「出したい欲」と「からっぽ」と「刺激」と「内圧」とバランス

生きるための引き出し
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あぁ!変なタイトル!へん!へん!!!

いつもながら変。そうか、じゃあいつも通りだ。大丈夫。

今日もよろしくお願いいたします。

 

出したい欲。

何を出したい?って感じだよね。

人間の三大欲求と言われているのが、睡眠欲、食欲、性欲。

このなかに排泄欲ってのも入ってもいいんじゃないかと思うのだ。

ネットで調べてたら、こんなふうにも載ってた。

SNSが普及した現代では、人とのつながり(関係性)、自分が何かできるという感覚(有能感)、自分の意思に従って決断している感覚(自律性)といった「心の三大欲求」も注目されています。Search Labs | AI より)

 

心の三大欲求か。なるほど。

~欲って書いてくれた方が覚えやすいな(笑)

 

いろんな欲求を満たすために私たちは日々生きている。

 

究極、人間って脳内物質を出すために生きてるみたいなところがあるっていいますもんね。

アドレナリンとか、セロトニンとか、メラトニンとか、エンドルフィンとか。

 

「排泄欲」と「出したい欲」を一緒にするつもりはないけど、めっちゃおおきくみると一緒にすることができる。

 

「出す」って気持ちがいいのだ。

トイレもそうだし、くしゃみやあくびも、気持ちいいと思う事もできるはず。

歌う事もそうだし、泣くことだってそうだ。

スッキリする。

気持ちがいいのだ。

 

 

気持ちを吐き出すこと。ブログを書くこと。日記をつけること。

出すことはとにかく気持ちがいい。

 

この欲求を満たすことは生きていく上でとても大事だ。

  

「欲」って聞くと、あんまりいいイメージがなかったりするけど。でも、その「欲」が生きていく上での原動力になったりするんだからようは考え方だよな~と思う。

欲に目がくらんでとか、欲を追い求めすぎてとか、欲に執着してとかで自分を見失うのは嫌だけどね。

 

欲とうまく付き合っていくことだな~。

 

ほんとに何事もバランスだよね。

欲を満たして、自分を満たしてあげる事で前に進めるなら、幸せに生きていけるなら、それは本当に必要な欲だ。

 

これが良くて、この場合はだめとか、答えは様々で、本当に「絶対」はないし、それが難しいところなんだけど、そこを自分で考える事が一番大事だ。

 

あぁ、また話が脱線しそう。いけないいけない。

でも、一個の事を話すにしても、角度を変えると全く違うものになったりするんだから、どうしても話が長くなってしまう(汗)いや、私が話すのが下手なだけか。。。

 

 

話を戻して、「出したい欲」と「からっぽ」について。

ここでは、自分の表現すること全般を「出したい欲」という事にしておきます。

 

生きていると色んなところで刺激を受ける。

人と接しているとき。何かを見たとき。本をよんだとき。とにかく何らかの行動によっていろんな刺激を受けまくっている。

そして、その「刺激」によって自分のなかで「化学反応」が起きる。

 

気持ちや感情がわいてきたり、ドキドキしたり、涙がでたりして体が反応したりする。

その「湧き出てくるもの」に対して、

歌手だったら、うたいたくなるだろうし、作家だったら文章を書きたくなるだろうし、ダンサーだったら踊りたくなるんだ。

 

表現として「出す」

出すって気持ちいい。

 

で、つい先日、夫がこんな事を言っていた。

「あかん、何にも書く気がおきひん」

 

夫も趣味で文章を書いている。一か月前くらいに書き始めて、毎日投稿という目標を立てて楽しんでいた。

 

そして、一か月が過ぎたころ、その一言があった。

 

実は私は毎日投稿をしている夫を見ていて、いつか「からっぽ」になるんじゃないかなと思っていた。

そして、やっぱりそうなった。何をかくそう、私もその経験が何度もある(笑)

 

あ、そうそう、別にからっぽになることがダメなわけじゃない。

それもまた経験だ。

 

