「執着っていうのはね」小2の息子との日常会話とみそ汁茶碗

子育て
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今日は小2の息子との会話。

何気ない日常の一コマだ。(しょうもないけど、良かったら聞いてってや~)

 

「執着」

この言葉は少なからず生きている人は一度はぶつかるテーマだ。(たぶん)

 

最近の若い人たちは「悟り世代」っていうのかな?

すごい。本当に。

物事には順番がある。何事も。経験もそう。

 

私は昔から「執着」や「手放し」の概念が自分の中にあったわけではない。

そして今も、そういったものに悩まされることはある。

昔はもっと執着だらけだったけどね(笑)

 

色んな経験をして、学んで後悔して、少しづつ進んでいって、やっと今そういった概念が理解できるようになった。

 

経験や学びがあってやっとここまでこれたのに、悟り世代はもうわかってるんだからすごすぎる(笑)

ちなみに、うちの息子たちは執着もするし、欲もいっぱいある。まぁ、それが普通なのかなって思うけど。いつかそのうち、勝手に悟りを開くんだろうか。(彼らの将来は未知数だ) 

 

そんな「執着」についてのお話。

 

先日、息子たちとご飯を食べていた時のこと。

 

小2の息子と小5の長男と何気ない会話をしていて、なんかひょんなことから、「執着」にまつわる話題になった。

もちろん、彼らに「執着」の概念はない。

さっきも言ったけど、何事も順番が大切だ。

 

いきなり難しい話をしたって、彼らにとってはチンプンカンプンだろう。

でも。子供だからといって理解できないと思って、全く話をしないのはちょっと違う気がしている。

だから私は、ちょっと彼らには早いかな?と思われるようなことでも、できる限りかみ砕いたりして説明するようにしている。

 

そして最後に「今はまだよくわからんと思うけど、大人になったらわかる時がくるよ~」と付け加えて伝えている。

 

彼らの頭のどこかにちょこっと引っ掛かりを作っておく。それだけでも十分に意味があるのかなと私は思ってるのでそうしている。 

 

 

「執着っていうのはな、ちょっと難しい言葉やねんけどな…」

私は彼が持っていたみそ汁茶碗で例える事にした。

 

「君が持っているみそ汁茶碗。例えば、君がそのみそ汁茶碗じゃないと絶対にあかんねん!とマイルールを作ったとするやん?もう何が何でもそれじゃないとあかん!って感じで。それはまぁ、君のこだわりと考えたら、君らしさになってそれもまた素敵な事なんやけど、

君がそれじゃないとあかん!と決めた時点で、そのみそ汁茶碗に対して執着が生まれて、そのみそ汁茶碗じゃない時にものすごく嫌な気持ちになるねん。何かに対してそれがいい!それが幸せ!っていう気持ちができると、それと同時にそうじゃない時の不幸な気持ちができてしまうねん。

だから、結果的に、執着というのは自分を苦しめてしまう原因になってしまうかもしれんってこと!」

 

 

小2の次男は、一応ふんふんと最後まで話をきいてくれた。そして「わかった。でも、ちょっと難しいな(笑)」と感想を言っていた。

 

そうだよ(笑)とても難しい話をしている。ごめんね(笑)

でも、こういった会話の積み重ねが大事なんだとおもってるんだ、母は。

 

「執着を作るのも手放すのも自分次第なんだよ」

 

そんなニュアンスを伝えたかったんだ。

もちろん今は理解できなくて当然だ。

 

彼は彼で、これから沢山の経験をしていく。

欲まみれになったり、執着しまくったり、いろんな経験があるだろう。それも、学びなんだ。

 

ただ、私も色んな経験をしてきて思うけど、こういった言葉や考え方をもっとその時に知っておきたかった。

 

だから、息子たちには「おばあちゃんの知恵袋」的な感じで、色んな生きていく為の知恵や考え方にふれてもらいたいな~と思う。そんな気持ちもあって、私は普段からそんな内容の話も積極的にするようにはしている。

 

でも、自分の価値観の押し付けにはならないように気をつけないとですけどね(汗)

夫もよくそれを言っている。

「親からの言葉って自分たちが思っている以上に子供たちに影響するから偏りがないように気をつけなあかんな~」って。

 

本当にそうだ。気を付けよう。 

 

 

私はほとんどの「執着」は自分が作り出している「幻想」だと思っている。

自分がそう思いこんでいるというか、なんというか。幻想という狭い檻の中に自分で自分を閉じ込めてしまっている。冷静な時はそこに気づけるんだけど、余裕がない時は幻想の中にどっぷりハマってしまう私(汗)

 

執着はエゴの一つだ。

そしてエゴは悪いものではない。エゴがあるからこそ、生きていく原動力になったりする。

それが行き過ぎて偏ってしまって、苦しんでしまうという所にに問題がある。

 

生きていく上で、エゴも大切な自分のパーツなんだと思う。人生に彩を与えてくれる。執着や手放しを行ったり来たりしながら、感情にもまれながら、人生を楽しむというのも一つ。

すべてを手放し、悟って、人生を生きるのも一つ。

どれが素晴らしいとか、悪いとかはない。

自分がどう「ありたいのか」なんだよな~

 

私も行ったり来たりしながら、物事の裏表を楽しみながら、人生楽しんでます。へこんだリ、穴があったら入りたかったり(笑)、そんな日常もありがたい。感謝だ。

 

 

子供たちもいつまで私と話をしてくれるかはわからない。

小5の長男はそのうち思春期で話さなくなるだろうし(笑)

「今」を大切にしよう(笑)

 

今日も最後までお読みくださり本当にありがとうございました!

この後も素敵な時間をお過ごしください!

ではまた~

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