世界は自分が作っている。「嫌な感じ」は自分が作っていた!と向き合う!

生きるための引き出し
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「世界は自分が作っている」

わかるようなわからんような。

この言葉はどういう風にでも解釈できる。

 

今回、私の思った解釈は、

「人間は自分専用のメガネをけて世界を見ている」という事だ。

「メガネ」は「自分専用の物差し」と言い換えることもできるし、

「自分のフィルター」と言い換えることもできる。

このメガネをかけているおかげで、みんなが同じ出来事を体験したとしても、みんなそれぞれ出来事への捉え方、感じ方は全く違うのだ。

 

先日、私の身におこったこと。

恥ずかしけどしばしお付き合いください。(笑)(相変わらず内容はしょうもなーです)

 

先日、私は、とある事を知って「これは友人にとって、とても役に立つかも」と思い、すぐさま友人に伝えた。

とてもワクワクしていた。友人の反応が楽しみだった。喜ぶ顔まではっきりイメージできた。私と同じテンションで喜ぶに違いないとおもっていた。

でも。

返ってきた答えは想像と全く違うものだった。

(反応が「喜び」ではなく「興味なし」みたいな感じだったとイメージしてください)

 

正直ショックだった。ものすごく心がざわざわした。

ざわざわをなんとかせねばと、すぐに頭で冷静に考えてたら、こんな答えが自分の頭から返ってきた。

「いやいや、自分で勝手に想像してただけやん」

「友人にだって好みはある。私と全く同じわけではない」

「それは私の押し付けやん。反省しなければ」

 

しばらく自分と会話し、頭の中では気持ちが整理できた。頭は納得していた。

 

でも。

 

心がまだ納得していなかった。

 

ここで、無理やりポジティブ!とか、前向き!とかにしても、逆効果だ。

ずっとザワザワが私を追っかけてくる事になる。

もしくは、今は無理やり気持ちを押し込めても、また違う形でこのざわざわと出会わなければいけなくなる。

「手放し」たり、「卒業」しなければ、それは、またやってくるのだ。

 

そこにはまだ、私の出し切れていなかった気持ちが残っていた。だから全部吐き出す。残らず吐き出す。

感情に良い悪いもない。全部を出し切り、眺めて、抱きしめてあげるんだ。

心の中のそのまだずっと奥に小さな扉があって、開けてみると、そこには小さな小さな私がいる。

(イメージね)

その子の隣に座って、お話を聞く。

「君はなぜそんなに悲しそうなの?」(大人の私)

 

「喜んでほしかった。一緒にすごいね!最高だね!って喜び合いたかった」

「だって、知ってるから。ずっと夢があったの知っているから。その夢が叶うお手伝いができるとおもったのに」

「そうか、そうか。そうだよね。喜んで欲しかったよね。わかるよ、わかる

 

こうして小さな私の気持ちを受け止める。どんな気持ちも受け入れる。

これは心理学でもよく使われる手法でインナーチャイルドと向き合っていく方法だ。

でも、ここで終わらない。

もっと、もっと奥に進んでいく。

まだ見えていない気持ちが隠れているのだ。さっきのだと、なんというか、きれいにまとめた文章というか、うまく終わらせるために出てきた感がある。(自分の感覚で)

一見恥ずかしいような、情けないような、そんな風に思える気持ちが残っている事は結構ある。

自分に正直に。

恥ずかしくなんてない。

そこまでいかないと、きっと私はまた同じところでつまずく。

裏と表があるように、光と闇があるように、どちらか片方だけを見るというのは、バランスが悪いのだ。

もちろんつまずいてもいい。何回でも。でも、今の私はもう、卒業したい。だからとことん行く。

 

「あとは何か思うことある?」

 

「………。私だったら、そんな反応しない。だって私がそういう言い方したら傷つくかもしれないって思うから。たとえ興味がなくても、一度はちゃんと受け入れる。最初から否定はしない」

「相手を大事に思っているからこそ、どんな意見も一旦は喜んで受け入れてほしかった」

「自分が否定されたみたい」

「悲しい!寂しい!」

 

 

出てくる出てくる。いろんな気持ち。そして気づいた。

ここまで出して、眺めてみて、気づいた。

裏と表。光と闇。全部が見えるところから見てみると、また違う気持ちが湧いている。

今までとはまた違う、納得感があるうえでの気持ち。

 

