自分の中にいる「小さな私」が怒っている。ただ存在を認め寄り添うこと

生きるための引き出し
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私が怒っている。

正確にいうと、「小さな私」が怒っている。

 

小さな私。

そう。それは小さいころの私だ。私のなかにいる「小さな私」

 

なぜ。怒っている?

何があった?

 

 

表面的には平気な顔をしていても、心の奥が、胸がチクチクする感じ。苦しい感じ。うっすらとそんな感じがする。うっすらだから気のせいと思うかもしれない。そのうち忘れる感覚かもしれない。

 

 

でも。

 

このサインを見逃してはいけない。

ないものとして見て見ぬふりをしてもいけない。蓋をしてもいけない。

 

 

小さな私がSOSを出している。一生懸命サインを出している。

 

 

どうするのか?

 

 

それは…

ただ、見つめるだけ。

 

怒っている小さな私の存在を認めて、感情を受け止める。ううん、受け止めなくてもいい。あるんだなって認識だけしていたらいい。

 

それが大事だ。

 

 

この前もこんなこと書いたな(笑)でも、また起こった。そんな感情になる出来事が。私の根本が変わっていないんだから、同じような事が起きたとき、同じような反応が起こるのは当たり前か。

「小さな私」が怒らなくなるにはまだ時間がかかるんだろう。

 

心の傷はもうないんだよ!と思ってしまえば楽なんだけど。なんでも考え方だから。だけど、それだと「小さな私」は納得しない。

納得していないのに、無理やり説得してもダメだ。「こう考えればいいんだよ」って言っても彼女の心は晴れない。

 

だから、怒っている小さな私をただ認める。「そうだよね」って相槌をうちつつ、そっと隣に寄り添う感じ。否定はしない。怒ることは悪いことじゃない。感情にいいも悪いもない。大切なサインなんだ。

 

 

無理やり許さなくてもいい。「許さなきゃ」と思ってる時点でそれは本当の自分の気持ちを無視していることになる。

 

~するべきだ。

~しなくちゃ。

 

 

これは、本当は「そうしたくない」が隠れている。「無理やり」だと意味がない。だって、また、同じことが起こった時に同じ反応になるから。

無理やり心に蓋をして、なかったものにしたり、無理やり「こう思わなきゃ」と無理やりポジティブにしている方が反動が大きくなる。

 

気づかないふりをしていると、体や心にいろんな不調としてサインが出てくる。 

 

 

だから今回も心の中でいろんなモヤモヤがあったけど、

「こんな事思っちゃダメだ」とか「あー、ネガティブに思ってる自分あかんな」とか、「悪く思ってる自分嫌な奴やな」とか、そんなモヤモヤに対して、あーだこーだと考えたけど。

それこそが要らぬことだ。

 

そんなこと考えずにただ「怒っている自分がまだ心の奥にいるな。いるんだな」と思うだけでいい。

ジャッジはせず、良いとか悪いとかあかんとか思わずに、そのまま「あるんやな」と思うだけでいい。

それだけでいい。そのまましばらく心を見つめる。静かに寄り添う。

 

 

今回は心のなかのあーだこーだの時間になった時に「あかんあかん、ただ在ることを見つめよう」と思い直せた。そうやって気づけたからそのあとの回復までが早かった。

怒っていた小さな私は、少ししたら落ち着いてくれたみたいだ。

 

 

そう。

本当に無理に許そうとしなくていい。無理に笑わなくていい。大丈夫。

 

 

小さな自分がサインを出してきた時は静かにそっと寄り添う。

サインを感じるたびにそうする。その繰り返し。そうしていくうちに「小さな私」は安心して同じ出来事がおきても反応しなくなるはずだ。

反応しても、サインを出しても、受け止めてくれるって思えたら心のそこから「安心」できるから。

 

そう思って私は今も、繰り返しそうする事にしている。

 

 

「こうすればトラウマが消えました!」とか、「インナーチャイルドを癒せました!」とか、いろんな方法があって、「克服しました!」みたいな講師の人がいてそんなセミナーとかあるんだけど、

「本当に?」って思う自分がいるのは私だけ?(笑)

 

克服した人たちって本当にもう完全にそんな感情にならないのかな?

 

本当に克服した人もいるんだろうけど、私はまだそこまでは到達できていない。

 

まだか。またか。

まだ反応する自分がいるのか。

 

前はそんな自分にがっかりしていたけど、その「がっかり」も必要ないのかもなぁ。

 

 

もちろん反応しないに越したことはない。モヤモヤってしんどいし。

できるだけ「穏やか」な状態でいたいもん。

 

いつになったらそうなれるのか。わからない。でも、そうなれなくてもいいのかな。そう思う自分が今はいる。

 

闇があるからこそ、光がより一層輝くことだってあるんだ。

 

 

その時その時、真剣に向き合って「そう思う」のなら、それが今の時点での私の答えだ。

その時その時、私にとっての真実を確認して自分が納得していたらいい。 

   

 

器用に効率よく無駄がないのもいい。それはそれでいい。

でも、

本当は遠回りでも、効率が悪くても、不器用でもいい。何度同じ事を繰り返しても、その時の自分がそうならそれもよしだ。 

  

投げやりに「どっちでもいい」のではない。

本当に「どっちでも良い」のだ。どっちもオッケー。楽しむ。

 

どんな自分もハナマルです。

 

今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~!

 

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