「共依存」って背景を考えるとそう簡単には解決するのってムズカシイよねと思ったお話。
私の母は「共依存」のぎりぎりのところにいるなと思っている。
何しろ、母は自己評価が低い。とにかく低い。
私は昔から「こんなお母さんでごめんね」的な事をよく言われていた。それがとても苦痛だった。誰だって親のそんな姿をみたくない。
だって、私は母の事が大好きなのに。その大好きな母が自分の事を否定している。それはすごくつらい。
そんなことを私にいうなら、そう言わなくていいように行動すればいいやん!と心の中で思っていた。
でも、(今は違うけど)父のギャンブル依存症での借金やらで苦労していたのを子供なりに理解していたから、母にそういった事を言う事ができなかった。かわりに「私はお母さんの味方やから!お母さんは自信もって!」みたいなことをいっていた。
「本当に子供の事を想うなら、そんなこと言わずに行動して」なんて言えなかった。傷つくのがわかっていたし、もっともっと自分を責めるだろうなと思ったから言えなかった。
いや、言わせないようにそんな言葉をいっていたのかもしれないな、母は。無意識で。
「こんなに頑張っているんだから、それでも報われないお母さんはかわいそうでしょ」って思ってたのかな。無意識化では。うーん、わからないや。
アドラー心理学では、自分でそういう状態を選んでいるという考え方もできるからな。本当にそう思っていってたのかもしれないし、自分を変えたくなくてそう言っていたのかもしれないし、それはその時の母に聞いてみないとわからない。
でも、私も大人になって、母親になって、母の事を一人の「女性」として見れるようになった時に、母に対する見方がずいぶんと変わった。
母もなかなか厳しい家庭環境で育ってきた。
母のバックグラウンドを知ると、母の自己評価の低さとかが理解できるようになった。母は母で、自分が育った環境の価値観で私を育ててきた。自分の「当たり前」が「当たり前じゃないかも」なんて考えたことはなかったと思う。
自分と向き合う方法を知っていたら、母はもっと自分の事を好きになっていたと思う。
私は一生懸命頑張る母を知っているし、少しでも母に自信を持ってもらいたかった。
でも、私がどんなに母を励ましても、母が自分で自分を認めてあげないと意味がない。
他人からの評価でしか自分の価値を認める事ができないという事は、一生、他人の評価を求め続けなければいけないという事だ。
そんな事を今まで何度も考えてたんだけど、「自分と向き合おう!」なんて母にいきなりいったところで、「どうやって?」ってなるし、物理的に時間もいるし、母自信が向き合う事をしたい!と思っていなければ意味がない。
「自分に自信を持つにはどうしたらいいんだろ」って疑問が沸かないとできない。

で、話は長くなって申し訳ないです。
なんでそんなことを書いてるのかというと、今、母は実姉との関係で少し困っていることが関係している。
母の実姉は自由奔放な性格でお金にもルーズで、自分中心で生きている感じの人だ。
そんなお姉さんが今いろいろあって、足を悪くして仕事もできなくて、お金に困っているわけなんだけども。
で、必要な手続きをして、節約をすれば生活はできるのに、必要のないものを買ってしまってすぐにお金が無くなって、「ちょっとかしてくれない?」と母にしょっちゅう電話がかかってくる。
父との経験でお金への学びは沢山あったから、母もお金をかすのは相手をダメにするという事はわかっている。だから、お金ではなく、自分が作ったご飯をもっていったりして支援していた。
と、母からもそんな風に愚痴と共に聞いていたのだけど。
よくよくきいてみると、数千円のお金をかしたりしてる時もあるではないか!
