いきなりですが、
あなたはポジティブですか?
それともネガティブですか?
そもそも、人間って、ネガティブな人が多いらしい。
なんでかというと、脳の性質がそうなってる。ネガティブは危険予測にもつながるから、人間の本来の防御機能的な感じだそう。まぁ確かに、想像してみると、あまりにもポジティブでどんな時でも「なんとかなるっしょ!」って感じはなんか危ない気がする。
(何を隠そう私は心配性だ)
そうそう、実は「怒り」も、根本的には、「不安」といった感情につながっている。
怒りは「二次感情」
「怒り」自体は二次感情といって、表面的な感情で、実はその奥にしっかりと一次感情という元の感情が隠れている。一次感情には「心配」「不安」「悲しみ」「虚しさ」「苦しみ」「さみしさ」などがある。
そう思うと、怒りやすい人って、心配性なんだろうかと思えてきた。(私の事です)
あ!でも、私は、怒りっぽいわけじゃない。できれば怒りたくないし、喧嘩もしたくない。
平和がいい。穏やかがいい。
大人との関係性なら、怒ることはほとんどない。皆無。だから、職場の人とかにも、私が怒った姿は想像できないといわれる。
怒ることはほとんどないが、怒ってないわけではない。ちゃんとむかついてはいる。でも、自分の中で、爆発する前にうまく処理できているらしい。
怒りをぶつけていいことは何一つない。冷静に話し合うのは良いけど、感情のぶつけ合いはとにかくいい結果になりにくい。そのあとの関係性も微妙になると思う。
それが自分でも、昔からの沢山の痛い経験で分かってきてるんだと思う。
ただ、これが相手が我が子となると、一気に状況が変わってくるのだ。
一番したくない「感情的に怒る」ことをしてしまう。
本当は一番したくないのに。でも、さっきの一次感情の考えでいうと、私の「不安」センサーに思い切り引っかかるのだ。一次感情があるのに、二次感情の「怒り」の方が目立ってしまって、一次感情に気づけない。だって怒っている時は、そんな冷静に分析する暇がないから。その瞬間は。特に。(反省)
今まで何度も「怒り」についてはブログを書きながら、自分と向き合ってきた。
最初に気づいたことは、自分が「怒ることはあかんこと!」と強く思いこんでいた事だ。ここに大きな間違いがある。「怒ること」があかんわけじゃない。「感情的に怒ること」がよろしくないだけだ。
感情的になると、冷静に話し合いができない。それこそ、本当は心配で怒っているのに、悲しくて怒っているのに、それを相手に伝えることができず、ただただ感情をぶつけることになってしまう。
「本当は心配なんだ」という事を伝えると、また話の内容はかわってくる。
一次感情に気づくってめっちゃ大事や。
次に思った事、それは、自分の中に「こうあるべき」という思考がしみついているという事だ。
「べき思考」は本当に厄介だ。ここで、自分のいらない価値観に気づき手放す事ができる。そうなると、同じ事をみても怒りの感情がわいてこない。もしくは、前よりはうまく怒りの感情を流せるようになる。怒りの方向に心が傾いていたとしてもすぐに平常に戻せる感じ。
そういう意味で、自分の子供に対して怒っている時、自分の中の要らない価値観に気づけるチャンスだと、思えるところまで行けたらかなり楽だ。そうなると、「怒り」に対するイメージも悪いイメージからチャンス!というポジティブなイメージに変わってくる。
自分の中の要らない価値観は、自分の生育環境や時代背景が大きく影響してくる。特に自分との母親との関係。これはみんな一度は向き合う瞬間が来る人も多いのではと思う。
過去は変える事はできないけど、過去に対するイメージ、考え方は変える事ができる。母親に対するイメージ。私もかなり向き合った。しんどかったし結構泣いた。(母と話し合ったわけじゃなく自分と向き合った)
最初は環境のせい、親のせい、父親のせい、母親のせい…、みんな自分以外のせいだと思ってたことが、そうじゃなかったということに気づいた。私が思ったのは、「周りのせいじゃなくて自分のせい」という考えになったのではなく、
