今日は「手放し感情と矛盾と人間だもの」というお話。
また私の頭のなかに浮かんでいることにお付き合いいだけることが嬉しいです。(本当に感謝です)
みなさん、こういう話好きですか?(どんな話や)
なんか、こう、答えのあるようなないような、複雑だけどシンプルな、そんな話。
カッコよくいうと「哲学する」みたいな。
でも私は賢くはないのでそんな「哲学する」ことができてるかはわからないけど。(でも哲学は好きだ)
こういう話って、思い切りできる場所って少ない。
だって、そもそも考えなくても生きてるいけるし、はっきり言って考えるのは疲れるし。
だから友達とかに言っても「そんな難しいこと考えんでも〜」って言われる(笑)
そう、考えなくても生きていけるからなぁ。
でも、私は考えずにはいられない。勝手に思考が始まる。
それを止めるのは不可避だ。
何かで読んだけど、やめようと思ってもやってしまうこと。考えてしまうこと。それがあなたの本質っていうのがあった。
そうだとしたら、私は「思考すること(哲学すること)🟰生きること」なんだ。
あぁ、こんなこと言ってたら無駄に長くなってしまう(ごめんなさい)
でも、こういう話が好きな人たちと思い切り話をしてみたいなぁ。人の思想に触れるのは楽しい。本当に楽しい。
でも人見知りやからそんな場があったとしても行く勇気はないんだけども。
だから今日も私はひっそりとここで「哲学したい」と思います(カッコつけたよ)
それ本当に手放したいの?

「〇〇を手放して心も体も軽やかに」
〇〇にはいろんな言葉が入る。
「思考」「思い込み」「価値観」「執着」「べき思考」みたいな形のないもの。
「お金への執着」みたいな使い方をすると物質的な意味もはいる。
最初、生まれた時は何ももたずに生まれてきたのに、今はたくさんの荷物を抱えてこんですっかり重たくなってしまった。(本当の荷物じゃなくて価値観とかの考え方とかっていう意味です)
いらない思い込みが多すぎる。自分でもわかっている。
だけど「手放す」って本当に難しい。
それはもう、意識できる部分ではなく、無意識の部分、そう、潜在意識に染み込んでしまっている。
ここ最近私が言っている「潜在意識の初期設定」だ。
昔から刷り込まれてきた思い込みは根深い。
意識下では「余計なもの」とわかっているのに、「手放した方がいい」とわかっているのに、なかなかできない。
「無意識さん」は手強い。
意識してる時、わたしが相手をしているのは「意識さん」なんだもん。
自分のあかんところをたくさん認めて、受け入れて、まるっと包み込んで、「そうだね、そうだよね、これからはこうしよう!」と腹落ちしても、たまに振り出しに戻ることがある。
「あぁ、あの時は腹落ちしたつもりになってたんだな」ってがっかりする。ちょっぴり。
でも、それが人間なんだ。
「潜在意識の書き換え」は私にとって時間がかかるものなのかもしれないな。
だって自分でもわかってないところもあるから。
だから他人を見た時の自分の心と体の反応で「こんな思い込みがあったのか」と気づけることが本当に多い。
私以外の周りの人、もの、すべてが「私自身」なんだ。
矛盾してる自分も受け入れる