さらには、ご飯も「たまに」ではなくて、しょっちゅう持って行っていたのだ。
そして、挙句の果てに、お姉さんは母に内緒で無駄遣いをして、お金がなくなっていたことがわかって母は怒っていた。
そりゃそうなるよ…。
だって、節約しなくても、食べ物を定期的に持ってきてくれるってわかったら「じゃあこのお金は使ってもいいよね」ってなるに決まっている。お姉さんの性格上、こうなることはわかっていたやん。
父の時もそうだった。
嫌な記憶が蘇ってきたよ、もぅ。
父が母に嘘をついてお金をせがんでいて、どう考えても嘘やから渡したらあかんでって言ってるのに父を信じてお金をかして、そのお金は消えていく。そして、本当に必要な弟の大学の学費とかを私に「ちょっとかしてほしい」と頼んできて、支払期限がある以上、私も断れずにかしてしまう、みたいな感じのことがしょっちゅうあった。
何度言っても私のいう事は聞かずに父にお金をかしてしまう母に、私は怒るというよりもただただ悲しくて。なんで私のいう事を聞いてくれへんの?って。
共依存。
この時にこの言葉を知った。
でも、今は私も色々勉強して余計に分かるけど、自己評価の低い人は「共依存」になりやすいんだなって思う。
自分はしんどいのに、自分が苦労してでも相手を助ける事で、そこで「自分の価値」を初めて実感できるみたいな感じになってしまっている。
それが本人のなかで成り立ってしまっている。
その時だけ、助けても駄目なんだよ…。
本質的な所をみないと、いつまでも繰り返してしまう。
母の支援があって食べていける状態に慣れてしまってはダメなんだ。もちろん、本当に支援が必要な場合はするべきだと思う。でも、お姉さんは違う。確実に無駄遣いをしてしまっている。
お金を持てば持つほど、使い切ってしまう性格なんだもん。わかってるなら、なおさら、支援のし過ぎはお姉さんをダメにしてしまう。
これって、でも、本当に、難しいよなーって思う。
母の潜在意識の「自分に対する信頼」が低いのが根本的に見つめ直さないといけないところだ。
仮説として、
母は、自分がいないと相手が生きていけない状態に無意識にしてしまっているのかもしれない。
その理由はやはり「自己評価」が低いからだ。自分に自信がないから、相手から必要とされないと不安になってしまう。相手を依存させることで一生相手から必要とされ、安心できる。
そんな仮説を立てる事もできる。
でも、これって、濃淡はありつつも、みんな少なからず、持っている感情かもしれない。誰だって自分が必要とされると嬉しい。
ただ、その度合いが強くなると、それは、「依存」になってしまう。
なんでも濃淡、グラデーションだ。
自分の中に、天使と悪魔がいて、いろんな葛藤が起こるのはみんなよくある事だ。グラデーションがあっていい。その加減が大事なんだ。
どうしたらいいものか…。ウーム。
でも、昔の母と今の母は違う。私も違う。お互いに成長している。だから、私の言いたいことは母にちゃんと伝わっている。
母もわかっているけど、そのさじ加減を自分で調整している部分があるのはわかる。人間、一気に変わるのではなく、少しづつ変わっていくから、今はその最中なのかもしれないな、と思う私もいる。
でも、なんで母は似たような苦労をまたしているのか、、、と思う事もある。
たまたま、そうなのかもしれないけど。
でも、また見方を変えてみて、ちょっとスピリチュアル的な見方にすると、母の潜在意識では「お金のことで苦労する」「私は苦労しないといけない人生」「私は運が良くない」みたいなものがあるのではないかなと思ったりする。
そう、意識ではなく無意識のところで。
そこの「思い込み」が書き換えられない以上、それに見合った現実がやってくる。無意識の自分のなかにある「思考」に見合った現実がやってくる。
でも、この現実は潜在意識で母が望んでいることなのかもしれないし、そうじゃないかもしれないし。
うーーーん。沼だ。
私は周波数とか、エネルギーとか、そういった物を「ありだよね」と思っているから、余計にそう思えてくるかもしれないんだけどね。
でも、自分の中の要らない思い込みに気づいて「手放す」ことができたら、自然と自分の意識、行動が変わっていくから、現実も変っていく。
私は自分がそう経験してきたから、リアルにそう思う。
できる事ってなんだろうな。

