「言葉」にとらわれすぎない。と「生きてる世界」がみんな違う。

生きるための引き出し
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今日は何気ない日常の、ふと思ったのお話をするよ。

最近、つい長くなってしまうので今日は短めを目指していきます…

 

 

やっと朝が涼しくなりそうでルンルンだ。

まぁすぐにまた暑い日差しがびゃーーーってくるんだけどね。 (早く秋よこいこい)

 

「言葉」にとらわれすぎてはいけないと思いつつ、言葉って面白いなって思ったお話。

 

この前、夫が、子供部屋のいらないものを処分しようとせっせと二階から一階へ物を運んでくれていた。

私はその時、気づかずに他の事をしていた。

しばらくしてから気づいて、夫と一緒にやろうと思い、夫に声をかけた。

 

「ごめんね、やってくれてたんや」

 

すると夫はとっさにこういった。

 

「いや、別にこれは何も思ってへんで!」

 

私は思った。

「ん?これはってことは、これ以外のことでなにか思ってることがあるんか(笑)?」

 

もちろん、夫の放った一言に深い意味があるわけではない。それはわかっていたけど、なんか面白くなって夫に聞いた。

「これは何も思ってへんってことは、これ以外でなにか私に言いたいことある?(笑)」 

 

夫は、笑いながら「ほんまに深い意味はないで(笑)なにも思ってへん!(笑)」といった。

 

 

まぁ、ほんまになにも考えずにいった言葉なんだろうけど(多分…w)

 

でも、とっさにでた言葉って、自分でも気づけない「何か」を含んでたりする(こともある) 

 

 

だから、もしかしたら、今回の事も、笑い話だとはおもいつつ、夫は何かを思っていた時があって、それがずっと残ってて、とっさの言葉にでたのかもしれないなと思った(笑)

まぁ私はおっちょこちょいなので、知らず知らずのうちに夫に迷惑をかけているのかもしれないから(汗)

 

とりあえず、夫に感謝しておこう。(夫さんありがとうございます)

 

 

人って、自分のなかに「ある」ものしか「言葉」で出てこない。

「ない」ものは「言葉」には出てこない。

 

 

本当にそう思う。  

 

 

だから私は人と話をしている時に、相手が発する「言葉」にとても興味が沸く。

 

 

なぜその言葉を使うのか。

なぜそんな言い回しになるのか。

あえてその言葉を使っているのか。

あなたが使ったその言葉、どんな意味が含まれている?

 

言葉のうらには何が隠れているのかを考えるのが好きだ。 

 

 

なんでそこまで考えてしまうのかを考えてみたけど、出てきた答えは「相手の事をできるだけちゃんと理解したいから」だ。

できるだけ相手の感じている物をそのまま感じれたらいいなと思う。 

 

 

そうそう、この前人と話をしている時に思ったこと。

 

 

私は、前向きな意味でとある話題を相手にふった。

すると、私のなんとなく予想していた答えとは違うものがかえってきた。

 

私のふった話題を「若干ネガティブな話」と解釈して、「そういうのってこうだよね~」と話がかえってきたのだ。

どう解釈するのかは本当に自由だから、私はかえってきた答えをジャッジするつもりは全くない。

 

ただ「あぁ、そういう風に話がかわっちゃうのか~」とおもった。私の話の振り方があかんかったんかな?とかも考えた。そうだとしたら、私が伝え方の勉強をもっとしないといけない。

 

だって、楽しい話をしようと思って話をふっているのに、ネガティブな話になってかえってきたらなんとなくやってしまった感が残る。

 

 

でも、やっぱり人は自分の世界観の中で生きているんだな~と思った。

前にもブログで書いたけど、そういう心のメガネをかけているからこそ、何をみても、何を聞いても「そういう風に」見えてしまうのだ。

 

「世の中は怖い」というメガネをかけていたら、何を聞いても「あぁやっぱり怖いな」と解釈してしまう。会話をしていても、たぶん「世の中は怖い」につながる「キーワード」を自分で選んでそこばかりに注目してしまっているんだと思う。 

 

 

この前話をした人との今までの会話を思い出してみた。

 

いろんな話をしてきたけど、どっちかというと、人を非難したり、ネガティブな角度から物事をみて話をしていることが多いなと思った。

それはきっと、そういうメガネがデフォルトでかかっているからなんだな~と改めて思った。

 

 

でも、その人が悪いわけではない。私はそういうことが言いたいのではない。(愚痴や悪口はできるだけ言いたくない)

