「今日も頑張る!」
この言葉をきいて、あなたはどんなイメージがわくでしょうか?
もしくは、あなたの「体の感覚」に集中してみると、どんな「感じ」がしますか?
「なんかやる気がわいてきた!」
「体がピリッとしてくる!」
など、色んな答えがでてくるはず。
私は、なんかこう、自分の体がキュッとする感じ。
やるぞ!みたいな。
言葉からくるイメージ。
これは、ものすごく自分の体と心に影響を与えるようだ。
もう少し、「頑張る」を深ぼってみる。
「頑張る」って言う言葉、実はよく使いがちで、ほんまに無意識に自分にも、相手にも使ってしまってる。
何気なく使う「頑張る」「頑張って」という言葉。
でも、これって、なんか、よくよく考えたら、ちょっと苦しい感じがしてくる。(そんなことないですか?)
だって、想像してみると、頑張るっていう言葉を使ってるシーンって、
自分がしんどいか、やりたくないか、無理してる時に使いがちだからだ!!!!
いや、ほんま、これマジで。
昔にもブログで書いたけど、改めて、「うわーーー」って思う。(汗)
前向きな意味で使っているつもりでも、体の体感っていうか、体の反応としては、
「無理してる!」「しんどい!」「やりたくない!」っていう感情が絶対入ってる。
これって、すんごく怖いことなのだ。
過去の記憶をたどってみると、つらかった思い出がある。
昔、子供が生後4か月の時に、川崎病になってしまって、子育てもまだ未熟な状態で、初めて知った病気への恐怖と、息子がどうなるかわからなかった不安と戦っていた時があった。
入院生活は一か月半にも及んだ。
その期間、つらくて不安で、さみしくて悲しかった。
携帯を見ると、インスタで楽しそうな友達の姿。私は今、生後4か月の赤ちゃんとずっと病室にいる。退院がいつになるかもわからない。つらい。悲しい。
そんな感じだった。
それでも、自分がしっかりしなきゃと、毎日、一生懸命子供の看病をしながら過ごしていた。
そんな中、親族からの「赤ちゃんもがんばってるんだから、あなたがしっかりしなきゃ!がんばらなあかんよ!」という一言。
もう、あの時は絶望だった。メンタルが弱ってたこともあるけど、ほんまに絶望。誰も私の気持ちをわかってくれないって思ってた。
私があの時、何より言って欲しかった言葉は、「あなたはほんまに頑張ってる。一生懸命がんばっているよ」というただただ、その時の私の状態を認めてくれる言葉だった。
しんどい時、つらい時、みんなそれぞれ自分なりに一生懸命頑張っている。そして頑張らなあかんことは言われなくても本人が一番よくわかっている。
あの時の経験で、学んだことは、「ほんまにがんばっている人にがんばって!といってはいけない」という事だ。
あぁ、そうか、今さらにわかった。
「頑張って!」を使う時。
正しい使い方は、「あなたは頑張っているよ!」だ。
人を応援するときは「頑張って!」という言葉は、実は適していない時が多いのかもしれない。
この「頑張る」という言葉は、相手の頑張りを「認める」ときに使うのが一番効果を発揮するんだ!
うん。そうだ。
なんかすごい納得。(今するんかい)
とにかく、ほんまに頑張らなあかん時に自分に喝を入れる意味で使うのは良いけど、頑張らんでいい時、というか、楽しみたいときに、「頑張る」って言ってたら、体の中ではなんか矛盾が起こっている。
(私の場合、過去の経験によって、私の潜在意識では絶対、「頑張る」と「無理してしんどい」という感情はセットになっている気がする。だから、無意識化では、その言葉を聞くたびに、その感情を、体では感じているのかも。その体感が、体が緊張したり、なんかしんどいといった体感につながるのかも)
うん、ほんまにそんな気がする。
無意識に「頑張る」って言ってる時って、ほんまは「やりたくない」という体と心からのメッセージなのかも!?と思えてきた。
だって、ほんまに「したいこと」に対して、「頑張るわー!!!」ってあんまり言わへん気がする。
「がんばるわー!」の前に、「楽しみやわー!」「ワクワクするわ!」「早くやりたい!」って言ってる気がする。(もちろんすべてではないし、例外はあると思うけど)
だって、「今日もがんばってね!」といわれたときと、
「今日も楽しんでね!」といわれたとき、
やっぱり体感がなんか違うのだ。
それに気づいてからは、子供に対しても、朝、見送る時に、「今日も楽しんでね!」「良い一日になるよ!」といった感じで声掛けを変えた。
自分に対しても、相手に対しても、自分が思っている以上に自分が放っている言葉は、自分も相手も気づかない部分で影響している。
言葉からくる、自分の体の小さな変化は本当に気をつけないといけないな。
私的に、特に気をつけようと思ったのは、無意識に「がんばろ!」って自分に対して使っている時って、心のどこかでそれは「したくない!」と思っていることなのかもしれないっていうことだから、
それに気づいて、「じゃあ一体どの部分がやりたくない?」「だとしたら、本当にしたいことはなに?」という風に、自分の深いところに気が付けるチャンスなんだと思えば、自己理解がさらに深まる。
言葉の使い方次第で、自分の状態が良くなるなら、やっぱり少しでも気を付けていきたい。
(特に日常でよく使う言葉は!)
