな」

 

 

「ほんまや!!!!!」

この時、私は思った。というか、ひらめいたというか、そんな感じ。

 

これはもしかしたら、私の学びのためにおこっているのでは?と。

私が一回目の時に学びが不十分だったから、二回目も三回目も起きた。しかも、次男坊が体を張って教えてくれた(笑)

いや、こじつけやん~ってなるかもやけど、なんか妙にしっくり来ている。 

 

 

神様に試されているのかも。ほんまにそう思う。

大声で怒らなかったとしても、無言で、態度で、ムッとしていたのなら、怒っているのと一緒だ。そこを変えない限り、また同じことが起こるのかもしれない。

もちろん、たまたまだったかもしれんけど。

 

でも、自分がしっくり来てるからそう思うことにした。

そう思ったのなら、次は、サラッと、淡々と、対処しよう。

粗相があったのなら、怒るのではなく、次どうすればいいのか?を教えるだけ。 

 

うんうん。いろんな事を教えてくれる出来事、そして、その出来事にかかわってくれた人たちにも感謝だ。

 

 

私のなかの変なジンクスみたいなのがあって、聞いてもらえます?(笑)

 

なんか、自分が興味があったり、なにかについて考えている時、そういった思考をまとっている時、それらを試すような出来事がおこるんですよ。

今回のような小さな出来事もそう。

なんか、自分の思考、そこからくる行動が試されてる気がして。

本当に腹落ちしてたら態度にも必ずでるから、それを試すためにそういった出来事がやってくるのかなって思う事がよくある。

あなたはそんなことないですか?

 

 

これも、私が変にそう思っているだけかもしれないけど、なんかいつも、タイミングよくそういったことがおこるから、そう思わざるおえないって感じなのです。

 

 

だから、自分のトラウマも、なんか、悩んでいることとかも、とにかくいろいろ、解決してないと、腹落ちしてないと、結局また同じ事がおこるから、できるだけ新たな一歩がだせたらいいなとおもうのだ。でも、出せずにまた同じこと繰り返してることも多いけど(笑)

 

まぁでも、焦らずでいいか。繰り返してることもまた、大事な経験なのかもしれないし。その回数が必要だったのかもしれないし。

経験に無駄なことなんてひとつもない。

 

 

いいことも、悪いことも、すべてが貴重な経験だ。

そもそも、いいも悪いも、自分が勝手にそう判断しているだけ。出来事にそう解釈しているだけ。

 

だから、どんなことも「ありがたい」と思って、受け入れるヒトで在りたいな~

 

 

いろんな都市伝説があって、今年の夏はちょっぴりドキドキしてましたが、無事に夏休みを終える事ができてよかった。そんなことも思うと、生きてるだけで本当にありがたいです。

 

だって2025年7月問題が本当に起きてたら、今の自分はいないわけだし。食べるものがあって、水が飲めて、お風呂にはいれて、お布団で眠れて。あぁ、ありがたいな。

夏休み、いろいろな思い出が作れた。本当に「今」生きていることも奇跡。子供の粗相でこんな文章を書いてる時点でものすごく幸せな事だ。

ありがたい。

ありがたや~。

 

 

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~

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