「ただの通過点!」と思えるかどうかで、心は変わる!未来も変わる!?

生きるための引き出し
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子供との何気ないやり取りでの気づき。

今日の気づきは「その瞬間はただの通過点である」ということだ。

 

子供がわがままで困っている。

子供が癇癪を起している。

 

そんな時、その瞬間はとてつもなく困る。どうしよって思う。なんとかしないと!って思う。今すぐにこの状況変えないとッて思う。

ところがどっこい。

ノンノンノン。(なんやそれ) 

 

その瞬間もまた、ただの過程にすぎないのだ。

 

「いや、わかってるて!それは!でも、何とかしたいから何とかしてよ!」と思ったそこのあなた。

 

ちょっと待ってね。それを承知で、今回は、一つの考え方のお話をしようと思ってます。引き出しはたくさんあった方がいい。考え方の引き出し。一期一会の「考え方」との出会いで、人生が変わる人だっている。私もその中の一人。

私は人生が変わったというか、色んな考え方を知れば知るほど、生きやすくなっている感じ。沢山の人たちに助けられた。(本当に感謝してます) 

 

じゃあ早速、昨日の出来事を。

 

昨日小4の息子が「このドリルしたくない!わからへん!絶対にもうしーひん!!!!!」と、わめいていた。

私は数日前に、イラっとしてしまった事を反省していたので、今回は反省を活かし、この場合はどう対応したらいいかな?と瞬間的に、冷静に考えていた。

私がしたことは、「じゃあこうしてみたらどう?」という、色んな方法への提案だった。でも、昨日の息子はどうも調子が悪かったらしい。

いつもならしばらくして、そのどれかの選択肢をえらんで丸く収まっているのに、収まらない。

ずっと、ぎゃーぎゃー言ってる。それに付き合うのもいい加減、疲れてくる。どんなに穏やかに対応してもぎゃーぎゃーは収まらない。(あーしんど!どないせーちゅうねん!)私も正直、お疲れマックスだった。

 

だから、また考えた。

「そうか、今日はどうしてもそんな気分の日なんだろう。私もそういう日あるしな」

そう思って、とりあえず、やりたくないという気持ちにちゃんと共感して、そのあとはドリルの話題には触れずにいた。

「まぁいいや、このドリルしなくたって、死ぬわけちゃうし」

心の中はそんな感じ。

 

今までだったら、自称マジメwな私は、母としての責任感から(勝手な自分の中で作っている責任感ね)、「ちゃんとしなきゃ」と思っていた。だから、「なんとかせねば」が強かった。

 

でもこれも、話は逸れるけど、昨日ブログでも書いた、自分の中の「不安」が大きいんだよなーと思う。

自分では、子供のために何とかせねば!と思っていると思っているけど、(ややこしいな)

実は、自分が不安だから何とかしなきゃと思っていたりするのだ。(ほんまねー、それです。恥ずかしいけど、ほんまそれ)

子供が勉強しなくて、困るのは、子供じゃなくて自分。

もちろん、子供も困ることもあるだろうけど、自分が感じている不安の内訳で見ると、確実に自分が不安なんだなって思う。(あぁ恥ずかしい。でもほんまやからしょうがないか)

 

本当に子供を信じ切っていたら、は勉強していなくても、将来は絶対、子供が自分でなんとかするはず!と思える。

今この瞬間は不安でも、それさえも、丸ごと受け止めて、信じ切るという覚悟ができていたら、不安なんてものは感じないんだろうなと思う。 

なんなら、実際、本当に困ることが起きたとしても、「ほーら!言わんこっちゃない!」と反応するか、「オッケーオッケー!こうなることも想定内よ!絶対大丈夫やから!」と反応するかで、未来はめちゃくちゃ変わってくると思う

 

そして、その態度は、絶対に子供にも伝わっている。子供はかしこい。親の不安も心の奥で、しっかりと感じ取っているんだと思う。だからこそ、こちらが、本当に、心から子供を信頼して、ひたすら見守るというスタンスが大切なんだろうなと思う。 

 