そうか。これは私のエゴの押し付けやったな。相手との心の距離が近ければ近いほど、相手の事をわかっているつもりになる。「この人はこういう人」という、自分の中でのその人のイメージ像が強化される。そして、それは自分にとって納得のいくもので、自分にとって都合の良いものだ。

だからこそ少しでも「違う何か」を見つけると「思ってたのと違う、裏切られた」となってしまいがち。これは本当に相手からするといい迷惑である。(友人、ほんまごめん。でも喧嘩とか関係が悪くなったわけではなく、私の脳内で勝手に色々ややこしくなってただけです)

そしてもう一つ。

今回のことで改めて思ったこと。

例え意見を否定されたとしても、私の人格を否定されているわけではないのだ。

でも何故か私はそう感じてしまった。(ここに私の心の掘り下げポイントが隠れている。気づいていない価値観、思い込みに気づくチャンス)

「私の意見」「私の人格」はイコールではない。

 

全くの別カテゴリ。別ジャンル。

 

でもほんまに、反応が返ってきた瞬間はそう感じてしまったんだよなーーーー。

ここまで冷静に丁寧に考える事ができたらいいけど、その瞬間はそんな時間はない。出来事に心が瞬間的に反応する。

だから、その瞬間、ズバッと、

「否定された!」という感覚だけが自分に来たんだ。

 

これって、つまり、冒頭でも言った、

「自分のかけているメガネ」のせいなのだ。

 

自分で作ったメガネで、自分を苦しめていたことになる。

めちゃくちゃハズイやん。わたし。

一人でへこんで、一人でざわついて。あー、恥ずかし。

 

まぁ人間だから、こんなもんだ。だって、人間はリズムがあるから。

前にも言ったけど、月の満ち欠け、潮の満ち引き、生理のリズム、自然界にはいろんなリズム、波があるのだ。

ずっと絶好調の人なんていない。

ずっと絶不調の人もいない。

 

いつもは大丈夫でも、過剰に反応したり、マイナスに考えてしまうことはある。

自然のリズムに身を委ねていたら、そうなることは自然なのだ。

 

ただ、「自分のかけているメガネ」に関しては、

リズムに関係なく「メンテナンス」する必要がある。

 

しらない間に自分でいらないメガネをかけ、レンズを分厚くしてしまって、絶対にその景色しか見れなくなってしまっていることがあるのだ。

 

今回のことでいうと、

私は「こうするべき」というメガネをかなり分厚くしてしまっていたようだ。

そして「自己否定」メガネも知らずにかけてしまっていた事に気づいた。

前回のブログでも、自分の中に「そう思っている部分があるからそう思えてくる」みたいな事を言ってたけど、まさにそれ。今回も同じとこでつまづいたんやな。

成長してないな、私。(いや、伸びしろいっぱいって思う事にしよ)

 

人間は本当に弱い。そして強い。そして変化する生き物。変化し続けていく生き物だ。

今私がこうして思っていても、きっと、数年後には違う事を思っているかもしれない。

 

だって、変化する生き物だから。

私も、友人も、あなたも。ずっと、全く一緒ってのはない。

 

「あんな人だとは思わなかった」というのは、自分のエゴだ。

これからもそう思う瞬間はきっと色んな所にある。

エゴは知らず知らずのうちに拡大していく。

自分でも気づかないから要注意だ。

エゴの世界にいると、視野が狭くなる。融通が利かなくなる。

エゴがダメなわけではない。使いかたが大事。

エゴがあるから、突き進む事ができる。エネルギーになる。

エゴのエネルギーを誰かの役に立たせるように使いたい。 

 

エゴについては前にも書いたけど、私はエゴを完全に手放してもいいし、手放さず持っていてもいいと思う。どっちでもいいと思っている。(今この瞬間ではそう思う)

ただそのエゴに「執着」してしまうと、また自分で自分の首を絞める事になる。

 

エゴがないという事は、どっちでもいいということ。偏りがないこと。つまり0(レイ)の点にいるということ。めっちゃ視座を上げたら、つまり、「愛」ってことだ。

すこしでも偏り始めると、そこからエゴは発生していく。

自分の偏りを楽しむまではいい。そして相手の偏りも楽しめたらもっといい。

その偏りの「点」に執着するとしんどくなるだけだ。そうなると、相手の偏りも認める事ができない。やっぱりそれは息苦しい。

「どう楽しむか?」「エネルギーをどう活かしたいか?」決めるのは自分。それは自由に決める事ができる。

 