そんなメガネをかけるようになったきっかけがたくさんあったからそうなったんだろうな、と思うと、そこから相手への理解がぐんと深まる。

人はみんな自分のことを理解してほしいと思っているものだ。 

 

 

満たされない何かがあって、そういった「言葉」がでている可能性もある。 

 

そこを見つけて、できるだけ、満たされていない何かを埋めるお手伝いができたらいいなと思う。 

そうやって、相手の事を大切に、人と向き合っていきたいなと思う。 

 

 

満たされた人が増えると、他人に攻撃する人は確実に減る気がする。そういった世界は素敵だな。

心がギスギスしてると、やっぱりイライラもしやすいしね。家事や育児や仕事に追われて自分を満たすことをおろそかにすると、私もイライラをぶつけたくなってしまう(汗)(はい。まずは自分が気をつけます)

 

 

さっき、「この前話をした人との今までの会話を思い出してみた。」といったけど。これももう一つの方向で、考える事ができる。

思い出した時に私が都合よく、「自分にとって必要な情報だけ」を思い出している可能性もある。自分が思った事とつじつまがあうように。でも、それはめちゃクチャ偏った情報になってしまう。

そうなると、相手のことをちゃんと理解することから遠ざかってしまう。

 

だから、冷静に、「事実だけ」を見つめることが大切なんだよな~

(はい、気をつけます)

 

 

とは言いつつも、人間みんな自分の主観で物事を判断するのがデフォルトで、「意識」して「視座」を上げていくしかない。

 

蟻の目、鷹の目をうまくいったり来たりしなきゃだ。

それが難しいんだけどね。 

 

 

この前、原田ちあきさん(イラストレーター)の書籍を見たときに、心に響いた言葉があった。でも、その言葉を思い出せない(汗)

何だったかな~

ニュアンスとしては「傷つけた人は許してもらうのを待つだけだからいいよね」みたいな文章だったと思う。(探したけど見つからなかった、すいません)

 

響いたくせに忘れる私。…まぁいっか。(おい) 

 

原田さんの作品はすべて鋭いというか、切れがあるというか、人間の「黒い」と思われている部分を素敵な感性で表現されている。見た後は、ネガティブではなく、でもなんか心に残る後味がある素晴らしい作品が沢山ある。

 

この言葉を聞いて、自分の気持ちを代弁してもらってる感じがしたのだ。

これを見たとき「そうそう、そうだよな~、ほんまそう」って心の中でつぶやいた。

 

みんなもきっと「そうそう!」って思うんじゃないかな。

 

それと同時に「いや、私もどこかで誰かを、不本意に傷つけてるかもしれないか」とも思った。

 

誰も傷つけずに生きていくのはむずかしいもんね。こっちが冗談でいったことも相手にとっては傷つくことかもしれないんだし。

 

まぁでも、ともかく、私はさっきの文章に心が反応した。

私の場合は「父との関係」を思い浮かべて共感していた。

 

そして、そんなことがあったんだよ~と、このことを夫に話すと、夫は「そんなこと考えたんか~」って感じだった。

夫はそこまで心が反応しなかったんだな、と思った。

自分のなかに「ない」ものは「反応」できない。だから、夫はなかったんだろう。過去にあったかもしれないけど、もう夫の中では解決してるものなのかもしれない。

 

 

未解決の感情が成仏さえしてくれたら「反応」自体が起こらなくなるから。

 

 

だから、本当におもしろいなって思った。

「同じもの」を見ているのに、そこから想像するものは違うし、反応も違う。 

 

同じ世界に住んでいるようで、みんな違う世界を生きている。それぞれの世界の輪っかが重なり合ってるから同じ世界を生きているように感じるけど、みんなが見ている世界はそれぞれだ。

 

面白いなぁ。 

 

 

私も私が解釈したいように解釈して、感じたいように感じている。

まぁでもその前に無意識の部分が反応しているわけだけども。 

 

 

ここ最近感じたことは「だからなに?」って感じの事なんだけど、でもそんなことを感じたんだというこの瞬間の気持ちは事実なので、書き記しておこう。

 

結局、他人とは同じ世界を生きていないという事を理解しつつ、だからこそ、ちょっとしたことでも見逃さずに、しっかりと受け止めて、相手を理解できたらいいなとおもいマシタ。

 

 

みんなそれぞれちがうから面白いんだな。いろんな事に気づかされる。ありがたい。

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~

 

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