心配するのは簡単だ。とっても簡単。「心配だーーー」って言ってるだけでいい。

信頼するのは大変だ。とっても大変。

一見、悪く見える結果になろうとも、それをも含めて、信じる事だから。子供の失敗も含めて、「全部大切なことだもんね」ってドシっと構えてるって、めちゃくちゃ辛抱が必要。だから、信頼する方が本当はとってもしんどい。

 

でも、自分は、まるで大きな樹のようにドシっと構えて、信頼している母でいたいなと思う。

(ただ、勉強しなかったらどんな事が起こる可能性があるかという話はしっかりと話して、子供にわかってもらったうえで子供が判断できるようにする必要はあるかなと私は思うので、そうしています)

 

脱線失礼しました。

 

そんな心の状態だった私。ドシっと、構えていたのが良かったのか。

とにかく落ち着いてきた息子。

あんなに全拒否、やる気ゼロだったのに、ちょっとだけ気分が変わったみたいだ。

しばらくして、「ママと一緒にやったらできるかも」といってくれた。

正直、私も朝の時間は忙しいけど、せっかくやる気になってくれたから、OKした。(ドリルは朝にやるきまりでやってます)

 

これも、また、冷静に考えて、「ずっと私が付きっ切りなわけではないんだ。今、彼の気持ちがそう欲しているだけで、心が満足したら、また自分でやるだろう」と思った。

そして今日の朝、彼のドリル時間を見守る。

すると、思っていた以上にはかどるはかどるw

「私いらんかったやん」って内心思ったw

 

昨日のわめきはなんやったんやねんって思うくらい、息子氏、上機嫌。

やっぱり、人間には、どうしてものリズムがあって、どうしようもならへん時ってあるんやなって思った。さらに、そのリズムに重なって日々色んな出来事があって、ストレスとかもたまるんやから、余計に気分の乱れはあるよなーって思った。しかも子供やしなおさら。

 

冷静になったら、こういったことまでしっかり考えれるけど、昨日のあのわめいてる瞬間はなかなかそうは考えられない。でも、そこで、「この瞬間もただの過程。絶対流れは変わる」って思い出せたら、少し余裕の心で対応できるなって改めて思った。

 

これは本当に、いろんな事に応用できる。

どんなことがあっても、「流れは必ず変わる」って思えたら、絶望の中にいても、ちょっと心が軽くなれる。ちょっと心が軽くなることで、希望が持てる。その希望が持てた状態は、自分の頭の中のイメージがネガティブだけじゃないから、ポジティブにもイメージが傾いて

結果、可能性がポジティブのほうへ傾きやすくなるという現象が起こる。(ちょっと量子力学的な考えで。イメージ、つまり意識もエネルギーとして発生しているので、必ず現象に影響はあると思ってます)

 

 

めっちゃ困ってる時ってなかなかそうは思えない。

私もそうだった時があるからすごくそう思う。

(調子いい時に調子いいこと言うのは超簡単。その時は楽勝!できるできる!って思う。でも肝心なのは、心がどん底の時に自分の心をそう持っていけるのかが重要なのだ。でも、本当に難しいですね。だって、人間ですから)

でも。

「これは良いことが起こる前兆や!」とまでポジティブに思えへんくても、「これはただの点であり過程なだけ。これがずっと続くわけじゃない。ただの通過点!」と思うくらいだったらハードルは下がる。

 

どんな時でも、一瞬はその時の感情に染まるけど、染まってもオッケーで、

「ただの通過点!」って思い出して肯定して受け入れたら流れは必ず変わってくる。

 

 

子供の気づきから、なんか人生の気づきにかわってしもーた(ゴメンナサイ)

 

 

でも、毎日、いろんな事が起こるけど、本当に、いろんな心の偏りが出るけど、

それさえも楽しんでいけたらいいなって思うのです。(人生、偏りを楽しんでなんぼです)

 

みんながそれぞれ笑顔であふれている世界。すこしでも、そんな笑顔の時間が長くなればいいなと思いつつ、今日も、楽しんでいきましょう~!

良い時間をお過ごしくださいませ。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

(ほんまにいつも下手くそな文章にお付き合いいただいて感謝しかありません~)

 

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