悩み事はやってくるのではなく「自分で作っている」場合もある

アドラー心理学
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今日は当たり前だけど、改めてそう思ったという気づきです。

 

みんな大なり小なりいろんな事で悩んでいる。

 

そのなかでも、悩み事を種類分けしてみると、自分で作っちゃっているなという悩みも結構あることに気づく。

今回はそんな「自分で作っちゃった小さな悩み」であれば、そこに気づいた時点で悩みはなくなるよな~っと思ったお話だ。

 

いや、ほんま。めっちゃしょうもないことやけど。

小さな悩みって自分でつくっている。結構な確率で。

勝手に「心配」して、勝手に「不安」になって。よくよく考えたら、それ、自分で勝手に考えて不安になってますやんってこの前気づいた。

 

ふと、そう思った瞬間、悩み事がかなり縮小していっていつの間にか消えていた。

 

 

そう。悩み事は自分で作っている。

 

アドラー心理学の視点でいうと、悩み事は「本人がただ悩みたいだけ」と言われてたりもする。人間はメリットのあること以外はしないからだ。だから、悩む事でなにかしらのメリットがあると考えて、そこを深堀りすることで本質的なところに気づける。

まぁ本人からしたら「悩みたくて悩んでるんじゃない!」と反論されそうだけど。

 

これもまた一つの考え方だ。

 

 

悩んでいるとその間は何もしなくていいことになる。

そんな考え方もできる。答えを出さない方が今のままでいられるから。行動しなくて済むから。みんなコンフォートゾーンから出たくない。だから「悩むこと」で今の居場所に居続ける。

 

 

そして、行動している時は逆に悩むことができない。

行動しているから。悩む時間がない。時間があるから悩むと言い換える事もできる。

 

 

いろんな考え方ができる。

 

まぁ私がこの前気づくきっかけになったことは、ほんまにしょうもなさすぎることやけどw

 

でもほんま。自分で「悩み事」認定してるだけで、そもそも悩まんでいいこともある。

 

悩み事も、良く考えたら、誰かと比べてしまっている時とかにでてくる感情だったりする。

そもそも、比べる必要はないはずだ。誰かと自分を比べた時点でそれはもう自分の世界ではなく相手の世界にはいってしまっている。優劣ではないのに。

他人の世界観の中で一番になったとしても、そこでのルールが変わるとまた頑張らないといけなくなる。他人の幸せの基準に合わせるといつまでたっても自分は幸せになれない。いつも何かに追われ、いつも何かに見張られている。そんな気持ちで幸せにはなれない。

 

本当は自分の中にしか答えはないのに。

 

 

なんでも覚悟を決めて、決め切って、後は淡々と生きるだけでいいんだよなー。

 

悩み事を感じたら「じゃあ自分はどうしたい?どう在りたい?」と考えて、その答えに沿った行動を淡々とやっていけばいいんだ。

 

私の好きな本「さとりをひらいた犬」(刀根健著)でも似たような言葉がでてくる。

 

 

「恐怖は幻想である」

目の前には危険しかない。恐怖などないのだ。

 

うんうん、本当にそうだな。危険はその場でその瞬間で対処すればいい。危険を恐れて未来の事を不安視するけど、それは自分が作り出した幻想でしかないんだ。

 

 

悩みごとも同じだ。

自分で作り出した幻想。そうとわかれば、自分でまた消してしまえばいい。 

 

もちろん、そうとは言えど、状況によってはそううまくいかないこともある。でも、うまくいく時もあるはず。

 

 

「恐怖は幻想」という言葉を自分の中に留めておくだけでも違うはずだ。

その言葉に救われることもある。

 

 

ということで、そんな大事な言葉を思い出すために、そんな小さな出来事があったのかなと、そんなふうに解釈することにします。 

 

 

今日は短かくまとめる事ができた。(いや、まとまってはいないかw)

 

 

最後にプチ話。

最近、ある人の事を考えていて「なんであの人はああいう感じなんだろう?」と思っていたんだけど、そして、「ああいう人だからこうなるよなー」なんて思っていたんだけど、気づいた。

違うなって。

 

相手がどうであれ、自分がどう在りたいか?を忘れていたなって。そこに合わせてしまう事で、合わせている自分が嫌だなと感じていた。それを相手のせいにしてる自分がいた。でも、違う。

相手のせいではない。

  

それは自分のせいだ。相手がどうであろうと関係ない。どう在りたいか?を貫けなかった私の問題だ。

 

相手を変えようとするのではない。自分がどう在りたいか。自分が変わるというよりも、どう在りたいかを貫くといったニュアンスが今の私が言いたいことに近い。

 

 

相手のせいにしている時点でさっき言っていた「他人の世界」で生きていることになっている。他人軸で生きているという事だ。相手基準で生きてしまっている。

相手は相手の世界があっていい。そして、私は私の世界があっていいんだ。

お互いの世界観を尊重しつつ、交わる部分、重なる部分を見つけて大切にしていけばいい。

 

 

そんな気づきをありがとうございます、だ。 

 

「すべては自己責任」

これは一見、厳しい言葉に聞こえるかもしれないけど、見方を変えると「希望」がある言葉だ。

だって、自分次第ってことなんだから。自分次第でなんとでもなる。

これをなんでも「人のせい」にしてしまっていたら、相手にその主導権を握られてしまっていることと同じで、自分に自由がない。

 

 

なんでも、自分次第。みんなその「力」がある。

(出来事にはすべて意味があると思っているし、その出来事も自分が引き寄せていると思うと、これもまた自己責任につながってくるなーっておもいマス)

 

そう考える事も、また一つだ。

 

 

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~

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