ミッドライフクライシス、どんな人も「仮面」をとれば中身は同じ人間

生きるための引き出し
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流れゆく雲を見つめながら、思う。

自然は偉大だな、と。

空の景色は本当に飽きない。

だって毎回違う顔をしてるから。

「ずっと同じ」なんてものはない。でもそれが素晴らしい。変わりゆくものだからこそすべてが尊い。

きっと、そう教えてくれているんだろう。

(あぁ、無常)

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イケオジがあってイケオバがないのはなんでや

 

それはそうと、先日、友人と話していて、変な話題で盛り上がった。

(友人)「なぜイケオジはいるのに、イケオバはないんや!女性は歳をとればとるだけ損やんか!」

確かに。それはそうだな、と思った。

イケオジという言葉があると、歳を重ねることも悪くないなと思える気がする。むしろ、歳を重ねて、イケてるおじさんを目指そうと、目標にもなる。

イケオバがないのは、まだまだ「女性」に対してのイメージ、女性としての価値みたいなものが「若さ」にあるからかもしれないなと思った。

 

でも。

おばさんはすごいんだぞ。

私は今、おばさんだからこそわかる。

おばさんの底力を。

 

というか、本当に、歳を重ねるって素敵だなと思う。

 

結婚して、家庭を持つと、「一人の女性」から、「妻」「母」としての役割が増える。

そしてそれらを、日々の生活の中で、一生懸命演じる。

演じながら、それぞれの役割に磨きをかけていく。

 

その中の役割を別の角度から見てみると、その中ので金銭が発生するのは「社会人として」動いている時だけだ。

後の役割は、「金銭」は発生しない。

でも、役割としてはずいぶんとたくさんの「仕事」をこなしている。しかも、それを本当に当たり前のように、淡々と。褒められるわけでもないし、なんなら、一生懸命作ったご飯、私の渾身の仕事にケチをつけられることもある。

(長男)「えーーーー、今日のご飯これだけ?唐揚げチンしてー!!」

 

そう。子供は特にお構いなしだ。

目の前にあるご馳走(私目線)をみて、まだ食べてもいないのに、追加でもう一品!と、注文をつけるなんて。

たまに、おかずを見て(長男が嫌いなもの)、「終わったーーーー!(この世の終わりという意)」といわれることもある。

しばいたろかと思う事もある。(しばかへんけど)

心の中で「なーーーーーにぃぃいーーーー?!(クール&ポコみたいに)と思う事はしょっちゅう。

色んな「注文」を受けながら、文句も言わずに日々一生懸命、役割をこなしているオバサン(私のこと)は、「イケオバ」なんじゃないだろうか。と、そんな事を考えた。

 

有名な女性のインフルエンサーさんが、そこそこの年齢になった時、「イケオバ宣言」してくれたら、もっと世の中のオバサンといわれる人たちへの見方は変わるんだろうね、早くそうなってほしいね、と、友人と話を締めくった。

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40代、50代、再び悩みが訪れるお年頃?

先日、元職場の先輩と話す機会があった。

その先輩は私の10歳年上の先輩で、アラフィフだ。

ずっと、第一線を走り続けている人なので、そういった「人生の方向性の悩み」はないんだろうなと思っていた。

でも実際はとても悩んでおられた。

そういえば、最近、芸能人の方でも、「ミッドライフクライシス」という現象で悩んでいる人がいる事を知った。

みんな40~50代というのは、結婚、仕事、子育て、と色んな経験を経て、少し落ち着いてきて、生活に少しの慣れというか、少しの余裕みたいな「心の隙間」ができるからこそ、

「このままでいいのか?」と悩むらしい。

 

先輩も本当に同じような事を言っておられた。

「私の人生このままでいいのか、悩むわ…」

 

芸能人も、先輩も、一見、はたから見れば「成功者」で、お金にも余裕がある。

それでも、やはり、違うところで何か「もやもや」してくるんだろうなと思った。

 

芸能人に至っては、地位や名誉、そしてお金、と、本当に全てが揃っているように思える。だけど「何か」が足りないと思うらしい。

私もアラフォーだが、そして私は別に、何も揃ってないが、それなりに悩む。(一応、人間ですから)

 

みんな、幸せになるための「その何か」を、「見つけた!」と思っては安心し、「ひょっとしたら違うのかも」と思って不安になり、、、

そういったサイクルを繰り返していくのだろうか。

 

でも、本当にみんなそういう風に悩むんだなということがわかって、ちょっとホッとする気持ちにもなった。

「肩書き」や「役割」、いろんな「仮面」を外してしまえば、みんな同じ「人間」なんだ。

スピリチュアル的に言うと、私たちの本体はみんな「意識」で、自分の「体」だと思いこんでいる「地球服(自分の体)」を着ているだけなんだ。だから、服を脱いでしまえば、みんな同じ。みんな同じ意識。そう、みんなつながっている、的な。(そういう考え方も楽しい)

