(今日は死生観のような内容なので気が重く感じる人はスル―して下さい)
毎日いろんな事がある。
どの出来事に「どう反応する」のかは人それぞれだ。
同じ事でも反応しない人もいるし、反応したとしても「ポジティブ」なのか「ネガティブ」なのか、それも違う。
昨日、元職場の先輩から連絡があった。
「先生(元職場のオーナー)がもう、もって後3週間くらいです」
先生が病気を患っているのは知っていた。だから会いにもいっていた。みんな心の準備はしていた。
こういった出来事があるとき、嫌でも「死」というものに向きあうんだよなと思う。
頭の中をいろんな思いが駆け巡る。
どこかで動揺している自分,死を恐れている自分がいるのかもしれない。心が落ち着かない。そんな自分が安心できるような、納得できるような「話」を欲しているのかな。

「人は死なない」の著者・矢作直樹先生が言っていた。「死は何もこわくないですよ」と。
あと、亡くなった人はもう「あの世(と言われているところ)」でとても幸せでいるのに、この世の人間(身内とか)があまりにも悲しんでるとこの世に引っ張られてしまう、みたいなこともをおっしゃっていた。
だからこちらができる事は「感謝」しかないんだなって、それを聞いた時に自分がおもっていた事を思い出した。
スピリチュアルな話になるけど、人は肉体を離れていわゆる魂になると、ものすごく「穏やかで温かくて気持ちいい」感じになるらしい。
幽体離脱した人がそういっていた。魂だけだと、思った瞬間その場所に行けたり、なんでも自由らしい。肉体に魂が入っていた頃に感じていた「欲望」みたいなものも執着はなくなるし、その状態でとても満たされていて幸せという事だ。
私はイメージでしか考えられないけど、魂が肉体に入った瞬間に重力を感じ、自由が利かなくなるというのは、わかるようなわからないような、でも、なんとなくわかるような気がしている。そして、そういった視点から考えると、「死」というのはこわいものではないのかもしれないな、、、と思う自分も少しいる。
制限がない状態と制限がある状態。
制限があるからこそ感じれる幸せもある。
肉体をもっていなくても幸せなんだろうけど、肉体があって幸せなことも沢山ある。
生きている状態の私が考える「死」に関することが、すべて正解ではない。そもそも「死」はこわいものではないのかもしれない、と考える事もできる。(いや、でも、やっぱり 経験したことがないことはこわいけど…)
ただ、自分がそう感じているからと言って、それを相手に当てはめてはいけない。
矢作直樹先生がもう一つ言っていたけど、死期が近づいている人ってこの世とあの世の境界線みたいなものが緩まるらしい。だから、普段私たちがみえないようなものまで見えるようになったりする。「お迎え現象」みたいなことも起こるらしい。
そうやって、本人自身も少しづつ「準備」をしているんだな。
「死生観」はとてもセンシティブな事だし、いろんな考え方がある。どれが正しいはないし、自分が「どう思いたいか」というのが大事だと思っている。

どんなに沢山の物をもっていても、死ぬときにはなにも持っていけない。
思い出は持っていけると思って、良い思い出を沢山つくろう!と思ってきたけど、本当に肉体から魂が離れてしまったら、思い出さえもリセットされるんだろうな。あの世には「思い出」は持っていけないもんね。(これも私の想像です)
でも、この世を去る瞬間の「心の状態」はとても大事な気がする。
すごく悔やみながら人生を終えると、その「念」みたいなものだけが残って、次の人生に影響をするみたいな事例を聞いた事がある。(輪廻転生があると仮定して)
具体的に何がどうという後悔の念とかではなくて、ただ後悔しているというような「念」が魂に刻まれてしまう。それはよくないんだな、とその事例を聞いた時に思った。
だから、自分がどんな状態でいるのか、心の状態がどう「在る」のか。それが大事だから、どんなことでも自分が悔いのないように生きたいなと思う。
余命宣告を受けた先生はどんな気持ちだろう、って考える事自体が違うんだろうな。
相手の気持ちに寄り添う事は大事だけど、時と場合による。
そんな軽々しく、寄り添えないことだってある。その人にしかわからないことがある。
込みあがってくる思いとか、考えとか、いろいろあるけど、それはそれで自分と向き合って自分を納得させていくだけだ。
今まで本当に先生とはいろんな事があった。いろんな事は良いことばかりではない。ここでは書けないような、私にとっては心の傷になってしまったようなこともあった。
でも。もうそんなことはどうでもいいや。
どんな生き方をしても、世間でいう成功者になったとしても、とにかく、どうなっても、終わりは必ず来る。当たり前の事実に「なんとも言えない気持ち」になる。人間の一生はあっという間だ。
これも、人間を特別だと思う自分がどこかにいるから「死」を特別なものとして考えてしまっているところがあるな。
人間だけが特別じゃない。生き物はみんな生まれて死ぬ。ただそれだけなんだよな。
その「事実」に対して、ただ「意味づけ」しているだけだ。
花が咲いて枯れるように。
海の波が絶え間なく打ち寄せるように。
自然のリズムの一部が人間だ。そう、一部なんだ。特別なのではない。
人それぞれ、役割をもって生まれてきている。お役目を全うして、また自然にかえる。
ただそれだけ。
そこに残された者の感情とかがくっついてくるんだけど、本当はただそれだけなんだ。
いろんな事を書いてるけど、今こうして書きながら、自分のなかに込みあがってくるいろんな感情を落ち着かせたいだけなんだと思います。
でも、それでいいと思っている。
込みあがってくる感情に蓋をしてはいけないから。
自分にも色んな事が起こるだろうけど、すべての出来事は完璧なタイミングで起こっていると思うし、それを信じて、どんなことでも受け入れて、自分の役割を全うしていきたいな、と思います。(戸惑ったり反発したくなる時もあるかもだけど、最後はそう在りたいなと思いマス)
なんであの人が、なんでこの人が。そう思う事もあるけど、それもその人の人生だったんだ。私の基準に当てはめて、なんでとか、どうしてとか、思うのは控えよう。
人生って、自分でシナリオを決めて生まれてくる説もあるし、それが本当だったら、どんな結果になろうとも、それはその人が決めた大切な素晴らしい人生なんだ。
これからも、大事な人との別れは沢山ある。
自分が落ち込んだり、悲しむのは自由だけど、でも、その前に「良く生き切ったね、素晴らしい人生だったね」と言える自分で在りたいな。
実際にその時が来たら、そんなふうに冷静ではいられないんだろうけど。でも、そう在りたいと思う。
いかんいかん、暗くなってしまった。(すいません)
穏やかに終わりたいので、最後にもう一つ。
こんなに沢山の人がいる中で、誰かと出会えるという事は奇跡。
その人の最後に立ち会えるという事も奇跡。
出会えたことで、喜びも、悲しみも、怒りも、楽しみも、色んな事を学ばせてもらえたことは事実。
自分に学びを与えるために出会ってくれたんだと思うと、
魂のときに、人生の計画で私と出会う設定を組み込んでくれたんだと思うと、
例え、自分にとって苦手な人・嫌いな人だったとしても、私のためにわざとその「役柄」をかってくれたんだと思うと、
感謝しかない!!!!
今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~



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