今朝、小学生の長男が突然頭が痛いと言い出し、私の中では多分すぐにおさまるだろうと、『そうか、痛いんだね、ちょっとゆっくり休んどき』と軽めに声かけをしました。
すると、夫は私と違う反応で、『大丈夫か?ズキズキするのか?頭痛いのしんどいやろ?』とすごく心配して声かけをしていました。(もともと夫は頭痛持ちでひどい時は吐き気を伴うくらいのものもあったりします。)
声かけ一つ選ぶにしても、その人の価値観、今までの経験、環境によって、物事の捉え方が大きく変わるんだなと思いました。
そして、その声かけによっても、相手のコンディションって変わってくるなと思ったのです。
子供に対する声かけによってはその後の状態を左右する
昔から私は子供が道端でこけたときなど、過剰に心配したりせず、どちらかというと笑顔で『大丈夫!大丈夫!ほら、血も出てないし!よかったね!』というようにしていました。(もちろん、ちゃんとこける瞬間も確認してこれくらいなら大丈夫だと思ったときはです。)
すると、子供も、『あ、こけたけど、たいしたこたじゃないんだ、血も出てないし平気!』と解釈するようで、そんなに後で引きずることもなく、また遊び始めると言った感じで終わっていました。
そこで、もし、私が過剰に心配して、悲壮な顔をしながら、大丈夫?大丈夫?と心配しすぎると、ただこけてすり傷ができただけなのに、子供の中では『お母さんがすごく心配している、これは大変な事なんだ!』と理解してしまい、子供自身も毎回こけるたびに、大変だー!!と大騒ぎしてしまうことになると思います。
私の態度一つで、彼らの捉え方、その後のコンディションをすごく左右する物なんだと思うと、その声かけ一つも気をつけなければならないなぁとつくづく思います。
まさに今朝の出来事はそれと同じだと思います。
あまり今までになかった、新しい子供の頭痛という出来事。
こちらとしても、はじめてに近い対処で、後になって考えてみると正解の声かけはなんだったんだろうな?と思います。
結果的には、どれくらい痛いのか?勉強はできるのか?休んだら勉強が遅れるよなど、もし休んだら起こりうる問題を彼に提示し、それでも休みたいと一度は言ったので休ませるように連絡帳に書いたりと準備をしていたのですが、最終的にはやっぱり行けそうだからいくとなり、彼は学校に行きました。
最初の声かけが、もっと、軽い物で終わっていたならば、彼の中で『学校を休む』という選択はなかったのかもしれません。
子供は純粋であるが、悪知恵も働く
長男は結構頭の回転がいい方なので、母の私からしたら、たぶん今朝の出来事、夫からの過剰な心配により、『ん?頭が少し痛かっただけやのに、痛いと言ったら学校休んでも良さそうだぞ?!』と思ったんじゃないかなと思います。(汗)
学校が嫌いではないみたいですが、やはりまだまだ彼は一年生。幼稚園のようにずっと遊んでいたいのに、勉強しないといけないという事実にに挟まれ毎日きっと頑張っているんだと思います。
なので、休めるならラッキーと思うのもわからないでもないです(笑)。
ただ、少し頑張れば学校に行けるのに、つまり、しんどいふりをすれば休める!という事を彼の経験として記憶してしまうと、これから先も同じことがあった時に彼は悪知恵を働かせてしまう事があると思います。
それでは彼にとっても結果的には良くありません。
学校を休ませるか否か、それも価値観によって判断はそれぞれ
私は今までの人生で、学校という学校は全て皆勤賞でした。たまたま運がよく風邪をひいたりしなかったからというのもありますが、授業をうけるのがだるいから〜という理由でサボったこともなく、一応全てをこなしてここまで来ました。
もちろん自慢できるものでもないと思っていますが、やはり自分にとっては一度も休まなかったという事実は自分にとって少し自分を励ましてくれるものになります。
それもあって、私の価値観の中では、学校を休むというのはとてもハードルの高いものだと思います。
対して夫は、高校生くらいから、授業をサボったり休んだりのオンパレードの毎日だったので(今となっては良い経験だったと思うと言っていました。笑)学校を休むこと自体はそんなにハードルは高くなく、しんどいんだったら休みなという風に、『学校を休む』という事柄に対しては私とは違う考え方なんだなと思います。
これはどちらが正しいというわけでもないので、息子の親の私たちが意見をすり合わせて決めればいいんだと思っています。
結果的に休んだという経験で彼にとって良くも悪くも何かを感じとることになれば、それもまた結果的にはよかったことだと思えますし、休まなかったことの経験で感じたことも彼にとっては経験値という観点では良いことだと思います。
何事も最初から結果はわからないので、最終的には自分たちの価値観のもと、判断を下すしかありません。
達成してからじゃなければ見えない景色もある
