地に足を付ける。
そういえば、ラピュタでもそんな感じのセリフがあったな。
シータ「土から離れては生きられないのよ」
今まさに私の足は浮いていた。
多分、30センチくらい。(イメージね)
おっと、危ない。
地に足がついていないと、不安定なのだ。
浮いていることさえ気づかないくらい、少しづつ浮いてしまっている時もある。
気をつけないと。
なにがあろうとも、自分が生きれるのは「今」しかないのだ。
先日、私は落ちていた。
バイオリズムで言うと、下の方。
凸凹で言うと、凹の方。
潮の満ち引きでいうと、引きの方。(たぶん)
自分でも、なんかわからなった。ただ、なんとなく、そんな感じだった。
地球と月の関係や、自転と公転の色々がある以上、そういう「リズム」があるのは普通のことだ。
女性には生理だってある。月の満ち欠け、潮の満ち引き。とにかく、そういった「リズム」があること自体が普通なのだ。だから落ちる時だってある。それが普通。人間の基本設定。
でも、「なんとなく」イマイチな時ほど厄介なものはない。
これといって原因がないんだから。
対処のしようがない。
でも、こういう時こそ「こういうもんだ」と思って、ただただ現状を感じきり、静かに時に身を任せる事が大切なんだろうなと思う。そう、とにかく何も考えずに潔く、身を委ねる。
本当に何も気にせずにそれが出来たら、どんなに楽だろうなと思う。
お察しの通り、私はなんだかんだ身を任せるきる事ができていない。頭のおしゃべりがとにかくうるさい。むずかしいんだよなー。。。
でも、やっとなんとなく、そんな「イマイチ」の状態を抜け出せそうな時に、事件は起きたのである。
(前半長いな)
誰かに何かを言われてむかついた時、そもそもなぜ心が反応するのか
「いや、考えたらわかるやん」
夫に言われた一言。しかも、ちょっとあきれ顔。
そう、確かに。あなたの言いたいことはわかる。私がちょっと考えが足りなかったんだよ…。分かってるんだけど、その表情、その言い方、やめてほしいよ…。
「ごめんごめん!ほんまにそうやね、あなたの言う通り!」
とりあえず明るく返答した。その後は何も喋らなかった。というか喋れなかった。(シンプルにへこんでた)
いつもだったら多少、気になることがあっても、そこまでそこに意識を向けることなくスルーできるのに、コンディションの悪かった私は、気になった一言がずっと頭の中でリピートされていた。
別に夫に悪気はない。むしろ自分でも、なんで気づかへんかったんやろって思う。(とにかくしょうもないことです)
でも、「そんな言い方しんでいいやん」っていう気持ちがむくむく湧いてきた。頭の中で言葉がリピートされればされるほど、どんどん文句の言葉が出てくる。
途中で自分の頭の中のエンドレスなおしゃべりに気づき、「あかんあかん!」と頭の中のおしゃべりをストップさせた。でも、心はまだざわざわしてた。そりゃそうだ。感情を感じきっていないのに、強制終了したんだから。
一旦落ち着いて、もう一度、自分の心にきいてみた。
「なんでそんなにむかついた?何が引っかかった?」
そうして分かったことは、相手が「何か」を言ったから腹が立ったのではなく、実は自分がそう思っているからこそ腹が立ったという事だ。
例えて言うと、私が仮に体型がめっちゃガリガリだとして、誰かに、「やーい!ブタ!」といわれても、きっと私はなんとも思わない。心が反応することは絶対にない。だって自分ではそう思ってないから。
心が反応するとき、必ず自分の中にも「それ」があるから反応してしまうのだ。
めっちゃクチャ自分に対して自信がある人だったら、他人からのどんな言葉も気にしないと思う。
だって揺るぎない自分への自信、信頼があるんだから。
「あなたはそんな風に思うんだねー」で終わるんだと思う。もしくは、「なんでそんな風に思うんだろうな」と思うのかもしれない。だって、自分の中に全くない考えだから。
そう。つまり今回のしょうもない事件は、私が自分でひき起こしていたことになる。
なんてこったい。(オーマイガー)
今回の体験で得た気づきは、自分の中にまだ「自分の事を否定している自分がいる」という事だ。