矛盾してることって違和感を感じるよね。
「あの人、言ってることとやってること違うやん」
そんな場面はよくあるし、自分だってしてるかもしれない。(反省だ)
気付かぬところでも矛盾はたくさんある。
私の例え話。聞いてくれますか?(笑)
でも、今から話すことは「悪口」とかではないし(いや、悪口になるのかな。まぁでも私は悪口と思ってないということで…)
決して文句を言いまくりたいわけではない。
どんな感情も「ジャッジせずに受け止める」という意味で、出てきた感情をただそのまま書いてるだけなんだと、サラリと目を通してもらえたら嬉しいのです。(ネガティブな感情だからと蓋をする方がよくないから)
こんな自分が嫌な時もあるんだけども、それも自分ですから。
聖人君主のようにはなれませぬ。
ブログでは何度も書いてるけど、私の父は昔ギャンブル依存症で借金は作るし嘘はつくし、父と母の喧嘩も絶えないし家庭環境は本当に大変だった。
でも、去年、突然くも膜下出血で倒れて死にかけた経験からなのか、父はかわった。
ギャンブルもお酒もタバコもやめて、嘘もつかないし、まるで純粋で汚れの知らない少年のようになった。
そして、本当にびっくりするけど、父は自分がしてきた「悪事」をあまり覚えていないらしい。
まぁ、もともと加害者はしたことを忘れて被害者はずっと覚えてるっていわれることが多いし、今回もまさにそれに当てはまる感じだ。
病気が父にとっての都合の悪い記憶は消したんだろうな。
父は別人になって「いい人」になった。
私が子供の頃から望んでいた正直で真っ直ぐに向き合ってくれる「父親」になった。
本来ならばちゃんちゃん♪で終了だ。
いわゆるハッピーエンド。
私の過去の嫌な悲しい記憶は、自分の努力と共に書き換えられて、感謝できるようにもなった。
これは事実だ。
実際に本当に感謝している。
そういう自分がいることは「確か」だ。
だけど。
やっぱりまだ自分の中に残っている「何か」がある。
意識下では「許したい」という気持ち、父を許し笑顔で迎え入れている自分がいる。
でも、それと同時にもう1人の私が納得をしていない。
それはなぜ?
なぜなのか??
「こんなに簡単に過去の嫌な出来事を良い思い出として上書きしてしまうなんて嫌だ。あんなに苦しかった。あんなに悲しかった。助けて欲しい時に助けてくれなかった。居場所がなかった。辛かった。つらかった。」
しんどくても頑張るしかなかったあの時の自分が、一瞬にして消えてしまうような気がして悔しい。
「なかったかのようされてしまう」のが嫌なんだ。
頑張った自分をもっともっと知って欲しい。その存在をちゃんと認めて欲しい。
父からは軽い感じで「本当にごめんね」と言われただけだった。
とっても軽い感じで。
それも仕方ないのはわかっている。だって父の記憶にはそんな酷いことをしたという記憶がないんだから。
その当時の私の苦労は私にしかわからない。
それはわかっている。
頭ではちゃんとわかっているんだ。
だから、今の父にどうのこうの言うつもりは全くない。
今の父は昔と違う。だから、言ったとしても伝わらない。だから言わない。
ぜんぶ、頭では理解している。ちゃんと。
でも、納得していないもう1人の自分がいるのは事実。
意識では父を許し、無意識では父に怒っている。
「なんであなただけ、何事もなかったのように笑っているの?幸せそうなの?」って。
あぁ、矛盾しまくっている。
それもしょうがないことだ。
まだ私の中にある嫌な思い出、そこからきている思い込みなど、全てのことを上書きするには「時間」がかかる。
「また裏切られるかもしれない」
「私が頑張らないといけない」
「私が我慢すればいいんだ」
こんなふうに潜在意識では恐れている自分がいる。まだ残っている。
でも、大丈夫。
焦ってもしょうがないんだから。
「今私はこんな気持ちがあるんだな」と見つめる。
ただそれだけ。
たまに湧き上がる感情をただ受け止める。
無理やり変えなくたっていいんだ。
そう思うことにしている。
今までワークをして過去の嫌な出来事に対する意味づけを上書きすることはやってきた。
「あの経験のおかげで私はこうなれた」
その時は本気でそう思い、感謝した。
だけど、たまに振り出しに戻るのだ。
それは、しょうがない。
潜在意識の自分がまだ納得していないから。
全てのことには意味がある。
スパッと手放せない自分。執着している自分。これもまた大事な学びなんだろう。
物事には順番がある。
焦らず全てを受け止めていけば、知らないうちに潜在意識の上書きは終わっているはずだ。
感謝している自分に、怒っている自分。
矛盾だらけでいいやん。
だからこそ、どっちもの気持ちに寄り添うことができるんだから。
白でもなく黒でもなくグレー。
そのグレーはただのグレーじゃない。
白も知ってるし、黒も知ってる。その上でのグレーなんだから。
人間だもの。機械じゃないんだ。
完璧じゃなくていい。矛盾を許せるのは人間しかいない。
うらおもて両方があって自分になるんだから。
うらの自分もちゃんと存在を認めていたら、納得していなかった自分も心から笑ってくれるはずだ。
不器用でいい。
不完全でいい。
完璧じゃないからこそ人間は尊い。
最後までお読みくださり本当にありがとうございました。
本当に今の現状に文句が言いたいわけではありません(笑)
納得してない自分がいることは確かだけど、ただ、そんな自分がいると言う事実だけです。
そこにジャッジは必要ないから、そのまま静かに認めて受け入れて、ぼーっとしてようと思います(笑)
みんないろんな過去があると思いますが、矛盾してる自分が見つかったら、そんな自分に「ヨシヨシ」してあげてください。
自分で自分の頭をヨシヨシするのもいいもんですヨ。
この後もどうか素敵な時間をお過ごしください。
ではまた〜



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