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「エゴ」について思う事(しつこくまた書いちゃいますw)

最近、「エゴ」についてよくブログを書いているけど、本当にそれがよく頭に浮かぶから、何度も何度も同じこと言ってすいません(笑)

若い時は「自分」の中身が「空っぽ」だということに気づき、中身を埋めるために一生懸命学び、行動、経験してきた。

そして「自分=○○」が出来上がり、安心した。

(自分とはこういう性格で、これが得意で、これだったら誰にも負けないぜ!これが私!フル装備だぜ!と自信がもてるようになったみたいな)

 

でもこれは裏返して考えると、その「○○」がなくなってしまった時にとても危うくなってしまう。

だって、自分=○○だから。

それこそが「自分」だから。

装備がっちりで安心できればできるほど、それがなくなってしまう時にとてもダメージを受ける

だって自分じゃなくなってしまうから。

 

そういう思考回路になった時に、

「そうか、今までは私が私であるためにどうすればいいのか?」と考えてきたけれど、「これが私」が強固なほど、それが無くなった時に余計に困ってしまうんだと気づいた。

 

例えば「肩書き」が沢山あると、安心できそうだけど、安心できるのは肩書きが保障されていて、そこに価値があるとみなされている期間だけ。

そこに価値があるとされている期間は、実は時代背景や環境ですぐにでも無価値になることだってある、というような、実はとても危うい「肩書き」も含まれている。

肩書きを脱いでいって、一つも残らず脱いでいった時に、何も残ってない自分でも「大丈夫!」と思える状態こそが目指すべきゴールなのでは?と思ったりする。(空っぽ最高!みたいな。まさに無我!)

私が私である必要はないんだ。

何者かにならなければいけないと思っていたけれど、何者かになる必要はないんだ。

そうならなくたって、大丈夫なんだから、と思えるようになった。

(そもそも、なぜ何者かを目指さなければいけなくなったのか。誰かが作った社会のシステム、競争社会…、そういった視点も持つと、自分の大切だと思ってきたものが、案外そうじゃないのかも、と気づけるのかもしれない)

 

 

「何かがないとダメな自分」だと、一生その何かを守り続けなければいけない。

「何もなくても最高の自分!」と思えた時に、いろんな悩みから解放されるなと、思った。

 

イメージした時に、

最初、何も持ってない自分でも最高だったのに、何か足りないと思って、色んな装備を身に着け始めると、今度はそれを「失う」ことに恐れを抱き、「手放す」ことに悲しみを覚え、「守る」ことに執着し始め、

身軽だった自分からどんどん重くなって身動きが取れなくなって、何のために生きてるのかわからなくなる感じ?

一旦「得ること」「得た喜び」を知ってしまったら、もちろん、「手放すこと」は勇気がいるものも沢山あるけど、

最初はそもそも、もともと何も持ってなかった、それだけで幸せだった、と思いだすようにすると少し気持ちは楽になるかも?

(究極、何も持たずにただ全力疾走して大笑いしてる子供みたいになれたら最高だなと、思う私)

 

つまり、答えは「自分の外側」にあるのではなく、

いつまででも「自分の内側」にあるんだ、と気づくことが大切なんだ。

(答えが自分以外の「外側にある」と思わされてるのかもしれない、と疑ってみる事も一つ。身近な所で考えると、みんなをそういうマインドにする事で物が売れたり、消費活動が生まれる事って沢山ありますよね。でもそれは一生「不足」に注目し、追い求め続ける生き方になってしまう)

 

とは言いつつも、私もまだまだ、完全にそこに至っているわけではない。(人間ですから)

このままの自分でいいし、何かを求め続けなくてもいい、「今」生きているこの瞬間が幸せだ、と心から思う時もあれば、たまに、忘れた頃に、「何か」を求めたくなる時もある。

でも、ただ、どちらかというと、「今」に幸せを感じている時の方が割合的にはかなり多くなっている。

 

昔の私と、今の私。別に何も変わっていない。

資本主義社会からの視点で言うと、私は確実に「持っていないもの」がたくさんある。

ただ唯一変わったことは、自分の「物の見方、自分への見方」だ。

 

でも何度も言うが、全く不安にならないわけではないし、「自分のことを今のままでいい」と完全にずっと思っているわけではない。

特に自分のコンディションが悪い時なんかは、そういった思考になってしまう。

今の時点では、私はそんな感じ。

 

…でも、

「エゴ」に執着しないという考えが新しく自分の中に入ってからは、ずいぶんと生きるのが楽になったよ!