私も昔の自分は、母との関係で自分が要らない思い込みを持っている事に気づいて、思い込みを手放した。
私も「母は弱い人、私がしっかりして守らなきゃ」と思っていたけど、それを「母は強い、私がいなくても大丈夫、乗り越える事ができる」に変えると、そこから景色が変わった気がするのだ。(以前のブログで書いた気がする)
だから、母もお姉さんの事を「私が助けなきゃいけない」という思い込みから「私が支援しなくても一人で乗り越えることができる」と変えてみてはどうかな、と思ったりする。
もちろん、本当に必要な支援を見極める必要はあるけど、その見極めこそがお姉さんにとって一番大事なことなんだ。それが本当の支援なのではないかな、と思う。
お姉さんもそうやって信頼される事で、「やったるで!」と思えるようになるのではないかな。そうなればいいな。
今、催眠の本を読んでるんだけど(怪しい本ではないよ)、
周りがその人の事を「こういう人だ」と決めつけることで、本当に相手はそうなってしまう、みたいな内容があって「それって確かにあるかも」とおもった。
「こいつダメな奴」と思う事で、相手を暗示にかけてしまうみたいな。言動からも相手にそう伝わるし、頭で思っているだけでも無意識に伝わるらしい。
これ、「ほんまかいな」と思うとおもうけど、完全に「ないだろ」とは言えない気がする。
だって、子供のころに言われた親からの言葉が「暗示」になって、つまり、洗脳されて「自分はこういうやつだ」と思いこんで、大人になってもその「洗脳」に悩まされているひとはいるはずだ。
(もちろん親にはそんなつもりはない、愛情があっても暗示をかけてしまっていることは普通にある)
相手に言わなくても、態度で、目線で、相手に「ダメな奴」と思っていることが伝わることってあるだろうなと思う。
ほんで、極論、「この世はすべてエネルギー説」を使うと、思考はエネルギーなんだから、言葉で言ってなくても、エネルギーだと思ったら「伝わる」のは想像できる。
だからこそ、お姉さんの事を「私が支援しなくても一人で乗り越えることができる人」と思うことは結構意味のあることなのでは、と思う。
もちろん、人を信じるのは勇気がいる。覚悟がいる。どんな結果になろうとも、その結果丸ごとを受け止めるという意味だからだ。
でも、その覚悟が「現実を変える」力になったりするんじゃないかなーーー。
あかん!また話が長くなってきているぞ。
この前夫に「ブログって何文字くらい書いてるの?」って言われたから、「基本3000文字くらい。でも5000文字くらい書いてしまうこともある」って言ったら、
「なが!!!!!!俺、そんな長い文章読めへんけど(笑)」と言われてしまった。
いつも、読んでくださるそこのあなた。本当に大好きです。夫は長文が嫌いだそうです(笑)
いつも本当に感謝です。ありがとうございます。
母には、やんわりと伝えてみようかな。
スピリチュアルとか、自己理解とかにそこまで興味がないのはわかっているから、余計なお節介になってはいけないし、あくまでやんわりと。
伝え方って大事ですね。
相手が求めてないアドバイスはただのお節介。
肝に銘じておきます。(でも、困って私に愚痴っているから何とかしたい気持ちはあるはず)
私は母の幸せそうな顔がみたいだけだ。
穏やかに微笑んでいる母の顔がみたいだけだ。
そして、私も、穏やかに静かに微笑んでいたい。
めっちゃ幸せ!もいいけど、目指すことろは「あぁ~しあわせ~」ってかんじだ。(お風呂に使った瞬間に思わず出るあのかんじみたいなw)
穏やかに、静かに。
今日の書いたことは母に起こっていることの一部分。みんな色んな顔があって、色んな気持ちがあって、いろんなことが起こって、複合的にみて「その人」だ。今日書いてるのはその中にあるたった一つ。
(つまり、人の事を「たった一部分」で判断するのは時期尚早だよねって自分にいってますwえ!?!?って思うような人も家に帰ると子供がいて素敵な親みたいな)
みなさま、今日も本当にお疲れさまです(深々とお辞儀)
今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~



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