このブログをみていてくださっている方はなんとなく覚えておられると思うが、私の父は約一年まえに「くも膜下出血」で倒れ、生死をさまよった。(いつも見てくださる方、本当に感謝してます)
そして、奇跡的に父は助かり、
「覚醒」した。
この覚醒とは、ここでは「スピリチュアルな目覚め」ということで書いてます。
別に、能力者になったわけじゃない。父は普通だ。でも、本当に、父は180度変わった。
なんというか、もう、別人。本当に。それは一番近くにいる母が一番感じている。
とても穏やかで、温かくて、「愛」の人になった。本当に「仏様」のよう。
今の父しかしらない人は昔の父をしったら驚くだろう。そして、そんなことはあり得ない!と絶叫するかもしれない。
父の頭の中をパソコンに例えると、初期設定に「愛と感謝」がばっちり設定されている。
もう、なんといおうと、なにがあろうと「愛と感謝」が基本になっている。
だって「初期設定」がそうだから。
私的には、潜在意識に完全に「書き換え」が起こったんだろうなと思う。
先日、父と二人で話す事があった。
父からでる言葉は、全部「感謝」が根底にある。それをすごく感じた。
何が起こっても「おかげ様」精神なのだ。
これは、そうじゃない人からしたら、「いやいや、それはただの偶然、よくあることでしょ」と思えることでも、父からしたら違う。
「これがあったのは、ご先祖様がそのように仕向けてくれたんだ」
「みんなのおかげで今の自分がいる」
「とにかく感謝で、できるだけこの思いを伝えたい」
「自分にできることがあれば、何でもいいからやりたい」
まさにギブの人だ。

感謝がベースにあるから、どんな事が起ころうともそれがありがたく思える。
例え一般的には「悪い」とされる出来事でも「必要なこと」として感謝して受け入れる。
とにかく「ありがたい」感じ。
だから父は、とても幸せそうだ。
とっても。
感謝と愛が自分の中に溢れているから、とにかくその溢れたものを誰かにあげたい。そんな感じなんだと思う。
私は父を見ていて思う。
今の父は無敵だ。
父が見ている世界は「愛と感謝」の世界。だから、そうとしか見えない。だって、愛と感謝の世界に住んでいるんだから。
スピリチュアルに振り切って言うと、父はそんな「パラレルの世界」にいるんだと思う。
父とそんなスピリチュアルな内容の話をするなんて、一年前の私は夢にも思っていなかった。
今の父は本当に「人間」ってかんじだ。
前の父は、そうだな、、、基本は優しいんだけど、淡々としていて、感情があまりなくて、何を考えているのかわからない感じで、一応場の空気に合わせてしゃべるけど、本心は本当に何を考えているのかわからない感じの人だった。(だから優しいというのは表面的だけな感じ)
ギャンブルに借金にお酒にたばこに。全部そろってます!みたいな(笑)(あ、でも、女性関係とかは皆無だったかな)
だから、こんなことって本当に起きるんだなってつくづく思う。父と会うたびに思う(笑)
私はこの驚きをしつこいくらいにブログに書くので、「何回言うねん」ってつっこまれそうやけど、本当にびっくりしてるんやなと思ってもらえたら助かります(笑)
いやーーーー。本当に。
「人はなんやかんやで変われない」っていうけど、変わるんだなって、父に今教えてもらってる。
その変わるきっかけは様々だけど。
父の場合は「死にかけた経験」がそうさせたらしい。
そして、この前話をしていた時に、またぽろっと言っていた言葉に改めて驚いたけど、父自身はそういった「自分よがりで勝手な性格」だったという事を全く覚えてないらしい。
「自分でも不思議やけど、本当に前の自分がどんなんやったか思い出せへんのや。ただ、めっちゃ自己中心的やったんやろうなというのはうっすらと覚えてる感じがする」といっていた。
父よ、こっちからしても不思議なんですよ。(笑)(本人には言ってないけどね)
最初の方は「あんなに家族に迷惑かけたのに、覚えてないって、どないやねん!」って思う私も正直いた。
なんで忘れるねんって。
加害者はすぐ忘れて、被害者はいつまでも覚えてるっていうやつだ。
でも、これも、今の私は冷静に思える。
「そう思う自分は過去に執着してるんだな」って。
過去の自分に「執着」している。
可哀そうな自分に、苦労していた自分に、苦しかった自分に、悲しかった自分に。
そんな自分を「手放したくない自分」がまだ少し残っていたんだと思う。
でも、今の私は思う。
そんなものを大事に抱え込んで何になるのだろうかと。
そこから考えつくことはこうだ。
「こんなにも苦しんだことをわかってほしい。しんどかったんだから。苦しかったんだから。だからお父さんにもわかってほしい。反省してほしい。この気持ちと同じ気持ちになってほしい」
そんな自分がいたんだろう。
でも「今」の父にそんな事を求めて何になる?
反省し、罪悪感まみれになった父を見ていて私は幸せだろうか。
その先にあるのは、「幸せ」なのか?
そこに「愛」はあるのか?(なんかCMみたいやな)
私のエゴは「反省」を、「罪悪感」を、求めていたのかもしれない。それがちょっとだけだとしても、そう思う自分がいたんだと思う。
でも「魂」としての私はどうだ?
私の魂はなんて言ってる?
そう問うた時に出てくる答えは、やっぱり「愛」だ。
全てを認め、許し、愛する。
答えはシンプルだ。
それが本当に自分が望んでいること。
私が見ている世界も父と同じ「愛と感謝」の世界だ。
だから、もう、過去のつらかった自分に執着するのはやめた。
「苦しかった自分、バイバイ。今までありがとうね」
過去に生きる事は出来ない。
未来を生きる事も出来ない。
「今」を生きる事しか私たちはできないのだ。
今できる事。
「愛と感謝」で日常を満たすこと。