0(レイ)エゴがいいのか、もう少し深堀り

でも。

「エゴ」を手放すと言っておきながら、散々言っておきながら、

これもまた「バランス」が大事なのかと。

 

そう思う部分もある。

「エゴ」は、自分にとっての「活力」になることもあるから。

だからそれが必要になる時もある、そんな感じ。

 

「こんな平和な愛のある世の中にしたい!」と思うのは私のエゴ。

そのエゴをエネルギーにして、行動していく時には、「エゴ」はとても大切なもの。

だから、私が思うに、

上手に「エゴ」と付き合っていくことが大切なのかなと思う。

 

そんなのワガママじゃん!といわれそうだけど、そういう感じでいいのかなって今は思いマス。

 

エゴでもなんでも、

主張が強くなれば強くなるほど、必ず反対意見も出てくるわけで。

だから、細かく見ていくと、こういうのってとても難しい。

 

何でもかんでもミクロに見ていけばいいわけでもなく、マクロに見過ぎてもダメで、ぼんやりしてる所ってやっぱり大事で。

つまりそれを「余白」と言ったり、「隙間」と言ったり、「曖昧」と言ったり、「グレー」と言ったりする。

全員が全員、1から100まで同じマインドになるということは難しいので、

みんなそれぞれが自分の世界を持っていて、その大きな円の重なる部分をみんなで大事にしていこうね!と確認し合うことが大事なのかなと、

重なっていない部分はそれぞれの大切な部分として置いといて、

共有する部分をはっきりさせて、みんなで守っていこうね!としていくのがいいのかなと思ったりするのです。

今のところは。

 

なんか話がそれてきたけど、

まとめると、「エゴ」も必要な時は必要だ!

(エゴ、ありがと!)

 

結論、悩めることこそがありがたいのかも、という視点

そんなこと言うと、悩んでる真っ最中の人からしたら、ぶっ飛ばされそうだけど。

 

(そしてこんなこと言っときながら、私も、ちょくちょく悩んでるよ)

 

どんなことで「悩む」かにもよるけど、生きるか死ぬかみたいな生死に関わることで悩むこと以外は、「悩めること」自体がそもそも、とっても幸せなことである、と気づくことも一つだなと。

(平和じゃないと悩めないみたいな。仮に、もし戦争中だったとしたら、悩む前に生きていくことに必死)

 

マズローの欲求5段階でもあるように、生理的欲求や、安全の欲求が満たされていると、次の社会的欲求が生まれるわけで、その上が承認欲求、そしてその最後の砦が自己実現欲求なわけで。

悩みの種類によっては、「今自分は悩めるくらい日常が安定していて生活できてるんだな」と、そんなところから「今の自分の幸せ」を確認できたりもする。

 

まぁだからと言って悩みは消えないので、「だから何?」状態ではあるが…。(ほんまそれ)

 

普段、私が悩むときは本当にしょうもない事ばかりなので、そういう事を思い出すと、私は結構気が楽になって、悩みをそこまで深刻に思わなくなったりするので、

たまにはこういう解決策?もアリかなと思う。(いや、解決はしていない。捉え方がかわっただけかも)

 

今はなんでも、すぐに「答え」が見つかってしまう時代。

「検索」すればわかる。それなりに「答え」が出る。

でも、どんな考え方にも「反対側」があるわけで。

 

「解決しない」「解決できない状態を楽しむ」という考え方もありかなと。

 

いろんな考え方、いろんな偏りがある中で、

悟ってしまえば、多分どちらに触れることもなく、何があっても、ずっと心は中心にいるままで。

それはとても穏やかで、心地よいのかもしれないけど、

五感や感情をフルに使いまくって、人生を楽しむという視点においては、もしかしたらつまらないのかもしれない。

これも一つの考え方。(悟ってないので、つまらないのかどうかは、今の私にはわかりません)

 

 

「自分とは何か」という疑問は、人生の中でたびたびやってくる。

完全に答えを見つけてしまうのも一つ。決めてしまうのも一つ。(ただ執着には要注意)

答えが見つかるまでのその道中を楽しむのも一つ。

たった一つの正解なんてものはないんだ。

だってこの世はすべてが「無常」だから。

 

ただ、分かっていることは、

「自分の外側」に答えがあるのではなく、

どんな時でも、どんな時代でも、

「自分の内側」に答えはある。

「みんな一人一人が素晴らしい」ということだ。

 

 

 

今日も長いこと、最後までお付き合いください本当にありがとうございました!

また良かったら、お付き合いください…(笑)

このあとも素敵な時間、「今」この瞬間、をお過ごしくださいませ!

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