最近、ブログを書きたくてもなんかかけなかった。
書きたいのに書けない。
「ブログを書く」という行為は自分の想いを「出す」ということだから排泄欲に似ているなと思う。
出そうと思ったら溜まっていないと出せないわけで、つまり、インプットが足りてなかったのかもしれない。どんな時に「書きたい」と思うのか。それは、何かしらの「刺激」を受けて自分の心が反応し、自分の中で何かしらの「おもい」がつくられる。
それが溜まってくると「出したい」という欲求にかられる。
ここ最近は「刺激」が少なかったのか?どうなんだろうね。別に何もしていなかったわけではないんだけど。それなりに一生懸命生きてました(笑)
でも、なんか、エネルギー的にいうとちょっと低いというか、なんとなく「なんだかなー」って感じだった。だから「言葉」が出てこなかった。パソコンの前に座って「うーーーーん」とうなるだけ。
書くのが好きなのに、書けない時ってもどかしい。
この「イマイチ」な感じ。
これを何とかしたい。はっきり原因がある時は良いけど、はっきりわからない時が一番困る。
どうしたらいいのかわからない。
それでも「イマイチ」の原因を考えてみる。
「イマイチ」の原因って?
- 寝不足が続いていて体調不良
- 女性なら生理などのホルモンバランスの乱れ
- 天候が悪い
- 一つだけ見たら大したことないような小さな悩み事が溜まっている
- 頭の中の未完了タスクが溜まっていて整理できていない
- 刺激からの影響(SNS、ショッキングなニュース、だれかの誹謗中傷)により無意識に心が乱れる
色々あるんだよなー。。。
もちろんこれら以外にもたくさんある。
まさかの電磁波やったり、食べものやったり。なかには、誰かから念みたいなものを飛ばされていて不調になったりするケースもある。
あとは上記にも書いてあるSNSとか。こういうのも、見落としがちだけど、悪口とか、怒りとか、そんな投稿は波動が低くて、見ているだけでもその波動を受け取ってしまうなんてこともあるらしい。スピリチュアルっぽいから信じるか信じないかはあなた次第なんだけども。
そんな事まで考えながら振りかえってみると、最近のイマイチは、無意識に見ている情報にあるのかもなーと思えてきた。気をつけているのに、ついつい、変なもんばっかりみてたのかも。おーこわ。
という事で、今日のテーマの「意識と周波数」につなげようと思います。
意識と周波数って

意識と周波数。
この二つはすごく関係している。
意識が良い状態という事は、高い周波数を発しているという事。
意識が悪いと発する周波数も低い。
自分の心の状態、意識の状態がそのまま自分が放つエネルギーになる。私はエネルギーとかオーラとか見えないけど、見えなくても感じるものってあるよね。なんかこの人、空気感が重いなとか、この人はパワーを感じるなとか。
マイナス思考の人と喋っていると疲れるのは、無意識のうちにその周波数に共振共鳴してしまってるかららしい。エネルギーって見えないからわかりにくいけど、見える人からするとエネルギーを奪う人とかもいるらしい。
そういえば、昔勤めていた店でお客さんに「心の中でバリア~って思っとかないと、相手の悪いものが全部入ってきちゃうよ、気をつけてね」と教えてもらったことがある。私は接客業だし、さらにはお客さんの頭も触ったりするからそういう「気」みたいなものをもらいやすいのかもしれない。
特に感受性というか、感じる力が強くて、なんでも受け止めたいと思って接客してるから気をつけないといけないのかもしれないな。
意識と周波数はつながっている。周波数は自分が周りに発するエネルギーみたいなもの。だからこそ、自分の「気分」がとても大切なのだ。
周波数が低いとひきつけるもの

周波数が低いと何がダメなのか。
前にもブログにも書いたけど、同じ周波数って強く共振共鳴し合う。磁石のように引き合ってしまう。だから、高い周波数は高い周波数を引き付けるし、低い周波数は低い周波数を引き付ける。
あくまで一例だけど、事件を起こすような人って周波数がすこぶる低いらしい。そして、自分がよくない状態でいると、同じく周波数も低くなってくる。事件を起こす人と事件に合う人は「同じ周波数」をしているそうだ。
愚痴や不平不満、嫉妬、憎しみ。そういった感情は間違いなく周波数は低くなる。一瞬ならいいけど、それを「引きずっている状態」がよくない。「状態」でいる以上ずっとその周波数だからだ。
「ずっとそんな状態」にならないためには、を考えないとね。
「ご機嫌」でいることの大切さ