私は死にかけてはいないけど、昔の父やいろんな出来事のおかげで、「真剣に生ききる」ことをテーマに進んでいくことができた。そして「愛と感謝」にたどり着いた。
私は今、幸せだ。
もちろん、完璧ではない。
愚痴っぽくなりたいときもあるし、弱音を吐きたくなるときもある。感情に支配されているときだってあるし、なんかもう、めちゃくちゃなときだってある。
でも、心の奥の奥のベースの部分には、しっかりと「愛と感謝」が刻み込まれている。
だから、とても幸せだ。
今までのいろんなことがなかったら、どんな些細なことでも真剣に向き合う自分はいなかった。
物事には順番があるんだなってすごく思う。
だから、執着も悪いことではない。
自然と手放せるその時が来るまで、それまでの経験こそがまた自分の宝物だ。
父は幸せそうだ。
本当に良かった。
この前、父が信号待ちをしていたら、目の前にご年配のかたがいらっしゃって、横断歩道を渡るのに時間がかかっていたらしい。
父はその時、下手に声をかけるのも失礼かもしれないし、変に気を遣わせてはいけないからと、黙ってその方が渡り切るまでこっそり見守っていたらしい。そして、ご年配のかたはちゃんとわたり切れた。
一部始終をしっかり見届けた父は「良かった。何事もなかった。じゃあ自分も行くとしよう」と、行くべきところへ向かっていった。
そして、父はとても幸福感に満たされていたらしい。
「よかったわ。些細な事なんやけどな。それだけで嬉しいねん。お父さん、ほんまに幸せやな~って思ったんや」
父は変わった。
昔の父にも感謝だし、今の父にも感謝だ。
起こることにはすべて意味がある。
起こるべくして起こっている。
すべての事に共通しているものは「愛と感謝」だ。
あなたの今日も起こるべくして起こっている。
出会う人も出来事も。すべて。あなたにとって必要なこと。(そう、このブログとの出会いも!)
その奥には必ず「愛と感謝」がある。あなたの日常も「愛」で包まれているのだ。
今日も最後までお読みくださり本当にありがとうございました!
この後も素敵な時間をお過ごしください!
ではまた~



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