どんな言葉が自分にピッタリなのかを見つける
「体をリラックスさせてね」
この言葉をきいて、本当に、めっちゃリラックスする人はどれくらいいるだろうか?
100%リラックス。
先ほどの言葉だけで、100%のリラックス状態をみんなが作れるかと言ったらそうじゃないと思う。
だからこそ自分の体感で、ちゃんと、無意識にでも、体が緩むような言葉を分かっておくことが大事なんだと思う。
私だったら、うーん、そうだな、、、、
「体をだらーんってしてね」とか、
「体の力を抜いてね、ゆるゆる~って感じで」とか、
擬態語っていうのかな?そんな言葉をたくさん入れてる方が、「リラックスしてね」という言葉よりも、体が無意識に緩む気がする。
これは多分、人によって違う。
言葉に対する定義というかイメージって、だいたいみんな同じような感じをイメージしてるんだけど、絶対にぴったり同じってわけじゃない。
自分の中で本当に納得してるかどうか。
体感としてちゃんとあるかどうか。
そういうところに目を向けてみると、意外と、「自分には合っていない言葉」を使っていたりする。
これって些細なことだけど、多分自分のパフォーマンスとかにもかなり影響する。(気がする)
他のことで言うと、今私はできるだけいろんな物事を、偏った見方をするのではなくて、ジャッジをせずにフラットに受け止めたいなと思っている。
その時に、自分に言い聞かせている言葉で、
「物事をフラットに見よう」
「ジャッジはしない」
などと言っても、何かその物事を見た時に、その行動に移りにくい。(つまりジャッジしないようにしようと思っていても、すんなりとジャッジしない状態になりにくいってこと)
それよりも、違う言葉で言い換えてみて、この前ふと思った言葉、
「左脳で考えるんじゃなくて、右脳で見てみたらどうかな?」
と思った時に、私はすんなりと、そのままを見つめることができた。(文はちょっと長いけど)
いつもだったら出てくるような、世の中の価値基準の物差しや、自分の中にある偏った心のメガネなどが、一瞬で消えてしまったのだ。(イメージだけどね)
ただその物事をありのまま見つめる。
それがすっとできた。
なので今の私にとって、「左脳で考えるんじゃなくて、右脳で見てみたらどうかな?」という言葉は、瞬発的に体がそう動きやすいものらしい。
この言葉がずっと効くか、と言われたら、多分きっとそうじゃないと思う。
今この言葉がなぜ、自分にとって効くのかと言うと、それは多分、いろんな学びがある中で自分の中でそういった言葉や知識が積み上がっていって、そうイメージしやすいような状態になったということだと思う。
ついこのまえ、「右脳で見てみたらどうかな?」と思った時、(考えてみたら?じゃなくて、見てみたら?と言ってるのも実は何気にポイント)
あまりにもすんなりと、真っ白な状態で物事を見ることができたのが嬉しかったので、
あなたにも使えるかどうかわからないけど、何かのヒントになったら嬉しいなと思って、ちょこっと書きました。
言葉って本当に面白い。
何か抽象的なことを考えた時に、具体的な言葉にしていい場合と、
抽象的なままで置いといた方がイメージが広がる場合がある。
あとすごく思うのが、
自分の中でぼんやり考えていることを、無理やり何かの言葉で当てはめてしまうと、それ以上その自分の中の「ぼんやり」の考えの可能性が縮小しちゃって、広がらないというか、イメージが膨らまないというか、そういうことが起こってしまう。
言葉に当てはめてしまった時点で、そうでしか見えなくなってしまう。
それだと、ものすごくもったいない場合がある。(可能性という意味で)
抽象と具体はいい塩梅がいいみたいだ。
言葉は本当に面白い。
言葉にもたくさんの可能性がある。
言葉とうまく付き合っていきたいな。
今日も最後までお読みくださり、本当にありがとうございました!
この後のあなたの時間が、ニコニコと、ゆるゆると、わくわくと、ほくほくと…、
たくさんの素敵な時間となりますように!
コメント