「母もきっと苦しかったんやな」「父も寂しかったんやな」「きっと方法を知らなかったんやな、どうしたらいいかわからなかったんやな」
と、父や母も親の前に、一人の人間としてみて、受け入れることができる様になった。ひとりの人間。失敗がない人なんていない。それでずいぶんと見方が変わった。
心からそう思えるようになると、親に対してのイメージががらりと変わる。
でも、こういった一連のことは本当に時間がかかる。自分の心と向き合うって本当に奥が深い。
だから、親の事をわるく思ったらあかん!とか、良い方に考えないと!と、無理やりポジティブにしてしまうと、心の奥にある感情が成仏しない。
何事も順番が大切だ。
ポジティブ!の前にすること
何かよくない事が起こった時、本当は悲しいのに、
「チャーンス!!!!!」と無理やりポジティブに考えるのは危険だ。
だって、「悲しい」という感情がわいている時点で、過去の経験で感じた「悲しい」が反応しているからだ。
成仏できていない、何かしらの出来事に対する感情があるからこそ、その出来事にも同じようなものを瞬時に感じて心が反応している。
例えば、私は父親がくも膜下出血で倒れたという経験があるが、それ以来、親と連絡が取れなくなるとものすごく不安感が襲ってくるようになった。これも、「連絡が取れない」という事がらに対して、自分の心が「そういう事もあるよね」という考えより、「もしかしたら何かあったのかもしれない」という考えを採用するようになってしまっているからだ。
これも、この不安だった感情に向き合って、自分の中の思い込みを書き換えていく必要がある。
連絡がつながらずに、でも、そのあとしばらくしてつながった時、それで「良かった」と終わりにするのではなくて、その時私が感じていた不安な気持ちをまずはすべて出し切る。そして、そんな自分を受け入れる。出し切ったあと、実際はどうだったのか?と振り返る。ただ、買い物に行っていたから携帯に気づかなかっただけ、という事実を再認識し、「そういうこともある」といった感じで、自分の中の思い込みを書き換えていく。
一回でうまくいけばいいが、無理だったら、その都度、不安を出し切り(私は紙にかきだした)、受け入れ、再認識して書き換えるという作業をコツコツと続けていく。
そうすると、意識が書き換わって、連絡が取れないとこがあっても、「まぁ大丈夫か!」と自然と思えるようになる。
心が過剰に反応しなくなる。
心は本当に奥が深い。
無理やりポジティブの前にすることは、膿を出し切ってからなんだ!
膿の出し方は「書き出し」がオススメ
心の傷。心の膿。闇の心。黒い感情。
なんでもいい。
まずは出し切ることだ。
最近読んだ本で、「自分オリジナルのノートをつくってそこに書く」という方法をしった。私にはその方法がとても合っていたみたいだ。
私は昔から書くことが好きなので、書くことは性に合っている。(日記を昔からつけていた)
書くことが好きな人には、藤川さきこさんの言っているノートの書き方を実践してみると、たぶん自分の中でいろんな発見があるのでは?と思う。(私的にはかなりの良書)
スピリチュアルっぽいとか言われてはるけど、全然いいやんって私は思う。
自分とつながる方法には色んなやり方があって、その中の一つの方法として、「ノートを書く」という方法があるだけだ。
みんなそれぞれが自分に合ったやりかたを見つけたらいいと思う。
私が一番良かったと思っている事。
それは、自分のノートには、さっき言ったようなネガティブな事を制限なしに書いていいという事だ。
ネガティブな事って、声に出して言うのはとっても抵抗がある。(そんなことないですか?なんか言ってしまったら自分に悪いこと起きそうみたいなw)
私はそういう「言霊」的な事は結構信じているので、普段から、ネガティブな事は言わないようにしている。
何かいいたくなっても、できるだけ、ポジティブに変換して、言うようにしている感じ。(まぁでも、最悪やー!とかいってしまう時あるけどw)
でも、このノートにはそんなことは気にしない。とにかく、ブラックな感情全てを吐き出していいのだ。「コノヤロー!」とか。(いや、もともと口でも言わへんわw)
