何をするのか?が重要ではない。どんな気持ちでするのか?が一番大事なのだ。

生きるための引き出し
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何をするのか?ではない。

どんなことをするのか?ではない。

何回したか?が重要なのでもなく、どこでやったのか?が大事なわけでもない。

 

 

ただ一つ。

そう、一つだけ大切なこと。

 

 

「どんな動機で」したのか?が大切なのだ。

 

 

ほんま。そうだよ。

もう、その通りです。はい。

 

自分にたびたび言い聞かせたくなる。

 

「なんでこれをするんだっけ?」て自分に問う。

動機が不純ではないだろうか、と考える。

 

誰かに褒められたいから。

誰かに認めてもらいたいから。

誰かに一目置かれたいから。

 

そう思っている自分はいないか?

動機はできるだけ「自分の内からくるもの」がいい。

 

「楽しいから」

「ワクワクするから」

「やりたいから」

 

 

そう。

相手がどうのこうのとかではなく、自分がどう思っているのかが大事なんだ。

 

「となりの小さいおじさん」の著者 瀬知洋司さんと「人は死なない」の著者 矢作直樹さんの対談で、

「ボランティアや寄付をして誰かから偽善だ!と言われても、自分がどんな動機でそれをしているのかが大事」と言っていた。

誰かから、何を言われようと、どう思われようと、「自分の動機」「自分の気持ち」が大事で、その気持ちをもって「行動」しているとすごくいいエネルギーを発していることになるみたいだ。

 

たしかに。本当にそうだ。

 

誰かに良く見られたい、という様な気持ちでボランティアをしていたら、それは偽善になるかもしれないし、そして、それは指摘されたときに自分でも「ギクリ」とするはずだ。

でも、本当にただ力になりたくてボランティアをしていたら、何を言われようと気にしない気がする。 

 

だから、「偽善だ!」といってくる人はそもそも関係ないということだ。

自分の中に「何か(下心的な)」があれば心が嫌な反応をするし、何もなければ反応はない。心が嫌な反応をした時は、相手を責める前に「反応する原因」が自分の中に隠れているんだからそっちと向き合う方がよっぽど大切だ。

 

なんなら、下心があったとしても、「でもやってることはいいことやん!」と、周りからの非難を跳ね返すことがサラッとできるなら、つまり、自分のなかで後ろめたさみたいなものが全くないのであればそれもまたいいのかもしれないなと私は思う。(そんな心の状態なら発しているエネルギーはそこまで悪くなさそうなきがする)

実際、ボランティアで人を助けていることは確かなわけだし。

 

 

いやー、やっぱり自分次第なんだよなーー。本当に。(自分に言い聞かせてます) 

 

 

何をするかは問題ではない。どんな動機で行動しているのかが大事。

 

シンプルなんだけど、めっちゃ大事だ。

常に自分に問いたいなと思う。

 

ほんまに自分ではわかってたりするんだよ(汗)

どっかでわかっている。

でも、それを見てみないふりして、ないものにして、「いい奴」に見せようとしている自分。

いるんだよなー。

 

でも、単純に、動機がシンプルな方があとあとうまくいくことの方が多い気がする。

 

変に執着しないし、どういう方向に向かっていっても、「自分がしたかったんだもん!」で終われる。

 

 

なにか行動を起こす時、その動機はなにか?と自分と向き合わなきゃだな。

いや、ほんまに、だいじだ。

 

最後にまたスピリチュアルぽいこと言うけど、(許してください)

自分がどんな動機で行動するのかで、自分の状態(気持ち)がかわってくる。

楽しいから!で行動していたら、それをやっている時間中はずっと心がワクワクしている。

そのワクワク状態をエネルギーの視点で見ると、よいエネルギーを発していることになる。(波動を出しているとか、周波数が高いと考えてもいい)

自分が発しているものは遅かれ早かれ必ず返ってくる。同じエネルギーや、同じ周波数の出来事として返ってくる。

いいエネルギー状態でいると、未来が良い方向に傾く確率が高くなる。

よいエネルギーは伝染する。自分も幸せだし、自分が幸せだと周りも幸せになる。

人生ハッピー

  

 

てな感じになるのでは!?と思う。

 

だから、最近、例えば家のなかで家事をしている時も「家族が気分よく過ごせるな~」とか「家族のために役立ってるな~」とか「徳を積ませてもらってるな、感謝」とか、本当にそう思いながら一つ一つを行動している。

そう思っていると純粋に家事が「楽しい」のだ。

 

毎日ある家事。

どこのご家庭でもある家事。

 

みんな同じ「家事」なんだけど、みんなそれぞれ「動機」は違う。 

 

でも、動機の違い、心の持ちようで、結果的によいエネルギーを発して、周りをも幸せにしているんだと思うと、家事をしているお父さん、お母さん、最高!っておもう。真剣に。

 

例えで「家事」を出したけど。

どんなことでもそうだ。

自分がどんな「気持ち」で「行動」しているかで、自分の周りの空気感は変わってくる。

 

どんな小さな行動でも、周りの人を幸せにすることができる。

 

 

みんなそんな力があるんだ。

 

すごいなーーーーー。

 

不純な動機をもつこともあるけど(笑)人間だから。

でも、できるだけ、「自分の心がいい状態」でいれる動機かどうかをわかって行動したいな。

 

そんな事を思いましたデス。 

 

 

ほんで、最後の最後にもう一つ!(すいません)

似たような事をもう一回、自分への戒めとして言わせてください。

 

自分がどんな動機で行動しているのかは、自分がどんなエネルギーを発しているかに直結しているから、

とにかく「ゴキゲン」でいることが大事だ。

 

何をするのかは重要ではなくて、相手がどうかとかも関係なくて、

「どんな時もどうやったら楽しめるのか?ワクワクできるのか?やりがいを見出せるのか?」

「そう思えないのであれば、ではなぜそう思えないのか?心の中にあるトラウマ、思い込みは何なのか?自分は何に恐れているのか?何に執着しているのか?」

と自分と向き合い続ける事で、

純粋でシンプルな動機、心の状態でいれる事になる。

 

誰かが、そういった心の状態にしてくれるわけではない。

 

 

そう。だからこそ「自分次第」なのだ。

結局はすべて自分次第とはそういう事なのだ。

 

 

自分が何かに反応して、何かの感情を抱くのはなぜなのか?それは、本当に自分にしかわからない。相手のそれを理解することはできない。  

相手が見つけてくれるわけではない。

 

みんな自分で自分を理解することができる。そうやって人生を「楽しいもの」にしていくのだ。

 

 

生きている間、すべてがヒントになる。じぶんの感情が動いた時。それは人生を楽しいものにしていくチャンスだ。

 

 

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~

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