昔の自分はとにかく自分に自信がなかった。それが嫌で、色んな勉強をして、試行錯誤し、そんな自分を脱出することができたと思っていた。
でも、まだ残っている物があるんだなー。
まだ、自分の中にいらない思いこみ、価値観があるんだという事に気が付けただけでもよかった。(と思う事にしよう)
ちょっとくらいミスしたっていいじゃないか。
間違えたっていいじゃないか。
他人がどう反応しようが、それはあくまでその人のフィルターを通した評価にすぎない。
その人の評価によって、自分の人生が左右されるのだろうか。
百パーセント、そんなことはない。
それぞれみんな、自分のフィルターを持っていて、それが一番正しいと思っている。
全員共通の正しい評価なんてない。
みんな違うからこそ素晴らしいし、違うからこそ発見がある。そして成長があるんだ。
(もう少し、ひとりごとにお付き合いください。スイマセン)
子供で考えたらよくわかる。
子供は学校と家という小さな社会で生きている。
そこが全てだと思っている。
自分の見えている世界が小さいだなんて疑いもしない。
だから、学校でどんなに理不尽なことがあっても、ここしか自分の居場所はないと思い、我慢してしまう。なんなら自分が悪いんだとまで思ってしまう。
小さな社会のルールからすこしでもはみ出ようものなら、ものすごく非難されてしまう。
でも。
一歩外へ出て、見てみると、問題だと思っていた事は全く問題じゃなかった、大したことなかった事に気づく。
そう。
その場で「最悪だ」と思えるようなことでも、場所と人が変わればそうじゃないことは沢山ある。
だから、自分に落ち込んだ時、「本当にこれはそんなに最悪な事なんか?」「これはそんなに落ち込むべき案件か?」と冷静に自分に問うことはとても大切なんだ。
そして。忘れてはいけないこと。
それは、他人の評価で自分が左右されてしまってはいけないということだ。
他人の評価を気にしていたら、しんどい。
そして、他人の評価というのは、必ずしもすべてが正しいわけではない。
だって、その人もまた、その人独特な経験があってそのフィルターが出来上がっている。
そして、自分も含め、そのフィルターは常に変化するのだ。
自分で自分を正しく評価する。
そこが一番大事。
「そんな自分が好きか?そんな自分は嫌か?」
問いはとってもシンプルだ。
あかんとおもう部分があるなと自分で思うなら、そこから脱するために行動を起こせばいい。
これでいいと思うなら、他人が何と言おうと、それでいいんだ。
(長いひとりごと終わり)
今回の経験で私は、自分の手放しきれていない価値観、思い込みに気づけた。
そして、そこをもう一度、見つめ直し、「別に大したことないやん。人間なんやし、わからない事があってもいいやん」と今回の件に関しては自分で「そのままでもいいんだよ」と、自分を受け入れた。
もちろん、自分で考え直した時に、自分にも変化が必要だと思ったら、改善するための行動を考えて、行動していると思う。
でも、今回のことは、別にそこまでのことじゃなかった。とにかく大した事なかったのだ。
ただ、自分の思いこみが、自分に対して、無意識に低い評価をしてしまっていたというだけのこと。
それに気づけたから、大丈夫。その都度、こうして自分で軌道修正していけばいい。
気づくって本当に大切。この「見える化」によって選択・行動を選ぶことができるんだから。
(夫は普段は優しいが時に、はっきりグサッと心をさすような一言を放つことがある。しかも悪気なく。そして今回のように私は心が過剰に反応してしまう事がある。でも、そのはっきりいってしまう性格も、私とは違う夫の個性。むしろ、そのたびに自分の心の奥の部分と向き合えるので、ありがたいことなのかもしれない)
やっぱり何事も考え方かー、、、
散々話といて(笑)最後にあと少しだけ!(まだあるんかい)
完璧主義について
今回、こんなことも考えた。
人に否定的な何かを言われて落ち込むってことは、「もともと、根本的には自分はもっとできるはず!できて当たり前なはず!」という自信があるからかもしれない、という風に思う事もできるなと思った。
(皆さんはどう思いますか?)
