他人優先は自分を見失う?本音と建前のバランス、チグハグな自分

生きるための引き出し
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「またやってしまった」

 

と、思う事はよくある。

 

自分が「改善したい」と思っているのに、いつもと同じ行動をやってしまった時だ。

 

まぁ、しょうもない事なんやけど。(逆に考えるとオオゴトじゃなくてよかったと思うこともできるね) 

  

では、何の話?って感じだよね。
 
ということで、
今日もよろしくお願いします。

 
 
 
 
人の気持ちに敏感な人って、相手の望んでいる言葉とかがわかったりしません?

あなたはどうですか?

 

「今きっとこういう反応したら喜んでくれるだろうな」

「こういった言葉を返すのが正解だろうな」

 

多分こういった感じでわかるんじゃないだろうか。

 

 

もちろん全部が正解ではないと思うけど。

かくいう私も、なんとなく相手の求めていることがわかったりする方だと思う。 

 

こういう人が気をつけること。 

それは、

「何でもかんでも相手に合わせてしまう」ことだ。

 

相手が望んでいるキャラを演じてるって感じがイメージしやすい。



 



 

このスキルは接客業とかだと役に立つことの方が多い。

だけど、プライベートでそういうことばっかりしていると、自分の事を望んでいない方向に思われてしまう事につながる。 

 

 

何でもさじ加減が大事なんだよなーーー。(合わせる事が悪いわけではない、ただ何でもやりすぎはよくない)

 

 

例えば、噂話がすきじゃないのに、相手がそういった話が好きで、相手が喜ぶような反応ばかりしていると、相手は疑うことなく「この人も噂話が好きなんだな」と思われて誘われる頻度が増えたりする。

 

そういう事が起こるようになるとどうなるか。

自分がしんどいのだ。

 

うむむ。

相手は喜ぶけど、自分はしんどい。

だって本当の自分で生きていないから。

 

 

当たり前のことなんだけど、相手の事を優先しすぎたり、サービス精神が旺盛な人ってそうなりやすいから要注意だ。

 

 

私は人間関係でその法則に気づいてから、できるだけ、自分を出すように気をつけている。もちろん相手に不快感を感じさせないように気をつけながら。

前は「変な人って思われたらイヤやな」とか思ってたけど、今はもう少しづつ色んな事に執着が減ってきて「まぁいっか!」と思えるようになってきたなと思う。(自分が変な人なんは自覚してるからあきらめたに近いw)

 

でも、親戚とか、そういった関係のひとたちと喋る時とか、もしくは友人と喋る時でも、たまに、合わせてしまう事がある。

親戚は特にそういった事をしてしまいがちだ。気を遣ってしまう。

 

私が本音をいったら心配するのがわかるからだ。

 

 
親世代がバリバリ生きてきた時代と今は違う。今は違うとわかっていても、親世代の人たちは自分たちが生きてきて役に立った価値観を大事にしている。
だから、それに沿わないような意見を言うと心配になるのはよくわかる。

 

そう言うことを避ける為に親戚に合わせてしまうことがたまにあるのだ。


親戚の気持ちを尊重したいと言う気持ちもある。
私が思っていることが真逆の意見だと余計にそう思う。

 

 
とまぁ、そんなこと言いつつも、
合わせた内容によっては後を引いてくるものもあるので何でもかんでも合わせるのはよくない(汗)
(あとでややこしくなるのは避けたい)

 

 
自分の生き方に関わってくるようなものだと、それは相手に合わせた瞬間から自分を偽っていることになるから、自分にも相手にも失礼なことだ。

 
 
「本音」と「建前」は大事だけれども。
「建前」ばかりだとよくない。

 
 
心の中で「ほんまは違うけど」があるんだからよくないに決まってる。


 
 
些細なことでも、自分に嘘をついてはいけないな。
たとえ相手が喜んでいたとしても、自分が喜んでいないのならバツだ。

 
 
 
でも、相手が嬉しそうに話しているのを見るのが幸せだからついついね。
いや、ついついがあかんのか。
 
自分で自分の首をしめてるな。
 
 

 
ほんま、生き方に関わるようなことなら尚更だ。

そして、相手が心配するとかそんなのも自分の言い訳だよね。(と思うこともできる)

自分の弱さだ。
 
 

 
本当にそう思って心に決めているのなら、自信を持ってそう言えばいい。
逆の意見でも、一生懸命、丁寧に言葉を選んで伝えれば、相手は不快感どころか、しっかりと自分を理解してくれるはずだ。
 
自分がまだ決心できていないから、「合わせる」なんて言って言い訳してるのかもなー、と思ったりもする。
 
 
 

 
言葉を放った時に自分の心の中で違和感を感じたのならそれが答えだ。
 
自分の心は答えを知っている。
 
 

 
相手に合わせることなく、それを堂々と言えばいいんだ。
「私はこう思ってるよ」って。
 
 
 
ついついね。
自分に保険かけたり、自分の何かプライドとかよくわからんけど、何かを守ったりするんだろうなー。

 
 
わたし、まだまだ執着しまくってるがなw

でも、まぁいっか。

そこに気づけることが大事なんだ。(反省はしてもいいけど、自分を責める事はしないよ)
  

 
 
気づいた後は「次はどうしたい?」とまた考えればいい。 

次また同じ内容の話になったら私は合わせることなく「こう思ってるよ」って伝えることにしよう。
 
 

 
 
些細なことだし、小さなことだけど、
そう言った積み重ねが人生を作っていくもんね。
 
その姿勢が自分の「在り方」に繋がってくる。

 
 
意識せずとも、無意識の部分に刷り込まれている「在り方」が日々の言動に反映されるんだから。
 

 
  
自分自身がチグハグになるのはやめよう。
 
どんな時でも「ありのまま」でいられるように、コツコツ積み上げていこうっと。


 
 
 
執着もエゴも、まだまだあるけども。
手放していく過程を楽しみます。
 
 

あ、そうだ。もう一個、思った事があった。

 

 

人に合わせすぎてしまったり、他人を優先してしまいがちな人。

極端にそっちに偏ってしまっている人。(少しじゃなくて極端に)

その人はもしかしたら「人に合わせないと自分は認められない」みたいな思い込みを持っているのかもしれない。

合わせなくても、無理しなくてもいいのに、「そのままの自分では愛されない」みたいな思い込みがあるのかもしれない。

 

極端に合わせがちな人は、そこを掘り下げてみて、そして、そんな思いこみがあったかもって気づいたら、「ほんまに?」「ほんまにそうなの?」って問うてみて下さい。

 

相手にあわさなくても、あなたのそのままで、あなたは愛されます。認められます。

 

 

「自分のままだと愛されないかも」みたいな思い込みは、ただの思い込みだから。

 

いろんな条件が重なってしまって、知らず知らずのうちにいらない「暗示」をかけられてしまって、そう思いこんでいるだけだから。

 

 

そのままのあなたが素晴らしいです。 

 

 

という事で、今日も最後までお読みいただき本当にありがとうございました!この後も素敵な時間をお過ごしください。ではまた~

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