「ご機嫌でいよう」
こういう言葉はあちこちで耳にする。
当たり前の事だよね~と、耳にするたびに軽く受け流していたけど、よくよく考えるとほんまにめっちゃ大事なことやんって思う。
周波数的に「ご機嫌」を考えてみよう。
「ご機嫌」でいるってことはつまり、自分の心が「いい感じの状態」。鼻歌なんかが自然に出てくる時は最高な状態だ。ご機嫌は笑顔だし、鼻歌だし、発するエネルギーは自然と想像できるよね。
「いい気分」な時は必ず周波数も比例して高いのだ。不安とか心配とかもなく、ただただご機嫌。その状態をいかに長く続けられるのか。そこが大事なんだ。
朝起きて気分が乗らない時。なんかイマイチな時。そう、先日の私のように。そんなとき、自分の周波数はきっと高くない。だって気分が「イマイチ」なんだから。
でも、そこで大好きな藤井風さんの音楽をかけたとする。するといつの間にか気分がさっきよりも良くなっている。うまくいけば、気分がもっと上がって一緒に歌ったりなんかしちゃって。そう、ご機嫌なのである。
その状態になればこっちの物だ。いかにその状態を長く維持するのか。
- 好きな音楽を聴く
- 好きな事をする
- 好きなものを食べる
- 好きな運動をする
- 夢中になれる事をする
そう。
「好き」な事をしている時。夢中になっている時。「今ここに集中」している時。
意識も周波数も「いい感じ」なのだ。
そうすると、良いものを引き付ける。同じく周波数の高い出来事を、人を、物を引き付ける。
「ご機嫌でいること」って思っている以上にすごいことだ。
逆に考えると、気分が落ちるような事で避けれるものがあるのなら避けた方がいい。
気持ちが落ち込むようなニュースや、ネットでの誹謗中傷のやりとり、誰かの誰かに対する怒りの投稿、、、、これらも気分を持っていかれる原因に十分になり得る。
気分を持っていかれるのか、悪い波動を受け取ってしまうのか、すべて目に見えない事だからなんとも言えない事だけども。
そういった情報は気分は悪くなるし、いいことは一つもない。不安を煽るようなものは溢れている。心配していても、よくよく考えたらできる事は「今」を生きる事しかできない。
不安を煽る人たちにとって、その事を考えて不安になったり、心配したりしてる状態は思うつツボだ。
見て解決できることならいいんだけどね。ただ不安や心配になるだけなら見ない方がいいよね。そんな時間があるのなら、少しでも「ご機嫌」になれることに時間を割いた方がいい。
私もイマイチな気分な時に、それでもしないといけないことがあってやろうとしている時。気分を上げるために音楽でも聞こうかなと思うけど「いやいや、そんなことしてる場合やない」と思って無理やり行動したりする。
でも、そんなときも、さきに「ご機嫌」になった方がいいのだ。
ご機嫌になって、周波数の高い状態になって、行動したほうがいい結果に結びつく可能性が高い。
ご機嫌になること。感謝すること。「ありがとう」とつぶやくこと。歌を歌うこと。人にやさしくすること(優しくすることで自分の気分がよくなってる!)良いことをすること(これも同じく自分の気分がよくなる)
全部が結局、自分の心の状態、意識の状態、周波数につながっている。
「ご機嫌」でいること。
どんどん積極的にやっていきたいですね。(ごき活と名付けよう)
最後にほんまかいな話

最後にほんまかいなのお話。
出所はさておき(そこがきになるっちゅうねん)
意識の状態ってめっちゃ大事なんやなっておもうことがあった。
意識と周波数の話はしたけど、「最後の死ぬときの意識」のことで不思議な話を聞いた。
生まれ変わりがあると前提して、「今世で悪い行いばかりすると来世ではカルマとして背負う物がある」みたいな事って聞いたことがあると思うけど、どうやら違う見方もあるらしいのだ。
極論「死ぬときの意識」がめっちゃ大事という見方がある。
悪いことをしていなくても、自己嫌悪とか後悔とか、そういった強い意識を持ったまま死んでしまうと、次の人生にもその想いを持ち越ししてしまう可能性があるらしいのだ。という事は、逆に考えてみると、罪を犯しても、最後死ぬときに感謝とか喜びとかの気持ちでいっぱいであれば、そのプラスの気持ちが来世にかなり影響する。
ほんまかいな~って感じだよね。
なんかこう、ずるいよ~って気持ちがわいてくる(そんなことない?)
でも、一つの可能性としてあるらしいんだよね。
という事は結局は「自分次第」なんだなって思った。
自分の心の中に「引っ掛かり」があるんだったら、どんな小さなことでも「向き合って」いくことが大事なんだ。とことん自分の事を見る。外で起こっていることでもなく他人でもなく「自分」。そして解決して「手放し」ていく。
最後はなにも引っ掛かりのない身軽な状態を目指したいところだ。
そう思うと、自分の心の反応すべてが大切な自分の向き合うべき課題なんだなーと思えてくる。
もっと、俯瞰してみると、わたしたちの世界の「良いこと」「悪いこと」って「神様」からすると、どっちもが「経験」なのであって、本当にいいも悪いもないんだよなって思う。
神様って私の中では優しくて微笑んでて(ほんでめちゃ長い白いひげで杖ついてる)なんでも許してくれるって思うんだけど、それって、見る方向を変えたら何に対しても「無感情」なんだよなって思うのだ。
感情がわくと、絶対にどっちかに偏ってしまう。それは「良い」と「悪い」みたいな二項対立のようなものだ。傾くことがない、すべてがあるのが「神様」。だからこそ真ん中にいて、それはつまり状態でわかりやすくかんがえると「無感情」なのかなって思う。
だから、悪い事したとしても、しっかり自分と向き合って、自分のなかでもわだかまりをなくす事が大切なんだと思ったら、死ぬときの意識のお話も理解できる気がしました。(もちろんわざと悪いことはしたらだめですよ~)
ちょっと話がそれてしまったけど、
とにかく!やっぱり「ご機嫌」でいる事がとっても大事なんだと思いまっす!
という事で、今日も最後までお読みくださり本当にありがとうございました!今日も残りの時間、少しでもご機嫌でいられますように!
ではまた~



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