「どこ」で「なに」を使うのか。アドラー心理学と車の汚れと認知のクセ

アドラー心理学
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「ここ汚れてるで」

助手席に座っていた夫が言った。


瞬間的に私が心の中で思ったこと。

「あー、掃除しなあかんやんな、車汚れてるし恥ずかしいよなー、わかってたけどずっとそのままにしてたわー」


めんどくさくてやってなかった自分。

 

でもついに夫に気づかれて、ズボラがバレた気がして(ってかもうわかってはるけどw)軽く自己反省モードに突入していた。

でも。
夫はすぐに付け加えた。

 
「あ、別に責めるつもりでいったんちゃうで。こんな汚れ方するんやなー、面白いなっていう意味で言ったんやで」
「というか、嫌味とか言うより俺は自分で汚れに気づいてあなたが気づかへんところで掃除しときたいで」

 



確かに。夫は嫌味とかをいうようなタイプではない。
そして他人に「良いこと」してたとしてもそれをアピールするタイプでもない。


夫のことはわかっていたけど、瞬間的に私の心がそう反応したのだ。

夫の「言葉」に対して私の心のメガネはそのように私に解釈させた。
私は「面白いなー」と思った。

 

夫と一緒になって「ほんまや!すごい面白い汚れ方してるね~!」って楽しむこともできたのに。

でも、私の心は違うように反応した。

そのように反応する「何か」が心のなかにあるということだ。

 

物事をプラスに見るのか、マイナスに見るのか。

プラスに解釈するのか、マイナスに解釈するのか。

 

 

アドラー心理学を使って考えると、「そう解釈したくて」私が「そう反応した」ことになるんだけども、ここでは一旦アドラーさんは置いておいて。

ただ、目的論とかそんなことよりも「瞬間的に反応した」ところが真実味があって面白い。

考える前に、理由を、意味を付ける前に「反応した」のだ。

 

こういう事を考え始めると、いろんな事がまた考えられてくるのでキリがない(笑)だから、ここでやめておきます。

 

ほんまでも、「自分のものさし」で物事を見てるんだなー。
これぞ、認知のクセか。

どれが正しいとか間違いはないから「そう思いがち」と言うだけなんだけど。


「自分のものさし」というのはアドラー心理学の「認知論」という考え方の中にでてくる。

 

 

で、
自分でも気をつけようと思うのが、
何かを学んだ時、知った時、良い学びなら特にそうなんだけど、それが「絶対」になってはいけないと言うことだ。

 

私は単純なので一旦そう言う「考え」に触れると、それに全部を当てはめてしまいたい衝動が起こる。

「認知論」もそうだ。


「自分のものさしで見てしまいがちだ」と知ると、「あぁ、自分のものさしで見てしまうのは気をつけよう」みたいな気持ちになる。

 

でも「自分のものさし」が悪いわけではない。
主観的になるからこそ「意見」が言えるわけだし、クリエイティブになることもできる。


「自分のものさし」があるからこそ、それを正しく使えば「勇気」になったり、気持ちを貫くことができたりする。

アドラー心理学は「実践の心理学」と言ったりするけど、
「どのように使うのか」
という使い手の理解が大事なんだよなー。

 


言葉を「知る」だけではダメで、自分が「どのように実践するか」を考えることだ。

 


「物事を自分のものさしで見てしまいがち」ということに気づき、自分の行動や考えが「マイナス」になっていないか、と立ち止まること。
「本当にそうなのかな?」と考えること。

 

やはり、自分が悲しい時、困った時、怒った時や、対人関係で悩んだ時に、「認知論」の考え方を引っ張り出してくるのがいいな。

 

そこで、人間はもともと「自分のものさしで物事を見がち」とか「みんな必ず認知のクセがある」ということを思い出すことができるし、
自分の「今の意識の状態」を軌道修正できる。

 