執着せず、生きていきたい。変化を恐れずに生きていきたい。変化は怖くない。

変化し続ける人でありたい。そして、相手の変化も受け入れる人でありたい。

 

どう在りたいのか。

大事なのは常にそこだ。

 

 

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神様のいる世界を生きている人

私のお客さまで、素敵な方がいる。(みんな素敵です) 

その方は「かけているメガネ」が本当に綺麗なんだと思う。

一切曇っていない。軽くてつけ心地最高で、色はきっと虹色だ。(と思う。私のイメージ)

 

その方から世間的にマイナスといわれるようなイメージの話題のことを聞いたことがなく、その方はいつも本当にニコニコ穏やかだ。

その方の娘さんからもその方のことは聞いていて、おうちでもそんな感じなんだそう。つまり、家の中でも家の外でも同じ。穏やかニコニコ、スマイル。

他の人だったら「嫌な出来事」と思えるようなことも、その方の目にはそう映らない。

だから、いつも、安定していて、穏やか。ジャッジのない毎日。すべてOK!そんな感じなんだろうなと思う。

 

そういう人がいると、私はいつも「私にも学べる部分はないか」と考え観察する。

その方とお話していて思った事は、その方の中にはいつも「心の中に神様がいる」という事だ。

「何があっても神様は見ていて、許して下さる。神様が全て受け止めてくださる」

そう思い、本当にそのメガネをかけて、一切疑うことなく、その世界で生きておられる。

 

シンプルに私は「すごいな」と思った。

私は無宗教だが、揺るぎなく信じる物があるという事は本当に「人を強くし、愛の人にしてくれる」んだなと思った。

 

宗教に入るとかそんなんじゃなくて、なんでもいい。何か「心から信じる物がある」という事が素晴らしい。

それで、疑いや憎しみ、怒りのない世界を生きれるんだから。素敵だなと思う。本当に。

 

ここで学んだ事は、信じる物があるという事の素晴らしさだけではない。

どんなメガネをかけているのか、自分でそこに気が付くことで、必要だと思えばメガネのメンテナンスをし、そうすれば本当に見える世界が変わってくるという事だ。

 

疑いのメガネをかけている人は、いろんな物に疑いの目を向けてしまう。そこには疑いベースの世界が広がっている。

こうあるべきメガネをかけている人は、いろんな物ごとに「こうあるべき」を当てはめる世界が広がっている。

白黒メガネをかけている人は、常に良いか悪いか、正しいか正しくないか、二つの極しかない世界が広がっている。 

 

いろんなレンズを何重にも重ねて生きている。

薄かったり分厚かったり。

本当は伊達メガネ、コナン君がかけているレンズなしメガネで見れたらいいのにな。

そのままを「ただ見るだけ」

「あぁ、在るな」って。

なにも、偏ることなく、「在るね~、在るんだね~」ってゆるーくみれたら、平和な気がする。

全てがある所は「何もない」から。良いも悪いもすべてを含んだ「何もない」があるだけだから。それが0(レイ)の場所。レイポイント。

全部をまるっと受け入れる場所。心はそう在りたい。

穏やかで、優しくて、愛のある世界。

ほんま、いつの間にかレンズを作って、かけてしまってるんだよなー。。。

 

なんか、今度、自分の持っているメガネをかける時、

「これは、愛しか見えないメガネ」と宣言してかけてみよう。

うん。そうしよう。

 

 

愛のメガネをかけていたら、愛ありきですべてが見えてくる。愛の世界が広がる。

成長メガネをかけていたら、すべての出来事に意味があるように見える。成長の世界が広がる。

みんな一つメガネをかけていたら、どこかで必ずみんな一つにつながっているように見える。感じれる。そんな繋がりの世界が広がる。

 

どんなメガネをかけるのかは自由だ。

今からでもかけ直すことができる。

今日の気分で、どんなメガネをかけたいか?

自分はどう在りたいのか?

「あなたは今日、どんなメガネをかけますか?」

 

 

私はまだまだメガネのメンテナンスが必要。

色んなメガネに気づかせてくれる、出来事、感情に感謝。

世界は素晴らしい。あなたも私も素晴らしい。

 

 

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

我が長男のメガネはいつも手垢で曇っていますが、それを通して世界を見ていても、楽しそうな長男は最強なのかもしれない。(いや、違うか!掃除してくれ長男!) 

この後も素敵な時間をお過ごし下さい!

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