私は昔、毎日投稿でブログを書いていた。あんまり覚えてないけど、一年くらいは続けていたと思う。

こういう自分の気持ちや考えを書く系の文章って自分そのままだから、本当に自分のなかがからっぽになると文章がかけない。

 

自分が経験して改めてそう思った。

 

自分の熱量が高い状態でかくもんだから、旬のタイミングを逃すとまた書けなくなったりもする。

 

書くタイミングで全然違うものになる。おもしろいな~と自分でよく思ってます。

  

インプットとアウトプット。その割合がとても大事なんだと、からっぽになって初めて気づいた。

その割合は人によって様々なんだろうけど。

 

インプットしていろんな刺激を受けて、自分の中で反応がおき、何かが湧き出てくる。

例えると、炭酸水を振って(刺激を与えて)、泡がシュワ~って湧き出る感じ?(反応) 

その泡の勢いのある時はすごい。色んなものが溢れてくる。でも、しばらくすると泡はなくなる。静かになる。消えてしまった泡を思い出そうとしても思い出せない。

油断すると泡が一瞬でパチンとはじけてしまう。

 

自分の中で内圧を高めるって大事だなと思う。

炭酸水を振って圧がかかって、パンパンになる感じ。

 

その状態になるまでは「出す」事を抑えることも一つだ。

 

変に出してしまうと、内圧が一気に下がって勢いがなくなってしまう。本当はもっと遠くまで飛べたかもしれないのに。

 

場合によっては、漬物みたいに発酵させるのがいい。

大事にとっておいて発酵させるとまた違う素晴らしいものができたりする。 

 

常に全力で駆け抜ける事も素敵だけど、自分の心を見ながらその何かを発酵させることも素敵だ。

  

中途半端な内圧で文章を書いて吐き出してしまうより、自分の中で内圧を高めて高めて、ちょうどいい塩梅のときに「えいやっ!」と出すのがいいなと最近の自分はそう思ってます。 

 

すぐに答えをだすのではなくて、なんとなくの感じでおいておく。

あえて隣に置いておく。その感じがとても大事なんだ。 

 

 

今は自分の中が「からっぽ」だなと感じたときは、「あぁそうか、インプット不足、刺激不足なんだな、行動せねば」と自分の判断基準にしてたりする。

そうやって自分の状態を観察するのも面白い。

 

 

からっぽが逆に心地よいときもあるし。

 

どんな時も楽しめたらそれでいいか。

 

 

あ、そうだ。からっぽになった時の対処法。(からっぽから抜け出したいときは)

 

普通に考えると、インプットをふやすことってなりそうだけど、それは次の行動で、まずは「なんにもしないこと」だと私は思っている。 

 

焦っているとついつい、何かをしたくなる。

何かを足し算したくなる。行動したくなる。

 

でも、ところがどっこい。

逆ですよ。反対。

 

まずは何もせず「ぼ―――っと」すること。ポイントはぼーっとをやり切ること。中途半端じゃなくて。やり切る。

 

からっぽになる時って、心と体がパンクしちゃっている事もあるから。

頭を使いすぎて逆になにも考えられませんみたいな。オーバーヒートって感じ。

 

だからこその「ぼーーっと」

 

そしたら、そのうち、勝手に充電されて、自然と行動が起きる。刺激を受けてもちゃんと反応できる。 

 

私の経験ではそう思いマス。もちろんそうじゃない人もいると思いマス。

色々あっていいもんね。その方が楽しい。 

 

 

という事で、「出したい欲」を満たすのは良いけど、「刺激」と「反応」のバランスが崩れると、「からっぽ」になるので、いい感じに自分の「内圧」を高めるのはいいですよ~という、偏った私の考えでした(笑)

 

最後までお読みいただき本当にありがとうございました!

この後も素敵な時間をお過ごしください。

今日も本当に暑いので体調にはくれぐれも気をつけてくださいませ~。

ではまた!

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