でも、普段から、ネガティブな事を言うのを禁じている私にとって、これが良かったらしい。(私と同じような性格の人、ぜひ試してほしい)
もちろん、このノート。誰にも見せてはいけない。絶対に(笑)
ヒミツのノート。だからこそ、このノートだけには、制限なくかける。自分とつながれるノート。
ネガティブ発言はあかんと思ってた私にとって、ノートの中でのネガティブな吐き出しはとても新鮮だった。
かなりリアル口調で書いていく。
「もーーー!!!」とか、「あ”-----!!!」とか、言葉にならなくても言い。ぐちゃぐちゃでもいい。とにかく胸の中に浮かんだワードをひたすら書き出していく。とまらずに勢いのまま、とにかく無制限に書いていく。止まらずにがポイントだ。
止まらずに書いていくと、どんどん本音が出てくる。最初は、「あー!むかつく!」とかだけやったのに、止まらずにとにかく心のまま、手を動かしていくと、そのうちでてくる。本当の気持ちが。
怒りじゃなくて、本当の気持ち。第一感情がひょっこりと顔を出し始める。(ほんまにやってみてほしいw)
「私だって○○したい!」(うらやましい気持ち)
「本当はこうしてほしかった!」(怒りじゃなくて本当のしてほしかったこと)
「すごく悲しい!寂しい!」(まさに第一感情)
書きなぐったノート。(書きなぐるって表現が一番合ってる気がする)
勢いのまま書き続けたら、落ち着いてくる。
そして、そのノートをただぼーっと見つめる。
さらに、怒っていた自分をそこで肯定する。
「あーーー、むかついてたんやな。私」って。
そんな自分を否定せず、受け入れる。
「むかついてたんやもん。いいよ。そりゃそうだよね」って。
そこらへんになってくると、本当に落ち着いてきて、さらに、自分を見つめることができる。
「あー。本当はここが気になってたんか、私」
「そうか、ここの部分はまだ自分の中で成仏できてない感情やったんやな。もう少し向き合う必要があるな」
「私はこうしたかったんやな」
本当に自分が望んでいた事に気づいて、向き合うべき課題が見えてくる。
悪かったのは、ムカつかせた相手じゃない。
ムカつく!と感じた自分の心にあったんだ。
そう気づく。
自分のノートだと、「本当はこんなこといっちゃダメだよね」という縛りがない分、本音が出せる。本音だから嘘がない。とてもスッキリする。ノートに書いているから、頭だけで考えるよりも、視覚的にも感じる事ができる。すごくわかりやすい。
この前も、子供に苛立ってしまって、自分のノートにおもいのまま書きなぐっていったら、「私、まだそんな気持ちがあったんやな」っていう、未成仏の感情があることに気が付けた。
そこがわかると、じゃあどうする?って次の行動を選ぶことができる。そして、未成仏の感情がうまく成仏出来たら、同じことが起こっても、イラっとしなくなった。もちろん、毎回イラつかないかはわからない。心は本当に複雑だから。自分の気づいていない感情がまだ隠れていることもあるから。
でも、ノートは自分のことを本当に丸ごと受け入れてくれる心強い味方だという事に気が付けた。
この気づきはかなり大きい。
無理やりポジティブに考えるより、無理やりポジティブに言葉を発する前に、自分の膿を全部出し切って、自分の本当の感情に気づいて、認めて、受け入れてあげる。
そうしたら、自然とポジティブになれる。無理やりポジティブじゃない。心が納得しているから、超自然。
これからも、ノートは私の相棒になりそう。私的には、新しい、ノートとの付き合い方だ。
ポジティブには順番がある。
順番を守れば、勝手に前を向いていけるようになる。勝手にポジティブになってる。
この世にノートを作ってくれた人、マジ神!(ありがとうございます!)
今日も最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました!
あなたも素敵なノートライフを!
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