 
自分も相手も「自分のものさしがある」と考えると、目の前の「問題」だと感じている物事にまた違った解決策が見えてくるかもしれない。

 
「相手にも相手のものさしがあるんだなー」という当たり前の事実に気づけると、もう少し広い視点で考えることができるかもしれない。


つまり、私たちが考えてることなんて、「自分のものさし」というたった一個だけの「基準」にすぎない。
となると「他にもそりゃたくさんあるよね」と考えることが自然とできてきたりするものだ。

他にも、
アドラー心理学の「目的論」でもそうだ。
「原因論」は「原因」ばかりをみてしまうから前に進むことができない。「行動」ができなくなってしまう。
と言った考えに「偏り」がちになる。


でも「原因論」が悪いわけではない。

やはり、どこで「使うか」なのだ。

なんでも道具は「使い所」が肝心だ。

考え方も同じ。

 

 
自分の性格が嫌で、それを「親の育て方のせい」と考えるのは「原因論」を使っている。
でも、そう言った時に使うのは「目的論」の方が前を向いて行動することができる。

 

 

「自分の性格を変えたい」と思うのならば、その時に「原因論」か「目的論」どっちを使いたい?と自分に問うのもありだ。

 


先日のブログでも書いたけど、原因論が悪いわけではない。
それが「必要な時」もある。

 

「親のせい」にしている間は「自分を変えなくていい」ことになる。
でもそれも、とことん自分がそうして、その状態に「満足」したら「原因論」を使うのをやめて、「目的論」をすんなり受け入れて「それを使ってみようかな」と言う気持ちになるかもしれない。

もしくは途中で「(そんな自分に飽きたから)もういっかー」となって、「目的論」の考え方に移行するかもしれない。


そう言うこともあり得るし、そうなったらなったで、それで全然オッケーだと思う。

 

 
で、なにか問題を起こしてしまった時。
これは「原因論」を使うと「原因」がわかるから次への対策を練りやすい。


だから、言葉に縛り付けられずに柔軟に行くことが大事なんだよね。(特に私、気をつけます)

 


カテゴリわけするには「言葉」は便利なんだけど、そうするとはっきりと「境界線」ができてしまう。

でも、「認知論➕原因論」で解決したって良いんだよ。どっちかしか使ってはいけないみたいなルールなんてない。


なんかこう、どうしても、私みたいな人間は白黒はっきりさせたくなるところがあるのでありマス(汗)

たいぶ「グレー」で生きれるようになってはきたけども。(中間っていう意味です)

ついつい、どっちかに「偏りたく」なる。

まぁ「二元性」の世界を生きてるんだからしょうがないんだけど。

 


「良いタイミングで使いこなす」
「使いどころを見極める」


これが大事ですね。


うんうん。


色々と書いたけど、
やはりアドラー心理学の基礎の考え方「自己決定性」「目的論」「全体論」「認知論」「対人関係論」をうまく使っていけば、いろんなことが前向きに考えられるし、力強く生きていけるなと思う。


みんなが「勇気」(困難を克服する活力)を持っていれば、自分に集中して、貢献感をもって幸せを感じて生きていくことができるわけだから、やっぱり平和な世の中になるよなーと思う。


他人を否定、非難する人の奥の心理は、自分に自信がないとかだったりする。(他にも色々あるけど)
他人を下に見ることで自分を優位に立たせて、そこで自分の価値を感じれるみたいな。


でもそこじゃないんだ。
見るべきは「自分自身」なんだ。

 

私も劣等感は持っている。
でも、劣等感は悪いものではない。

そこで生じるエネルギーを自分に使えば良いだけのことだ。


人にそのエネルギーを使うから、誹謗中傷みたいな行動を起こしてしまったりする。

だから、みんなが自分に自信を持って、自己受容できるようになれたら、、、
それはきっとみんなに優しくて愛のある素敵な世界だ。

とにかくまずは自分に集中することだ。


はい。精進します。


愛と平和の輪がどんどん広がっていくことをイメージだ。


今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。この後も素敵な時間をお過ごしください!ではまた〜

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