ただ、皆勤賞を経験した私にとっては、やはり、達成してからじゃなければ見えない景色というものがあると思います。
実際、美容専門学校では皆勤賞でシザーケースを貰いました。
その時、何か貰えるから頑張ったわけではなかったのですが、しんどくても、雨の日も、雪の日も、重たい鞄を自転車の前に乗せて片道40分かけて、一生懸命通って本当に良かったなという達成感は今でも私の自己肯定感に少なからず繋がっております。
息子はまだそのやり切った景色を、達成するまではわからない部分だと思いますので、モチベーションとしてもなかなか上がらないと思いますが、わからない分、モチベーションを手助けするのは親の声かけなのかなと思います。
なので、彼の様子を見ながら、学校へ行くことに関して、今日のように少し頑張ったら行けるという事であれば、彼の気持ちに寄り添いながら、頑張れるように声かけし、サポートしていこうと思いました。
自分の価値観を決めてる背景
それはやはり、今までの経験や知識、親や周りの人たちからの教えなどで作られていなと感じます。
私の母は、私が小さい時からご飯を残そうとすると、『世の中の人たちは貧しくてご飯が食べれない人もいる。お腹いっぱい食べられると言うのはありがたいことだよ。』と口癖のように毎日言っていました。
他にも『生きてるって事はありがたい事なんだよ』、『人に迷惑をかける生き方はしてはいけないよ』など、たくさんの声かけを私にしてくれていました。
それは今思うと、母の価値観だったと思うのですが、それらの言葉•考えたちは、今の私と言う人間を作っている大切な一部になっています。
子供の頃から言われ続けることは、何度も何度も頭の中に刷り込まれていくので、きっと、潜在意識の中まで入り込んでいるんだろうなと思います。
そして、それは、私の生きてきた人生において、とても大切な価値観だなと自分自身もおもうので、だからこそ、今わたしは親として、私と夫の価値観を彼らに伝えていく事は役目だなと思って言い続けています。
子供と親の価値観、基準をまずは共有認識させることが大切
とにかく、生まれたての子供は真っ白な状態なので、乾いたスポンジのようになんでも吸収します。
価値観も同様です。
自分が経験してきた中で、やはりこれは役だったなとか、良かったなと思えることに繋がる価値観は親ならばどんどん教えていってあげたいなと思います。
何でも、基本を学ぶことから始まりますし、基本を学んで、自分で考え、磨き、そして、1人の人間として立派に成長して行ってもらえたらいいなぁと思います。(もちろん親の私も同様、今もこれからも成長し続けるよう頑張ります。笑)
価値観の押し付けはだめだと思うけど…
価値観や正義感の押し付けはダメだと思いますが、まだまだその基準が真っ白の子供にはある程度の決まりを親の立場として知ってもらうのはすごく必要なことだと思います。
何が正しくて、何が良くないことなのか、それは親が教えなければいけない事だと思っていますし、子供にも個人としての人格があるにしろ、生きていく上での最低限のマナー的なものはやはり知っておいてもらう必要があります。
ただ、そのマナー、基準も、やはり親の価値観が影響するので、あまり、細かいところまで言い過ぎるのも良くないんだろうなと思います。(ただ、私は結構周りに迷惑をかけないようにと思っているのでついつい色んなことを彼らに言ってしまうのですが(汗))
私もまだまだ人生において修行の身です。精進していかなければと思います。
いつか子供たちが大人になって1人の人間として社会へと羽ばたくその日まで
子供のうちは親の私たちができる事は、価値観、基準、ルールなどを教えて理解してもらい、彼らが成人になった時にはまた1人の人間として、その価値観をもとに新たに自分の考えを取り入れながら、また自分の価値観を育てていってもらえたらと思います。
私の中で子育てのゴールは今のところ、親がいなくても、何が起こっても自分自身で考え、時には人にも助けを求めたりしながら、最終的には自分で乗り越えていける人になってもらうことです。
そのために、生きていく上で必要な『価値観』をできる限り、彼らに教えていけたらいいなぁと思います。
余談ですが、息子たちが夜に楽器を弾いたりしていると、『夜に楽器ならしたりしたらヘビが出るよ!』とか、『悪いことしたら悪い事が返ってくるよ!』とか、口走ってる自分に、私の母の価値観、考えが私自身に染み付いてるな〜と思います。(笑)
『悪いことしたら、誰も見てなくても神様がみてるよ!』 という母の声かけも、息子たちじゃなく、今の自分自身にもよく言い聞かせてる言葉なので、本当に声かけって大切なんだな〜としみじみ感じる今日この頃でした。(笑)
私も誰にも後ろ指さされない生き方、悔いのない人生を送れるよう、精進していきます。
今日もありがとうございました。
コメント