だって、「自分は大したことないやつ」って思ってたら、できない自分がいても、「そうだよね!これが自分だモーン!」って当たり前のように受け入れることができる気がする。(モーンって)
「自分は大したやつである」
と思っているからこそ、できていない自分にたいして、苛立ったり、落ち込んだりするのでは?とおもった。そういう考え方もできるな、と。
完璧主義な人って、少しのミスも許せないみたいなところがある。
ミスったら、この世の終わりだ!みたいな。(それは極端な例)
自分ができるやつと思っているからこそ、完璧主義な思想を持つことができる。
そう思うと、自分に自信があるわけだから、見方によっちゃいいことだ。
(自己評価が高いのは大切。もちろん傲慢になってはいけないけど、自分への信頼がとてつもないパワーを発揮するのはたしか。新しいチャレンジへのエネルギーにもなる)
自己肯定感が低いとかなんだとか、そんな事が言われている時代で、自己肯定感が高いというのは良いことだ。
(ただ自己肯定感って、根本的に他人と比較して~みたいなところがあるから、結局他人が基準にあるから、結構しんどくなるキーワードらしいですよ←らしいですよって、だれの意見やねん)
自分ができないやつとおもっていたら、完璧主義になんてなれない。だって基本的に色々と出来ないんだもん。
なんか、言葉遊びみたいで面白いな。
そういえば似たような言葉で「無知の知」というのがある。(似てない?(笑)まぁ雰囲気ってことで)
これは、自分が「なーーーんにも知らんで!だからそれなに?教えて!自分はしらんのやから、とにかく何でも知る好奇心は忘れまへんで!」という姿勢が大切だと私はそのように解釈してます。
(あ、話つながってないか(笑)無知の知は素晴らしい言葉ですが今回は忘れて下さい。)
ゴホン。(咳払い)とにかく。
何気なく使っている言葉も、自分がどういうニュアンスで使っているのか、考えてみると、また発見がありそう。
話を戻して。
完璧主義はいいと思う。
そのエネルギーをどう使うかが問題なだけ。
「できない自分」を責めることに、そのエネルギーを使ったのなら、それは良くない使い方だなって思う。
でも、できない自分から脱するためにの行動にそのエネルギーを使うのは最高やんって思う。(成長しかない)
すべてはエネルギーをどう使うのか。
お、なんかいい感じにまとまりそう(笑)
昔あった映画「モンスターズインク」のなかで、最初は子供の恐怖のエネルギーを集めて…て感じだったけど、結局、喜び・笑いのエネルギーの方が数倍にも効率がよくて最高だったみたいな話がまさにそうだなと思うところで、
エネルギーをどう使うかはとっても大切なんだなー。
皆さんは最近笑いましたか?
私は、大爆笑はしてないな、、、。
あ、でも、小4の息子の仕上げ磨きをしてた時に、歯磨き中ずっと変顔で攻めてきてた息子に心の中で大爆笑はしたかも。
どんなときも、全力で楽しむってこういうことか。
息子よ、ありがとう。
(でも、いい加減、歯ブラシを噛むのはやめて下さい。)
今回もいろんな脳内おしゃべりがありました。
これ、誰かの役に立ちますかね?(笑)
でも、今回も本当に長々と、最後までお付き合いいただきありがとうございました!
感謝を忘れず、すべてを受けいれて、やっていくべし!
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